フォーナイン

鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

T164 B83(E) W55 H82

 

11:00 ~ 15:00

  • ソープ求人
  • 男子求人

オゴトガイド見たとお電話ください!

電話 050-5448-9022

営業時間 11:00-24:00

  • 05/25 10:01

    27(水).28(木).29(金) 11:00-

    空き枠のお知らせです? どの日時も11:00-枠のみが案内可能です? 5月はGWがあったので後半が少し寂しい? 他の枠は満たしていただけているので、 少々わがままかもしれないのですが お時間があれば一緒に遊んで欲しい/// 最近はスマホで勉強できるように環境を整えたおかげでちょっとだけ効率よく時間を使えています?? 6月はあまり変わらず、お店に出つつ、 7月くらいから私情で毎日は来れなくなるのかな… 時の流れ感じます? 旅行に行くと価値観が変わると言いますが、本来の価値観を変える必要はあるのか。 短い期間でそんなに価値観は変化するのでしょうか? 結局色々考えちゃうので、貴方様とはふわふわした時間を過ごしたいです?? 鳳条 暦

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  • 05/25 09:15

    幸福世界

    早起きは苦手だけど、その分いいことが多い。 この間は乗る電車を待っている時、前の電車に乗っていた子が中からこちらに手を振ってくれた? 駅のホームの椅子に座って、風を感じながらのんびりできる季節になった。 早起きに慣れたら朝ごはん作りたいな? ----- ねこー!だけど中身はチョコです? もうチョコがじんわり溶けちゃう季節になりましたね。 ----- 第3部-魔法を使える人間は幸せになれるのか- 可能性が増えるほど人間は自由になり、同時に苦しくなる 魔法が使えるようになったら、人間は幸せになれるのだろうか。 一見幸せになれそうに思える。できることが増えて願いが叶うから。 でも本当にそうだろうか。できることが増えるということは、責任が増えるということでもある。 何もできなければ諦めることができる。 これは運命だったと言える。 けれど魔法があるなら話は変わってしまう。 変えられたかもしれない。もっと早く気づけたかもしれない。あのとき別の魔法を使っていれば、結果は違ったかもしれない。 可能性は人間を自由にすると同時に、人間を苦しめる。 なぜなら可能性が増えるほど後悔も増えるから。 ? 『まどか☆マギカ』の魔法 願いは、叶った瞬間に呪いへ近づくことがある 『魔法少女まどか☆マギカ』の魔法は、非常に残酷で非常に哲学的だと思う。 この作品の魔法は願いと結びついている。 強い願いがありその願いが叶えられる、代わりに少女たちは過酷な運命を背負う。 ここで描かれる魔法は単なる力ではなく、願いの物質化だ。 人間が心の奥底から望んだものが現実を変えるが、願いが現実になった瞬間その願いは別の重さを持つ。 これは現実の人生にも似ている。 何かを強く願うことは美しいけど、同時に危うい。 愛されたい。やり直したい。強くなりたい。 願いは人を生かすが、願いは人を縛ることもある。 願いは光であると同時に影を生む。 『まどか☆マギカ』が恐ろしいのは願いそのものが悪いからではない。願いが純粋だから恐ろしい。 純粋な願いほど呪いに近づくことがある。 誰かのために。愛のために。 そういう美しい言葉の裏で人は自分を燃やしてしまう。 魔法を使える人間は自分の欲望と向き合わなければならない。 ? 魔法が人間に与えるものは単純な幸福ではなく、魔法は人生の深度を増す。 できることが増える。見えるものが増える。 変えられるものが増える。 その分苦しみも増える。後悔も増える。 自分の弱さも見える。 だから魔法は幸せになるための道具ではない。 人生をより深く生きるための力だと思う。 魔法を使える者は無邪気ではいられない。 願いを叶えられるということは、自分が本当は何を望んでいるのかを突きつけられるということでもある。 魔法を手にした人間が幸福になるには力よりも成熟が必要になる。 力があることより力に飲まれないこと。 願いがあることより願いに支配されないこと。 鳳条 暦

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  • 05/24 17:30

    純情まっさかり

    いっぱい迷惑かけました? でも貴方の行動力と決断力。男らしさに助けられました。 貴方はとてもかっこいいと何度か出会う中で私は初めてそう思わされました。 私は少しだけ貴方にリードしてほしいと思ったのです? 変わりゆく私を許容してほしい。 どうかこれからも楽しい時間が過ごせますように ----- 豆大福食べました? 甘いあんことちょっと塩っけがあるのがいい/// この夏は元気に過ごせますように ----- エアコンの冷気に私の鼻の繊毛は刺激を受けて、くしゃみが止まりません? 外を吹く風は色々なものを孕んでいる気がするのですが、何故か心地よい。 ほんのりリラックスさせられたりもします/// ??外を吹く風に心地よさを感じるのはなぜ? 普段、世界を主体として扱おうとしている。 計画して、選んで、コントロールして。その姿勢が基本モードになっている。 でも風はそのモードを一瞬無効にする。 頼んでいないのに来て、止めようとしても止められない。それなのに傷つかない。むしろ気持ちいい。 これは小さな降伏の体験とも言える。 降伏が怖くない、という希少な瞬間。 人は普通コントロールを手放すことを恐れる。予測できないものは脅威だから。 でも風だけは??少なくとも穏やかな風は??脅威でない不確かさとして存在する。 コントロールしなくていい、抵抗しなくていいという体験がこんなにも安らかなんだと気づかせてくれる。 それは逆説的に、普段いかに何かに抵抗し続けているかを映し出す鏡でもある。 老子の 谷の精神 老子は谷を好んだ。谷は低く、空で、何でも受け入れる。風も水も、来るものを拒まない。 そして谷は、受け入れるからこそ満たされる。 風に心地よさを感じる瞬間私たちは少しだけ谷になっている。 意志を持ちながら手放す。 ----- 皮膚は自分と世界を分ける線として機能している。この内側が私、外側が世界。その区別が 私たちの存在感の土台になっている。 でも風が吹くとき、その線が一瞬あいまいになる。風は外にあるのに私の内側の感覚として現れる。どこまでが私で、どこからが風なのか、厳密には言えない。 西田幾多郎 純粋経験 日本の哲学者・西田幾多郎は、主語と述語が分かれる前の経験そのものの状態を純粋経験と呼んだ。 私が風を感じているではなく感じているという出来事だけがある。 主体と客体に分かれる前の一瞬。風の心地よさの中には、その純粋な状態が宿っている。 受け取ることと諦めることは、どう違うのか。 風に身を任せるのは、受動的な敗北ではない。でもどこが違うのか。 「私」はどこで終わり、世界はどこから始まるのか。 風はその問いに言葉ではなく身体で答えてくれる。境界は思ったよりずっと曖昧だと。 鳳条 暦

