雄琴といえば、温泉も有名ですがソープランドも有名な土地です。
昭和後半に出来たソープランドは瞬く間にその知名度を広げ、ほんの20年で温泉街よりも有名になってしまった程で、現在でも関西地方最大級のソープランド街がある地域として、風俗業界では有名な土地となっています。
雄琴のソープ街は、他のソープ街とは若干違った経緯で出来上がったもので、ソープ街としての始まりである第一号店が出店したのが昭和46年、1971年のこと。
1971年と言えばまだトルコ風呂と呼ばれていた時代ですが、既に現在のようなソープランドに対する規制が始まっていて、ソープランドは出店出来る場所を探して血眼になっていた時代です。
そんな折、雄琴がソープランドの出店規制対象外であったことや、京都や大阪からの来客が多い交通の要所であったこと、近くに人が集まる温泉街があったことといった様々な条件が整っている地域であるということに気付いた田守世四郎という方が、将来的に車社会になるということも見越した上でこの場所に第一号のソープランドを立てたのです。
結果、そのソープランドは大いに当たり、オープンから数ヶ月間の間、連日200人以上の人が押し寄せ、通常のソープランドよりも多くの来客を見越してかなり多い部屋数があったにも関わらず常に満室となり、訪れた客の半数はサービスを受けられずに帰るということが日常茶飯事だったということです。
その様子を見た当時規制対象になった京都を始めとした滋賀近隣のソープランド業者が二匹目のどじょうを狙えとばかりに出店して、年末には7店舗が営業を行っていました。
翌1972年にはさらに8軒、1973年には14軒が加わり、現在のソープ街の基本を形成したのです。
このような条件が重なったにしろ、それだけでここまで大きなソープ街が形成されるに至るワケではありません。
やはり一番重要なのはコンパニオン女性の質で、実はこの部分にも大変こだわっていて、当時関東でも有数のソープ街であった堀之内や吉原からコンパニオンの女性を連れてきていて、そのサービスを受けられるというのも人気の理由だったようです。
これが最大の理由と言っても良いかもしれませんが、やはり性風俗の本場から女性を連れてきたというのは話題になるのも当然で、これが現在でも続く雄琴ソープの特徴である「女性の質に優れている」というのに繋がっているのは間違い有りません。
現在ではかつての熱狂的な雰囲気とは違い、落ち着いた成熟したソープ街となった雄琴ですが、それでもまだまだ根強いファンが訪れてソープランドを楽しむ場所となっているのです。