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04/23 09:30
Automatic
automaticといえば、宇多田ヒカル。
七回目のベルで受話器をとった君
名前を言わなくても声ですぐわかってくれる
余談でした笑
AIについて考えていた。便利だと思いつつ取り留めのない思考、どうにも引っかかる。
AIは、生産性革命である。それは間違いない。
だが同時に、もっと別の顔を持っているのではないか。
統治力であり、制圧力であり、ある種の暴力装置としての顔。それは、21世紀における銃・病原菌・鉄に並ぶものなのではないか、という直感がある。
問題は、AIが便利かどうかではない。問題は、それが何を可能にするかだ。もしAIが、人間よりも速く、広く、深く社会の弱点を発見できるとしたらどうなるか。
金融、行政、情報空間、サイバーインフラ、軍事、産業。人間社会は、無数の脆弱性の上に成り立っている。これまでは、それらを見つけ、組み合わせ、攻撃可能な形にするには時間と制約があった。
だがAIは、その制約をほとんど無効化する。
つまり、AIを保有する主体は、社会の弱点を発見し、操作し、場合によっては制御する能力を持つ。これはもはや、生産性の問題ではない。
統治の問題であり、力の問題だ。
さらに厄介なのは、AIが物理領域へと踏み出し始めていることだ。情報だけでなく、現実世界そのものに作用し始めている。この時点で、AIはツールではなくなる。それは構造そのもの。
ここで浮かび上がるのが、もう一つの問題だ。
その力を、誰が握るのか。
本来、統治力や暴力に近い力は、社会的な合意と制御のもとに置かれるべきものだ。
では、国家に委ねるべきか。もしAIが国有化されれば、国家はかつてない規模で監視と統制を行うだろう。それもまた、恐ろしい。
だがそれでも、極めて限られた民間主体にこの力が集中するよりは、まだましなのではないか。
この問いには、簡単な答えはない。ただ一つ確かなのは、AIはもはや単なる便利な技術ではないということだ。
それは、社会の力の配置を書き換える100年後、銃・病原菌・鉄・AIという本が出ても、不思議ではないのかもしれない
鳳条 暦
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