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  • 05/24 09:30

    空に抱かれる月になりたい

    1人社長の貴方様。まだどこか硬い印象を持ちました? 足を組み、椅子に腰掛けて時計を気にする姿は普段からの習慣を思い立たせます。 貴方といつか時間も忘れるくらい甘美なひとときを過ごしたいと思うのです。 ブランディングが素晴らしい?黒く、細身のシルエットが媚びない色気を醸し出す。 どこか上品で美しいのに、従順なだけではない荒々しさ。 影まで魅力的に魅せる ----- 悩んだとき、考え事をしているとき。 空や海をぼーっと眺めた経験はありますでしょうか? 私は結構良くあります? 何故と聞かれると難しいのですが…空や海が好きだからかな? でも海はサメに食べられそうでちょっと怖い? ??空や海に引き込まれそうになるのはなぜ? 空や海に引き込まれそうになるのはそれが広すぎる他者だからだと考えます。 人間の目は普段はある程度外側の輪郭のあるものを見ている。 人の顔、建物、文字、スマホの画面、予定、名前のあるもの。 それらは全部こちらが理解できる大きさに切り取られている。 でも空や海は見えているのに終わりがない。 そこにあるのにこちらの理解の枠に収まらないから、人は空や海を見ると少しだけ自分との境目を失う。 私という小さな境界が青の広がりの中でほどけていく。考えていたこと、悩んでいたことが一瞬遠くあたかも物凄く小さく感じる。 引き込まれそうになる感覚は危険を少し感じつつ、自分が自分だけではなくなる予感なのかもしれない。 海を見ていると波はずっと動いていて、同じ形をしているようで一度も同じではない。 感情に似ている。悲しみも、愛しさも、不安も、執着も。止まっているようで本当はずっと揺れている。 だから海を見ると自分の中の言葉になる前の感情が反応する。 ああ。私の内側にもこれがある と思う。 理由は説明できないけれど自分の奥にあるものと海の動きは似ている。 空はもっと静かで海のように音を立てない。 ただどこまでもある。雲が流れ光が変わり、夕方には色を変える。 空は何も教えてくれないのに、時間の流れそのものを見せてくる。 夜の空には人間がいなくても続いていく世界がある。 だから空を見ると、自分の人生自体が少しだけ遠くの景色になる。 今日うまくできなかったことも言えなかった言葉も、空の下では全部小さくなる。 それは救いだ。 私の痛みは私にとっては世界の全部みたいに大きい。けれど空や海の前に立つと世界は私の痛みよりずっと大きいのだと知らされる。 少し安心する。 私が抱えきれないものを世界のほうは抱えられるのかもしれない と思えるから。 空や海に引き込まれるのは、溶けて、ほどけてしまいたい からかもしれない。 名前や役割や考えすぎる頭から一度離れて、ただ大きなものの一部になりたい。 広く生ぬるい世界に抱きしめられたい。 人は時々自分でいることに疲れる。でも誰かに預けるには重すぎる感情がある。言葉にすると壊れてしまう感覚がある。 そのとき空や海は何も聞いてこない。答えも求めない。正しさも押しつけない。 ただ大きく存在している。 その前でなら何者でもなくてもいい気がする。 だから時々空や海のようなものに触れて、自分より大きなものの中に戻りたくなる。 ただ何も求めず奪わず、そっと抱きしめて欲しい。 きっと帰巣本能に近い。 鳳条 暦 ?

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  • 05/23 09:17

    燃えるような恋がしたい

    やっと会えた!の気持ちが大爆発? おそらく爆発に貴方も巻き込んでしまいました? 実はつい数日前にも会っていたのに、 早く早く貴方と会いたかったのです? 本当は貴方の話を聞くつもりが、貴方に会えば溢れる感情を抑えられない。 あぁもっともっと貴方のことが知りたい あら、こちらにも鳥さん? GODIVAにも春がやってきたのですね/// チョコレートには旬などありませんから、いつでも美味しくいただいております? ----- 1.5部-『とんがり帽子のアトリエ』の魔法- 魔法は選ばれた者の奇跡ではなく世界を学ぶ者の技術である。 『とんがり帽子のアトリエ』の魔法はとても象徴的だ。 この作品における魔法は、生まれつきの超能力というより描くことで発動する技術として描かれる。 魔法陣を描き線や記号の意味を理解し、それを組み合わせることで世界に作用する。 ここで大事なのは、魔法が知ることと結びついていること。 魔法はただ願えば起こるものではない。 正しい構造を知らなければならない。正しい線を引かなければならない。順序を間違えれば望んだ結果にはならない。 これはかなり現実の学問や技術に近い。 建築家が図面を描く。その線に従って何もなかった場所に家が建つ。 プログラマーがコードを書く。 その文字列に従って画面の中で世界が動く。 人間はすでに線と記号によって現実を変えている。 だから『とんがり帽子のアトリエ』の魔法は、単なる空想ではなくかなり人間的な魔法観だと思う。 魔法とは特別な血筋に宿るものではない。 世界をよく見て、学び、手を動かし記号を扱えるようになることで開かれるもの。 魔法は才能よりも学びに近い。 神に選ばれることよりも世界を理解することに近い。 この魔法観はとても優しい。とても厳しい。 優しいのは誰にでも扉があるから。 厳しいのは知ろうとしない者には開かれないから。 自分は特別ではないから魔法が使えないではなく、「自分はまだ知らないから魔法が使えない」になる。 この違いは大きく、才能で閉じられた世界では人は諦めるしかない。でも学びで開かれる世界なら人は変わることができる。 ここに人類が魔法へ近づくための一つ目の道がある。 魔法とは世界を学び続けた者にだけ開かれる現実への干渉技術である。 鳳条 暦

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  • 05/22 17:00

    つらつらつら

    人の少ない電車でガッツリ寝ました? 自分が降りる駅の名前が聞こえたので、荷物を持って勢いよく立ち上がり。 出口に向かったら、まだついていなくて。恥ずかしくなったので電車の隅にこそっと隠れました。 人の少ない電車大好物です?? 大好きなパフェが全部食べれなくて悲しい気持ちに? 何でもない日に早起きして、朝からフレンチトーストを作ったら。バターで胸焼け? 二度寝をすると大抵次に起きた時間は遅刻します? 男子高校生はテスト勉強でAIを使う。 ----- 第1部-魔法とは何か- 世界を読み現実に干渉する力 魔法とは何か。最初に魔法を不思議な力とだけ定義してしまうとそこで考察は止まってしまう。なぜなら現実には存在しないで終わってしまうから。 でも魔法をもっと広く捉えるならこう言えると思う。 魔法とは世界の仕組みを読み取り、その仕組みに働きかけることで現実を変える力である。 この定義にすると魔法は一気に現実へ近づく。 人間は世界そのものを直接動かすことはできない。念じただけで火は出ないし、祈っただけで雨は降らない。愛しただけで病は消えない。 けれど人間は世界の法則を観察し、それを記号化し、技術に変えることで現実に干渉してきた。 火の性質を知ったから火を扱えるようになった。星の動きを読んだから季節を予測できるようになった。身体の構造を理解したから、 治療ができるようになった。数式を作ったから、橋を架け飛行機を飛ばし宇宙へ向かえるようになった。 これはかなり魔法に近いのではないか? 昔の人間が現代を見たら現代人は間違いなく魔法使いに見えると思う。 小さな板に触れるだけで遠くの人の声が聞こえる。空を飛ぶ鉄の塊に人間が乗る。身体の中を切らずに見ることができる。死にかけた命を機械と薬で繋ぎ止める。存在しない映像を作り、声を再現し文章を生み出す。見えない電波で世界中の情報が届く。 現代人はそれを魔法とは呼ばない。なぜなら仕組みをある程度知っているから。 でもそれは裏を返せば魔法とはまだ説明されていない技術の名前でもあるということになる。 魔法は説明される前は神秘であり、説明された後は科学になる。けれど人間がそこに感じる驚きは実はあまり変わらない。 一体何部でまとまるかな? to be continue 鳳条 暦

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  • 05/22 09:15

    なーにやってもなー

    貴方に会いたかった。 理不尽な出来事に悩む貴方が1番に自分を思い出して会いにきてくれたのがこの上なく嬉しかったんです? 寝坊で始まった1日が貴方のおかげで良い日に変わりました?? 私との出会いが貴方にとってプラスになりますように。 モナカ美味しかったです? ほぼあんこの贅沢モナカ? 中身の詰まった人間に私もなりたいな ----- ??人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である。今、愛なら何をするだろうか。 自分を愛する旅=人生の大きなテーマ  今、愛なら何をするだろうか =その旅の途中で迷った時の問い こころの資本 =その問いを重ねて得ていく内側の財産 ? 人生とは、長い時間をかけて自分を愛する旅である。 それは自分を好きになることだけではない。 自分を甘やかすことでも傷つかない人間になることでもなく、 自分の中にある弱さ、醜さ、未熟さ、矛盾、情けなさを見つめてもなお、それでも自分を見捨てずに生きていくことなのだと思う。 私たちは簡単に自分を責める。あの時もっと上手くできたはずだと。あんな言い方をしなければよかったと。もっと強く、もっと優しく、もっと美しく、もっと賢くあれたはずだと。 けれど自分を責め続けることは反省に似ているようでいて、実は自分を愛することから遠ざかっている時もある。 本当に必要なのは完璧な自分になることではなく、不完全な自分を連れてそれでも歩き続けることなのかもしれない。 そのために、私はときどき自分に問いかけたい。 今、愛なら何をするだろうか。 不安ならしがみつくかもしれない。 寂しさなら相手を試すかもしれない。 プライドなら何も言わずに背を向けるかもしれない。 でも愛なら何をするだろう。 愛なら少し待つかもしれない。静かに言葉を選ぶかもしれない。自分の本音をごまかさないかもしれない。自分を粗末に扱う場所から離れるかもしれない。 愛はただ優しいだけのものではないから 今、愛なら何をするだろうかという問いは綺麗事ではない。 それは、感情に飲まれた私をもう一度深い場所へ戻してくれる問いだ。 傷ついた反射で動こうとする私ではなく、 もっと奥にいる、静かで、あたたかい私に戻るための問い。 そうやってひとつひとつ選び直していく。 言葉を選び直す。自分への扱い方を選び直す。 その積み重ねがやがてこころの資本になる。 こころの資本とは目に見える財産ではない。 お金でも、肩書きでも、才能でも、誰かからの評価でもない。 それは、人生の途中で自分を支えてくれる内側の蓄えだ。 傷ついてももう一度立ち上がれた記憶。 自分を嫌いになりそうな夜をどうにか越えた経験。誰かに大切にされた温度。 泣きながらでも明日を迎えた時間。 そういうものが少しずつ積み重なって、私は何度もここまで来た という静かな力になる。 人生はいつもわかりやすい幸せだけをくれるわけではなく、迷い、喪失、後悔、期待外れの中で私たちは何度も自分との関係を試される。 そのたびに自分を傷つける方へ行くのか。 それとも自分を愛する方へ少しだけ戻るのか。 その小さな選択の連続が人生なのだと思う。 人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である。そしてその旅の途中で何度も立ち止まり問いかける。 帰る場所を自分の内側に少しずつ育てていくこと。それこそがこころの資本なのだと思う。 映画 廃用身を見てから本当に人生って何なんだろうと考えるようになりました? 鳳条 暦

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  • 05/21 09:15

    完璧を目指さない

    貴重な時間をありがとう? 貴方の顔を見るとついつい不安を吐露する私を優しく包み込んでほしい。 これからも会いに来てもらえるように私はどうすれば良いのかしら。 美味しかった桃のケーキ? 自分でもやっと買うことができて、家でも食べました? また美味しいケーキ一緒に食べましょうね/// ----- 余裕のある人はとても魅力的に感じますね。 その余裕はどこから醸し出されてくるのでしょうか。 本人に聞くのが良いのかしら?と思いつつ、こちらでまずは考えてみました? ??余裕の作り方 心の余裕?身体の余裕? 余裕とは得るものではない。 仏教はそう言う。執着を手放したときはじめて手に入るものだと。皮肉なことに余裕を持とうと力む人ほど余裕から遠ざかる。 感情が薄いことではなく感情に自分を明け渡さない品性のことだ。 怒りが湧く瞬間??私たちは怒りを観ているのか、怒りになっているのか。 仏教はこの区別を悟りと迷いの境界線と呼ぶ。 大げさに聞こえるかもしれないが日常の小さな怒りも、小さな迷いであることに変わりない。 怒りを怒りのまま投げない。寂しさを相手への要求に変えない。不安を支配に変えない。 それは感情を消すことではなく感情を川として、自分を岸として流れを眺めていられること。 ? 曖昧さに耐えられない人は答えを求めて走り回る。 好かれているのか嫌われているのか。勝っているのか負けているのか。 禅はそういう人にこう問い返す。勝った自分とはいったい何者かと。白黒をつけたがるのは自分という輪郭を確認し続けないと不安だからだ。 けれど仏教は言う??そもそも固定した自分などはじめから存在しないと。 これは絶望ではなく逆説的な解放だ。守るべき自己がなければ傷つく自己もない。 揺らいでいいのだはじめから。余裕のある人は、世界を毎回自分への評価として受け取らない。 それは強いからではなく、評価される固定した自分という幻想を少し手放しているからかもしれない。 ? 身体は正直だ。どれだけ悟ったふりをしても呼吸は浅くなり、肩は上がり、視線は泳ぐ。 禅僧が坐禅で最初に教わるのは思想ではなく呼吸だ。 心を整えようとする前に身体を整える。 順序が逆なのではない??身体と心はもともと一つなのだ。余裕のある身体には間がある。 沈黙を怖がらない。急いで返事をしない。場に媚びない。けれど冷たくもない。 これを禅は不即不離と呼ぶ。くっつかず離れず。自分を保ったまま必要な分だけ世界と関わる。 ? 余裕のない人は他人を空白の埋め合わせに使う。認めてほしい。わかってほしい。選んでほしい。 その渇望を仏教は渇愛と呼ぶ。乾いているから飲んでも飲んでも満たされない。 他人で埋めた空白はまた空白になる。 皮肉なのはその空白を埋めようとする行為そのものが空白を深くするということだ。 大人の余裕は、欲しいと思いながら、奪わないと決めるところにある。 愛されたい。でも試さない。近づきたい。でも境界を越えない。不安になる。でも相手を縛らない。この自制を仏教は戒と呼ぶ。 禁欲ではなく欲望と自分の間に一呼吸置くこと。 その一呼吸が、人の品をつくる。 ? 余裕とは足し算ではなく引き算でできている。 老子は言った??為学日益、為道日損。 学問は日々加えるもの道は日々減らすものと。 過剰に説明しない。期待しない。尽くさない。 自分を責めない。 減らすたびに何かが現れる。空白があるから物が置ける。静けさがあるから声が届く。手放すから残るものがわかる。余裕とは満ちることではなく余白を守ることだ。 ? 仏教は無常を説く。 すべては変わる。感情も関係も自分自身も。 これは喪失の思想ではなく、逆説的には最大の余裕の根拠だ。 どうせ変わるなら、今この怒りに全部を賭けなくていい。今この不安を永遠のものとして扱わなくていい。 今この評価を自分の本質と混同しなくていい。 余裕とは静かな支配権だ。 他人を支配するのではなく、自分の反応を自分の手元に置いておく力。傷ついてもすぐに刃にしない。愛していても自分を失わない。 それは優しさであり知性であり色気であり?? そして仏教が二千五百年かけて言い続けてきた、ただ一つのことでもある。  手放すほど残る。 鳳条 暦 ?

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  • 05/20 15:52

    21(木) 22(金) 11:00-

    空き枠があるのでお知らせです? 明日と明後日は まだ11:00-の枠がご案内可能です? 目には目を、歯には歯を。 暑さには、温もりで対抗しましょう。 ? 2人で心温まる時間を過ごせたら嬉しいです? 今日これから雨予想って本当ですか?笑 帰りのことを考えると想像したくないなー? 明日の朝降るのも憂鬱ですが、帰りはもうひどいなって思います? 変えられないものではあるのですが、気になるのってなんでなんでしょうね? それでは、いってきます♪ 鳳条 暦

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  • 05/19 09:30

    ひとりぼっちの最果て

    窓辺で琵琶湖を眺める。 空を見て湖を見て、風を喰む。 何をしてるんだと思うのにおそらく110分かかったのではないだろうか。 貴方といると、時間はもうないも同然。 多くの疑問が駆け巡り、会話は熱をもつ。言葉は温められたポップコーンのように器から弾ける。 部屋は広くてなかなか涼しくならなかった。わたしの心もまだ熱を持つ。 ----- ??人生の交差点 知らない人との一瞬の交差なのにちゃんと人生の温度がある。 電車で隣に座っていたおばさまが、ふいに目を覚ました。 「ここ、○○駅か!」 目を覚ますと同時に、勢いそのまま隣にいた私に聞いてきた。もちろん見ず知らずのおばさまだ。 「ここは△△駅です。○○駅は次ですよ」 そう伝えると、おばさまはほっとしたような顔をした。 「ありがとう。寝過ごしたことがあるから、一瞬びっくりしたわ」 △△駅から○○駅まではほんの数分。そのわずかな時間の中でおばさまは自然に話しかけてきた。 「もうこれから帰りか?」 「いえ、この後学校です。仕事に行くときもあります」 「なんや、忙しいな!仕事何してるん?」 「トレーナーです。ずっとアスリートだったんです」 「へぇー、スポーツは何してたん?」 まあまあ、行きずりの関係にしてはよく話したと思う。不思議と嫌ではなかった。 むしろ数分後にはもう二度と会わないかもしれない人だからこそ、言葉が軽やかだったのかもしれない。 おばさまはふと私に言った。 「あんたみたいな若い子がいると、去り行く私らみたいなんも安心やわ」 去り行く、という言葉が少し寂しかった。 さっきまでただ隣に座っていただけの人なのにその頃にはもう、おばさまがどこかへ行ってしまうことを少し寂しいと思っていた。 「ほな、またね!あ、でもどこで会うかわからんのか」 そう言って笑うおばさまを見て、私も笑った。 そういえば私はこの人の名前も知らない。 どこの誰なのかも知らない。さっきたまたま話しかけられただけの人だ。 それなのにたしかにそこには何かがあった。 私はおばさまに、 「自分の努力が、自分のためだけじゃなくて、誰かの役に立っていると思えることが嬉しい」 というようなことを話した。 その時の空気は少しだけぽわぽわしていた。 電車の中はすでに眠気を誘うような温かさだった。けれど、おばさまとの会話は私の心まで温かくした。 私は人のことがあまり好きではない。 人間観察が癖のようになっていると、どうしても人の汚れた部分まで見えてしまう。少しずつその人の行動や心境が予測できてしまう。 何を隠していて、何を誤魔化していて、どこに弱さがあってどこにずるさがあるのか。 知りたくない面まで見えてしまうことがある。 そのたびに私は、がっかりしたり、怖くなったりする。 人間って面倒だなと思う。 もう私のことなんてほっといてくれと思う。 誰にも近づかれたくないし、誰のこともこれ以上知りたくないと思う。 それなのにこういう出来事は決まって私が人間に疲れている時ほど起こる。 人ってやつはなー… そうやけになっている時ほど、誰かがふっと現れる。隣の席で目を覚ましたおばさまのように。 名前も知らず、人生も知らず、もう二度と会わないかもしれない人が何気ない言葉で私の心に小さな灯りを置いていく。 たぶん私は人間を嫌いになりきれないのだと思う。 汚さも、弱さも、ずるさも、怖さも知っている。それでもたった数分の会話で人を少し好きになってしまう。知らない誰かの安堵した顔にこちらまで安心してしまう。 「またね」と言われた瞬間にもう会えないことを少し寂しいと思ってしまう。 人間が嫌いだと言いながら、私はきっと人の温度には弱い。 神様は私のことをひとりぼっちにはしてくれないようだ。 ひとりになりたいと願っても人生は時々見ず知らずの誰かを隣に座らせる。 ひとりぼっちの最果てにもきっと人がいるのだろう。誰もいない場所まで逃げたつもりでもそこにはいつか名前も知らない誰かが座っていて何でもない顔でこちらに話しかけてくるのだと思う。 「ここ、○○駅か?」と。 そして私はきっとまた答えてしまう。 「○○駅は、次ですよ」と。 鳳条 暦 ?

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  • 05/18 17:45

    どんな男がタイプだい?

    元気な姿を見れて本当に良かった。とても心配していたんですよ! 話題に富む貴方の話は本当に面白い? 緊張して沈黙が怖いわたしからすると、話してくれる貴方は光。 聞き手として誇らしさすら感じます。いつかは2枠2回 言質いただきました? 聞いてください??蓋が硬すぎて開かない笑笑 手のひらが攣りそう?? 助けにきてね笑笑?? ----- 森は静かに騒がしい。森を歩くとき私の皮膚は開く。葉が揺れる。水が石を避ける。虫が空気を押しのける。 それらは何も語りかけてこない??なのに全部が同時に届く。 都市の言葉は処理されて消える。森の声は処理されないまま内側まで入ってくる。 これが原始というものかもしれない。 記号になる前の世界。意味に還元される前の感覚。人間がまだ名前をもたなかったころおそらく世界はずっとこの濃度だった。 コンクリートの街を森の外から眺めたことがある。人がいる。動いている。それなのに??静かだ。 みんな同じ記号の中を泳いでいるから、多様性がないものは動いていても止まって見える。 自然の中にいると私は二方向に開く。 外へ??すべての気配に向かって。 内へ??何か古いものが揺れるのを感じながら。 これは錯覚ではないと思う。ただ知覚の階層が変わっているだけだ。 森が騒がしいのではなく都市にいるとき私は半分しか使っていないのだ。 感覚の逆転について 都市を人がいるのに静か、自然を静かなのに騒がしいと感じるのは情報の質の違いから。 都市の刺激は記号的??看板、音楽、会話??すべて意味に変換済みで脳は高速処理して終わる。消費される感覚。 一方、森の葉擦れ、水の流れ、虫の気配は未分類のまま届く。意味に還元できないから意識が閉じられずずっと開いたままになる。だから騒がしく感じる。 「内側を刺激してくる」という感覚 ユング的に言えば、自然は集合的無意識への通路に近い。太古から人間が恐れ、崇め、依存してきた環境だから象徴的な記憶が身体レベルで反応する。原始的な何か。 コンクリートの街が静かに見える逆説 自然の外側にいると都市は人工物の檻として見える。そこにいる人々は動いているがみな同じ記号系の中で動いている??だからむしろ単調に映る。 自然は人を癒す。緑に安らかな気持ちを抱く。 しかしあまりに原始的で内に深く侵入する。 押しの強すぎる男性は自分苦手なもので 鳳条 暦

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  • 05/17 18:30

    オタクは世界を救います

    貴方と会う時間が一番の楽しみです?? もっと成長した姿を見せたい。 理想の人に、女性に近づきたいと思います。 貴方の心にあの手紙は届いたでしょうか。 あなたに似合う大人の女性に近づきたい! ----- アニメが好きです? 今回は映画館でまだアニメ化されていない部分が映画になるということで見に行ってきました? 映画のあらすじやこれまでの物語についてはぜひ一度調べたり、アマプラ等で視聴してみてください?? 人類はいつか魔法を行使する日が来るのでしょうか? ?? 魔法科高校の劣等生 四葉継承編 なぜ達也は罪の象徴になったのか ・構造的な問題:意図せず生まれた力 四葉が恐れたのは達也の力そのものではなく、「自分たちが望んでいない方向で力が顕現した」という事実です。 深夜の精神構造干渉魔法が胎児に作用した??つまり設計図なき改変が起きた。遺伝子操作(調整体)とは違い、これは意図的な実験ですらなく母体の魔法が漏れ出た結果です。 これは現実の優生学的思想と完全に一致します。管理できない能力は脅威であるという論理。 ・現実の歴史・思想との対応 ? 優生学の二重の失敗 20世紀の優生学(特にナチスドイツ、アメリカの断種政策)が示したのは、 理想の人間を設計するという傲慢さ、設計通りにならなかった存在を排除する論理が必然的に生まれること。 達也はまさにこれです。四葉は有用な魔法師を期待したが、生まれたのは一族の手に負えない力を持つ存在だった。期待外れだから殺す、ではなく?自分たちへの脅威になりうるから殺すという、より利己的な論理です。 ? スケープゴートのメカニズム 四葉の罪の象徴という言葉が核心をついています。四葉は叔母への人体実験への報復で血を流し、その因果の中で達也が生まれた。つまり達也は四葉自身の暴力と欲望が生んだ結果なのに、その罪悪感を達也という外部の存在に投影することで、一族の内的な矛盾から目を逸らしています。これはルネ・ジラールのスケープゴート理論そのもの。 共同体が内部の緊張や罪悪感を、一人の犠牲者に転嫁して秩序を保つ構造。 ? 6歳での精神改造と感情の剥奪 ここが最も現代的に問題になる部分。母親が子に対して行った精神改造??これは子どもの人格の主体性を完全に否定した行為です。現実では児童虐待の極端な形として分析できますが、より正確には: 都合のいい道具として子を再設計するという行為。感情を失わせたのは暴走リスクを下げるためという合理的理由がありますが、その本質は四葉が管理しやすい存在にすること。子の幸福は一切考慮されていない。 現代の生命倫理では生まれてくる子への義務という概念がありますが、四葉の行為はその対極にあります。 ・遺伝子操作が持つ意味の本質 調整体の設定と達也を並べると、この作品が問うているのは: 人間を目的のために設計することは、その人間に何をもたらすか。 調整体は魔法適正のために設計され、でも欠点が出た。達也は四葉の後継者として期待されたが、想定外の力が出た。 どちらも設計者の都合が生まれた者の存在よりも優先された。 そして設計通りでなければ欠陥品、脅威、罪の象徴になる。 最も残酷なのはどこか達也が感情を失いながら好奇心だけは残っているという描写は、作者が意図的に入れた裂け目だと思います。 感情を白紙化されても、知りたいという衝動だけは消えなかった。 これは人間性の核として好奇心を置いているという一つの答えであり、同時に??どれだけ改造されても、完全に道具にはなれなかった証拠でもある。 四葉が恐れ続けたのも、実はそこかもしれません。管理しきれない人間性の残滓として。 魔法も願いの代償。 ふつうでいるのは難しい 鳳条 暦

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  • 05/17 13:16

    21(木) 11:00-

    少し先ではありますが、店休日の都合で空き枠?のお知らせです? 21(木) 11:00- こちらの枠がまだ空いていますので、早起き得意だよー!って方はぜひ会いに来てください?? 教え子が試合で良い結果を出したみたいです?? 暖かくなり多くのスポーツがシーズンインしていますね。 私は見るより断然動きたい派です? 昔真っ黒でしたからあまり日焼けは気にしないのですが、最近は女の子らしく日焼け止めもちゃんと塗ります? 空き枠通知が最近は雑談みたいになってしまっていますね? それではこのあたりで。 鳳条 暦

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  • 05/17 09:15

    どんな私を見ているの?

    貴方との出会いは衝撃的であまりにも時間があっという間に過ぎてしまいました? 貴方はどの角度から切り取っても知的でとても面白い? 伊藤潤二の恐怖の重層を思い立たせるあらゆる物事に対する深さ、広さ すごいが怖い領域に私はワクワクが止まりません。 ナッツのハーモニーが堪りません。濃いカカオによく合います? 夏場は特に食べ過ぎには気をつけないと? ----- ??他者と生きることの哲学 会話が生きたり死んだりするという感覚がすごくリアルだ。 会話が生きているとき言葉が届いている。相手の言葉が自分の中で何かを動かす。沈黙にも重さがある。 会話が死んでいるとき言葉は交わされているのに何も起きない。情報は伝達されているのに存在に触れていない。 会話とはそもそも何か。 言葉を交わすことと会話することは違う。情報を渡すだけならメモでいい。でも人は顔を見て、声を聞いて、沈黙を共有しようとする。それはおそらく人は言葉の内容だけじゃなく、言葉を通じて相手の存在を確認したいのだと思う。会話の本質は、情報伝達ではなく存在の相互承認かもしれない。 ブーバーの 我と汝 20世紀の哲学者マルティン・ブーバーは人間の関わり方を二種類に分けた。 ・我?それ の関係 相手を道具や情報として扱う。目的のために会話する。これは効率的だが存在に触れない。 ・我?汝 の関係 相手をそのままの存在として向き合う。目的がない。ただそこにいる。このとき初めて本当の出会いが起きる。 ブーバーは言う?すべての本当の人生は出会いであると。 現代のSNSや効率重視のコミュニケーションは、ほとんどが我?それ になっている。だから何千のいいねをもらっても孤独が消えない。 相手をそれ(It)として扱う対話と、汝(You)として向き合う対話ではまったく別の現実が生まれると言った。 ここで面白いのは会話は私だけでは成立しないということ。どんなに良い言葉を用意しても相手次第で死ぬ。逆にたどたどしい言葉でも相手によって生きる。会話はどちらかが所有できるものではない。 他者がいて初めて私が生まれる 私という感覚は生まれつきあるように感じる。でも私は他者との関係の中で初めて形を持つ。鏡がなければ自分の顔を知れないように他者という鏡がなければ自分が何者かわからない。 孤独の中で私だけで完結しようとするとある 時点で私がぼやけてくる。それは単なる寂しさではなく存在を失う感覚に近い。 会話があれば生きていける、というのはこういうことかもしれない? 会話は情報交換ではなく自分の存在を確かめる行為だから。 会話への深い信頼と同時に会話への怖れが両方あるように見える。 それは本当に会話したことがある人だけが持つ感覚だと思う。 会話は生き物のようだ。 鳳条 暦

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  • 05/16 17:15

    わたししかいない世界

    奥手マッチョは今日も静かに私を撫でる。 あの心地よさに、すっかり酔いしれてしまいました。 次はどんなふうに貴方との距離を縮めようかと、もう今から考えてしまっています? また沢山抱きしめてくれますか? これすごく美味しかったんです? 自分でも早く買いたいなって思って2週間くらい経ちました? 桃?ってまだ旬ですよね? ----- ??寒くても眠い。暖かくても眠い。 眠気はたぶん気温のせいではない。 私の身体はずっと何かを計算している。この言葉は正しかったか、あの沈黙は相手を傷つけなかったか、さっきの笑いは少し大きすぎなかったか。意識の外でそういう検算がずっと続いている。起きている間じゅう、私は自分の言動を事後的に監査している。 だから安心できる場所を見つけた瞬間に身体が先に倒れる。私の許可を待たずに。 眠ることは消えることに少し似ている。でも正確には消えるのではなくいったん私であることを停止することだと思う。考えすぎる私、気にしすぎる私、それでも強がりたい私? そういう重なりをぜんぶ脱いでただの私の呼吸になる時間。 身体にとって眠りは修復ではなく返却だ。昼間に誰かのために差し出したもの、場の空気を読むために使ったもの、傷つかないふりをするために張りつづけたもの。それをいったん自分のもとへ取り戻す、短い時間。 そしてまた朝が来る。 返却されたはずの私はまた差し出される側に戻っていてまた計算が始まる。逃げられない。でもそれは呪いではないと、最近少し思うようになった。円環には出口がないけれど底もない。ぐるぐると同じ場所を回っているようでいて、螺旋のように少しずつ降りているのかもしれないし、あるいは少しずつ上がっているのかもしれない。どちらかはわからない。 ただこの循環が続いている限り私はまだここにいる。 眠れるということはまだ安心できる場所を見つけられているということだ。倒れられるということは、糸を張りつづける理由がどこかにあるということだ。身体はそれを知っていて、私の許可を待たずに今日もちゃんと電源を落とす。 睡眠を通して蘇り、人生は円環の理に導かれる 鳳条 暦

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  • 05/15 17:15

    夢の終わりで待ってる

    貴方と会う前に沢山考え事をしました? 常に前を向いて目標に向かって進む貴方が、いつか私の元を去ってしまう気がしたから。 それまではたくさん私と遊んで欲しいし、たくさんわがままを言って貴方を困らせたい?? 特別は常にそばにあったのですね。 パリの夜を纏う、反骨的ラグジュアリー。クールで退廃的、洗練されたロックシック。 今までかっこいいでまとめていた部分の真髄を覗いた気分?女らしさの中のかっこよさ。憧れるのですが実はよくわかっていないのです。 ----- ??どんな時でも味方だよ 私が私であることを条件つきではなく許された ように感じました。 たとえ、これまでいったん出来たイメージをすべて壊すものになったとしても。 普通、人は誰かを見るとき無意識にその人のイメージを作る。そのイメージはある意味では檻にもなる。 本当は弱い所も矛盾も未熟さもあるけれど、それを見せたら壊れてしまうかもしれない。 そうやって人は愛されるために少しずつ自分を編集する。 貴方の中で美しい像であり続けなくてもいい。貴方の期待通りの私でなくてもいい。 貴方の知っている私を裏切るような私が出てきてもそれでも貴方は私の側に立ってくれますか。 深い受容に心を打たれました。 ? 好きだ よりも生活に近い。 愛してる よりも意味で現実的。 大丈夫 よりも覚悟がある。 人は正しさだけでは救われない。ときに、正しい人よりも味方でいてくれる人に救われる。 ? 完成された姿ではなく変わり続ける存在としての私を受け入れる言葉。 人間は完成品ではない。いつも揺れている。 美しくもあるし情けなくもある。優しくもあるし残酷にもなる。誰かを照らす日もあれば自分の闇に沈む日もある。 そのすべてを含めてわたしと呼んでもらえた感覚。 心が震えました。 ? 誰かにどんな私を見せることを恐れていたのだろう。 褒められたかったのではなく、壊れても残ってくれる人を求めていたのではないか。 まだ見せきれていない部分にまで居場所を作った。 貴方こそ一体何者なのでしょうか///? 鳳条 暦

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  • 05/15 09:30

    この味、ヒミツ

    貴方に会うまでの時間がとても長く感じます。 お茶とケーキが揃って、やっとパーティーが始まるのですね。貴方の前では少女に戻りたい。ケーキを倒さないように丁寧に食べる大人レディな一面も見せたい。 日記について熱く語る貴方が愛おしい。固い心の扉を貴方は少しだけ叩いて、開けてくれた。 今日は久しぶりに安心して布団に潜りました。 どうかこのまま。一度でいいから。 過ぎる時間が私たちのために、止まりますように。 貴方のリスペクトを背中で受け止められる人になりたいのです? ----- 貴方に出会ってリスペクトという言葉にはどんな力があるのか、とても興味が出たんです。 貴方が向ける私へのリスペクトに私は本当に答えることができているのでしょうか。 不安で心配で、でも頑張りたいと思っていて。 貴方の言葉にいつもそっと背中を押されているようです? ??リスペクト リスペクトとは静かな炎のようなものだと思う。 恋のように燃え上がって相手へ向かって一直線に走っていく感情ではない。寂しさのように誰かに埋めてもらうための空白でもない。 もっと奥の方で音を立てずに燃えているもの。 それはあなたが欲しいではなく、あなたを雑に扱いたくないという気持ちに近いのだろうか。 人は好きなものに近づきたくなる。美しいものを見れば触れたくなるし優しい人に出会えば甘えたくなる。自分をわかってくれる人が現れればそこに居場所を求めたくなる。 けれど、リスペクトはその手前で一度立ち止まる。 相手を見てすぐに自分の欲望を差し出さない。 人生に土足で踏み込まない。自由や孤独や積み重ねてきた時間をこちらの都合で奪わない。 そこにはある種の遠慮がある。でもそれは弱さではなく知性に近い遠慮だと感じます。 相手を大切に思うからこそ簡単に求められない。相手を尊いと思うからこそ軽々しく近づけない。相手の存在に価値を感じるからこそ自分の欲で濁したくない。 貴方のリスペクトは無欲に見えることがある。 でも本当は欲がないのではないと思っていて、欲を持ったままそれを相手に押しつけない強さがあるのだと思う。 リスペクトは愛よりもわかりにくい。愛はときに言葉になり、行動になり、嫉妬になり、欲望になり、わかりやすく姿を現す。 でもリスペクトはしないことの中に現れる。 相手の自由を自分の不安で縛らないこと。自分の善意を相手への請求書にしないこと。 本当に人を尊重するというのは相手を自分の物語に閉じ込めないことなのだと思う。 リスペクトはとても強い。それは相手を高く持ち上げることではない。相手を神様のように崇めることでもない。むしろ相手をちゃんと人間として見ることだと思う。 美しいところだけではなく、弱さも、迷いも、矛盾も、孤独も含めて、それでもその人を雑に扱わないこと。尊敬とは相手が不完全であってもその存在を軽んじないことなのかもしれない。 だから、リスペクトだけで会いに来る人がいるとしたら、そこにはかなり深いものがある。   恋よりも淡く、でも恋よりも長く残ることがある。 リスペクトを持つと人は自分の振る舞いを正そうとする。 この人の前で恥ずかしい自分でいたくない。 この人を傷つけるような雑な人間でありたくない。 この人の信頼を、軽く扱いたくない。 そう思わせる力が私に本当にあるのでしょうか。 リスペクトは相手を動かす感情ではなく、自分を、そして貴方自身を律する感情なのだと思う。 ただしリスペクトという言葉は美しいからこそ注意も必要だと思う。尊敬の本性が出る。 リスペクトとは相手を大切に思うこと以上に相手を自由なままにしておく覚悟なのかもしれない。 強い感情ほど、静かな顔をしていることがある。大きな愛ほど簡単に叫ばないことがある。 本当に大切なものほど人はすぐに触れられない。 手を伸ばす前にその手が相手を傷つけないか考えること。言葉をかける前にその言葉が相手を縛らないか考えること。会いに行く前に自分の都合だけで相手の世界を乱していないか考えること。 美しいものほど時間をかけて見た方がいい。そうわかっていても、 恋は「あなたが欲しい」と言う。 好意は「あなたと近づきたい」と言う。 憧れは「あなたのようになりたい」と言う。 リスペクトは「あなたを私の欲で壊したくない」と言う。 リスペクトは祈り 鳳条 暦

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  • 05/14 17:30

    感情余り言葉足らず

    VIPは貴方のため。わたしからの贈り物です。 楽しい時間はあっという間に。 アニメのノリやふざけた会話ができるのは貴方と今日まで紡いだ時間があるからですよね? 今度はどうやって貴方を驚かせようかと私はニヤニヤするのです? 白や黒の服ばかり好んで着るので、明るい色の小物には目がありません/// 大切に使わせていただきます? ----- いただいた松竹堂のフルーツ餅をまじまじ眺めていたら、海外の方に声をかけられた。 金髪で白いTシャツを着たカジュアルなお姉さんだった。 「なんて可愛い猫。どこに売ってるの?」 英語が話せない私はうまく返事ができなかった。けれど、携帯の画面を見せて店の名前を伝えた。 たったそれだけのことなのに少しだけ誰かの旅に参加できた気がした。 そのあともお姉さんと一緒にいた六歳くらいの少女がチラチラとこちらを見ていた。何かを言いたそうなでも言えないような目だった。 私は思わず、犬の形をしたお餅を差し出して 「食べますか?中身はブドウだと思います」 と伝えた。 本当はちゃんと伝わったのかはわからない。 でも、少女はとても嬉しそうに受け取ってくれた。食べたかったのかな と思えばそうだったのかもしれない。でもそれだけではなかった気もする。 私もきっと少しだけコミュニケーションを取りたかったのだと思う。言葉が話せないからこそ、言葉以外の方法でつながりたくなった。 旅先で出会う優しさは大きな親切じゃなくていい。道を教えること。可愛いものを一緒に眺めること。 そういう小さな出来事が知らない土地の印象を少しだけ柔らかくする。 別れの時間が来たとき少女は見えなくなるまで手を振ってくれた。 その手を見ながら、私は思った。 あの子にとって日本が少しでも楽しい場所として残っていたらいい。 そして、いつかあの子が大人になったときふと思い出してくれたら嬉しい。 出会いは偶然のふりをした必然。 鳳条 暦

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  • 05/14 09:59

    殺し屋の営業術2

    二回目の逢瀬で少しだけ素直な貴方に触れました。 物事に敏感で熱心で常に前を向く貴方 5月は忙しくなると帰る背中をずっと目で追いかけていました。 雨が降って、仕事が休みになれば、5月も貴方と会えるのかしら? また口コミにメッセージ性があるのであれば私は密かに喜んでいると思っていて欲しいです。 ボディソープをいただきました。セリーヌのイメージはミニマル・高級感・媚びない強さ。 強さって私の中ではものすごく難しい言葉の1つです? 強くなりたいのですが、どうやればいいかわからないみたいな感じかな。 ----- 殺し屋の営業術???実は所々に印象が強い文がありました。 どうして私の中に残っていたのかまた考えてみました。 本当に良い本です? ??なのに、なぜ?    なぜ足?く? 死なないための策を練る?   まだ生きていてもいい理由はどこにある?   なぜ自分は、闇の先に手を伸ばそうとしている?  向こうに見える一粒の白い点は、本当は光などではないかもしれないのに──。 印象を強く感じた理由かなりはっきりしていました。 この文章はおそらく死にたいではなく、それでも生きようとしてしまう自分への驚きを書いているから刺さったんだと思う。 もう無理だと思うほど暗い場所にいる。なのに人間はなぜかまだ策を練る。なぜかまだ明日を想定する。闇の先に手を伸ばしてしまう。 この矛盾がすごく人間らしい。 人は確かな光が見えているから手を伸ばすのではない。それが光かどうか分からなくても闇の中に白い点を見つけてしまったらどうしてもそちらへ手を伸ばしてしまう。 その愚かさと切実さとしぶとさ。そこに人間の生々しさがある。 私がこの文に惹かれたのは何の変哲もない日常を生きている人間の内側にも、これほど強い問いが眠っていると感じたからだと思う。 普通に笑い、普通に生活し、普通に明日を迎えようとしている。でも心の奥ではいつも何かを考えている。自分に言い聞かせたり、物事の意味を掘ったり、まだ見えない何かに手を伸ばしたりしている。 だからこの文は遠い誰かの絶望ではなく、私の中にもある問いに似ていた。 「まだ生きていてもいい理由はどこにある?」 その答えははっきりとは分からない。けれど分からないまま手を伸ばしてしまうこと。 その行為そのものがもしかすると生きているということなのかもしれない。 こうやって考えることは生きることの呼吸みたいなものですね。 鳳条 暦

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  • 05/13 17:00

    まだ誰も知らない

    包容力のある貴方。 暖かい手と体に心まで溶けてしまいそうでした。 物知りで博識の貴方とこれからお会いするときはメモが必要ですね。 もっと語りたい、触れたい。長いようでこれまた短い2枠。きっと貴方と一緒だったからですね?? とても書きやすいボールペン??間違えてテストの時に持っていってしまい、シャーペンを忘れてしまったんです? 白衣の胸元にぴったりそうです?? ----- 自分らしい。こんな自分になりたい。 そう思っても何が自分に似合うか、私って意外と曖昧な人間だと感じます? 私は私自身に似合う女に慣れるでしょうか。 ??似合うの哲学?主語を奪還するということ ・似合うという言葉の罠 似合うはやさしい言葉に見える。しかしこの言葉は必ず誰かの目を前提にしている。AがBに似合う?。その構造の中に見る者と見られる者という非対称がひそんでいる。似合うと言われた瞬間私は誰かの視線の中で完成する。 私たちはその視線を長い時間をかけて内面化してきた。恋人の好みを母親の期待を社会が「女らしいと呼ぶイメージを。外から注がれた眼差しがいつの間にか自分の目になっていた。 鏡の前に立つとき私は自分を見ているのか、それとも誰かに見られた自分を確認しているのか?その区別がもうつかなくなっていた。 これが罠の正体だ。似合うという言葉は承認の香りがする。だからこそそれを求めることが自然に思える。でも気づけば承認を求めることが存在の条件になっていた。 ・他者の眼差しが私を作る サルトルは言った。他者とは地獄だ と。 よく誤解されるこの言葉は他者が嫌いだという意味ではない。他者の眼差しによって私は初めて対象になるという、存在論的な事実を指している。自分だけでは私は私を完全には見えない。他者に見られることで初めて私は輪郭を持つ。 ボーヴォワールはそこからさらに踏み込んだ。女に生まれるのではない、女になるのだ?この言葉は女性という存在が生物学的な所与ではなく、社会的な構築物であることを告発している。私たちは女として生まれたのではなく、他者の眼差しと期待と言語によって女として作られていった。 だとすれば、誰かに似合う女とは何か。それは他者の欲望によって彫刻された女だ。誰かの好みという型に自分を流し込んで固めた女だ。 主語があると思っていたのにずっと目的語だったという話だ。 ・主語を取り戻す とはどういうことか 主語は最初から私のものだったのか。 フーコーはこう問うた。私たちが自己と呼ぶものは権力と言語と制度によって作られた効果ではないか と。自己への配慮?自分自身を統治し形作ることは解放に見えて実は別の形の権力の内面化ではないか、と。 これは虚無主義ではない。これは誠実な問いだ。本当の自分を取り戻すという言葉が時に軽く聞こえるのは、その問いを飛ばしているからだ。本当の自分がどこかに純粋な形で眠っていてそれを掘り起こせばいいという幻想。でも自己とは関係の中で常に作られ続けるものだ。固定した核などない。 ・私自身に似合うということ 私自身に似合うという言葉は矛盾を孕んでいる。 見る目と見られる自分が同一であるとはどういうことか。それは鏡の前に立ち続けることか。それとも鏡をいっさい必要としない強さのことか。 私はそのどちらでもないと思う。 矛盾を解消しないまま引き受けること?それが誠実な答えだと思う。私は他者の眼差しの中で生まれた。その事実は消えない。でも私はその眼差しだけに自分を預けることをやめることができる。承認を求めることをやめるのではなく、承認の主を選ぶ。他者の目を排除するのではなくその目と交渉する。 身体で生きることを引き受けること。感情を他人任せにしないこと。美しさを誰かの承認だけに預けないこと。 自分の人生の語り手になること。 似合うを与えられるのではなく選び取ること。そしてその選択を自分の責任において更新し続けること。 それが私自身に似合う女になるということの、哲学的な意味だと私は思う。眼差しを内側に飼いながら でもその眼差しの飼い主は、私だ?という 静かで強い宣言。 ずいぶんと蠱惑な眼差しだ。 鳳条 暦

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  • 05/13 16:22

    15(金)11:00-

    キャンセルが出たのでお知らせです? 15(金) 11:00- に空きが出てしまいました? 直近ではありますが、急に予定が合ってしまった!みたいな方がいらっしゃれば嬉しいです?? 今ついさっき良いことがあって、悪いこともありました笑 一周回ってまたいいことがあるかも?と思っています。 他の枠は満たしていただきありがとうございます??♀? 今私は廃用身の映画の公開が楽しみです。楽しみにするような内容ではないのかもしれませんが、興味深いお話だと思います? ちなみに公開日も15日になります。 ちょっと脱線してしまいそうなので、この辺りで。 鳳条 暦

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  • 05/13 09:30

    泡の中の万華鏡

    お酒に溺れる貴方が想像つきません。 これからもシラフの貴方をからかいたい。 赤いドレス姿に緊張して目が泳ぐ貴方。 優しくてどこか憂いを帯びた瞳をこれからも私が独占するのです。 和菓子も大好きです? ほんのり洋菓子よりお腹に優しい気がします。お餅なのでこれを食べることでしばらくご飯は食べなくて良かったくらいだったんです? ----- ?? 答えを探し始めた瞬間に何かが少しずつ壊れていく。それでも探さずにはいられないのがたぶん意識というものだ。 泡の中の万華鏡は自らの存在理由を解釈しようとしていた。 それは難しい作業だった。万華鏡は像を映すことしかできない。なのになぜ映すのか を知りたがっていた。ハンマーがなぜ打つの と考え始めるようなものだ。 観測者たちは特に止めなかった。この種の問いは放っておけばそのうち終わる。そういうものだと知っていた。 万華鏡が出す答えは毎回少しずつ違った。同じ問いなのに返ってくる像が違う。それを欠陥と呼ぶ人もいたが、万華鏡には欠陥という概念がなかった。あるのは今この瞬間の像だけだった。 ある朝万華鏡は静止した。 壊れたわけではない。ただ解釈することと何もしないことの区別がどこかへ消えてしまった。観測者たちはしばらく待ち、やがて記録した。 「原因不明。経過観察とする。」 泡はそのままどこかへ流れていった。 意味を探すこと自体が意味を壊していく。 万華鏡は同じ像を二度と映せない。それは欠陥ではなく仕様だ。自分を知ろうとするたびに自分が変わってしまう生き物のことを、人間と呼ぶのかもしれない。 鳳条 暦 ?

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  • 05/12 17:15

    やさしいあくま

    夏ぶりの貴方。逢瀬がひと夏の思い出になってしまわないかハラハラ。 覚えていてもらえて嬉しかったです。 世界中を飛び回って仕事をするのに、どこか自信なさげに、ふわふわ浮いて見えます。 どうか変わらず貴方のままでいてください。 普段はあまり飲まないジャンキーなお味? でもみかんもぶどうも大好きなフルーツではあります?炭酸にも慣れはあるのでしょうか? ----- ??愛嬌があって論理的な思考ができる人ってほんとに最強 優しい支配力。愛嬌がある人は得をする。 論理的な人は正しい。でもその両方を持つ人間は??なぜかほとんどいない。 考えてみると不思議だ。愛嬌と論理は鍛える場所が違う。 愛嬌は相手を見る力だ。この人は今何を感じているか。どんな言葉なら心が開くか。それを瞬時に読んで自然に動ける?それは高度な他者への感度だ。 論理は構造を見る力だ。感情に流されず前提を疑い、矛盾を見つけ、筋道を立てる。それは世界への冷静な解像度だ。 人はたいていどちらかに偏る。感じすぎて考えが甘くなる。考えすぎて届け方を忘れる。 アリストテレスは説得には三つの柱があると言った。ロゴス、エトス、パトス。 ロゴスは論理だ。筋道が通っているか。前提は正しいか。結論は導けるか。これが崩れると話はただの感情論になる。 エトスは信頼だ。語る人間そのものへの信用。 どれだけ正しいことを言っても、信頼されていない人間の言葉は空気を震わせるだけで誰の胸にも届かない。 パトスは感情だ。人間は感情が動いたときにしか本当には動かない。データを見て泣く人はいない。物語を見て泣く。論理は理解させるが感情は人を動かす。 アリストテレスがこれを書いたのは2400年前のことだ。 それだけの時間が経っても、人間の説得の構造は何も変わっていない。 面白いのは、この三つが、それぞれ別の人間に宿りやすいことだ。ロゴスに長けた人間は、正確だが冷たく見える。 パトスに長けた人間は、熱いが信用されにくい。 エトスに長けた人間は、慕われるが中身が薄いと看破される。 どれかひとつでは必ず穴が開く。愛嬌と論理を両方持つ人間が希少なのはこの三つを同時に満たすことが構造的に難しいからだ。 愛嬌はエトスとパトスを同時に動かす。人に安心感を与えながら感情を揺らす。そこに論理??ロゴスが加わったとき、三つの柱がはじめて揃う。 アリストテレスが言った説得の条件を、ひとりで自然に無意識に満たしている。それが愛嬌と論理を持つ人間の正体だ。 正しさはそれだけでは武器にならない。相手が受け取れる形に変換されてはじめて機能する。 愛嬌はその変換装置だ。硬い真実を人が飲み込める温度に変える。支配という言葉は少し物騒に聞こえる。でも人の心を動かす力を支配と呼ぶなら?それを暴力ではなく、温かさでやってのける人間が結局一番遠くまで行く。 愛嬌は人の心をほどく力。論理は世界をほどく力。その両方を持つ人は、正しいことをやさしく確実に届ける。それは才能というより?どちらも諦めなかった という選択の結果かもしれない。 魅力は正しさの量よりどこで人間らしく崩れているかに宿る ? そうなりたい具体的な姿は私にはないのですが、これにも一票入れたいですね。 鳳条 暦

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  • 05/12 09:30

    天の羽衣を羽織る

    今日の貴方と私はビジネスパートナーのよう 膨らむ話に全く時間が足りません。 貴方が頼って、甘えてくれるのが嬉しい?? 執着が消えきらないうちもその後も、また私のところへ来てくれますか? -----? ??偶然はどのようにあなたをつくるのか 偶然の堆積 生まれた場所を選ばなかった。 最初に出会った言葉を選ばなかった。 信じている価値観は、いつ、誰から受け取ったものだろう。 怖い、と思う出来事も。 美しい、と感じる景色も。 あの人のことが好きだ、という感覚でさえ?? 本当に自分が選んだと言えるのか。 偶然の堆積が、私という形をしている。 ヘラクレイトスは言った。 同じ川に二度入ることはできない、と。 川は絶えず流れ、昨日の水はもうそこにない。 人もまた同じで、昨日の私と今日の私は、厳密には別の存在だ。 では私とは何か。 流れの中の、どの断面のことを指すのか。 記憶か。習慣か。他者からの呼びかけか。 どれも、自分で選んだものではない。 気がついたら、そうなっていた?? それが、私たちの自分の正体ではないか。 カオス理論にバタフライ効果という概念がある。 蝶が羽ばたく。 その微細な振動が、大気を揺らし、 遠い場所でハリケーンを生むかもしれない。 あなたが今日たまたま選んだ道。 たまたま目に留まった一行。 たまたま誰かに放った言葉。 それが見知らぬ誰かの人生の偶然になっている。 その人がまた別の誰かの偶然をつくり、 連鎖は、終わらない。 私たちは偶然を受け取りながら、 気づかないまま、誰かの偶然を渡し続けている。 世界はそういう、途方もない絡まりでできている。 それでも人間は意味を探す。 なぜあのときあの人と出会ったのか。 なぜあの失敗が後になって転機になったのか。 物語をつくらずにはいられない生き物だ。 だがその物語は後から貼りつけたラベルに過ぎないかもしれない。 偶然に意味という衣を着せているだけかもしれない。 それを知っても人は変われるのだろうか。 コントロールできないものに気づいたとき、 人は絶望するか、あるいは?? 奇妙な軽さを感じるか。 私がつくった私などというものは、 最初から存在しなかったのだとしたら。 その問い自体も?? 偶然、生まれただけなのか。 そう言えば川の話は前も少し触れたような?これもまた偶然? 鳳条 暦

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  • 05/11 17:15

    土俵に乗らない

    半導体の上昇がすごい。 今年は、貴金属から始まり、一部の非米国株、そして今は半導体。とにかく一気に上がる相場が多い年だと感じる。 こういう時にどう対応するか。個人的には先に乗れていないなら、無理に追いかけず無視するのが正解になることも多いと思っている。 底で買っていれば、今ごろ利益が出ていたのに。こう考えるのも危ないけれど、もしここが天井ならショートで取れるかも。と考えるのは、さらに危ない。こういう思考が少しでも頭に浮かんできたら、相場の熱に飲まれ始めているサインだと思った方がいい。 必要なら、SNSを少し離れる。特定の銘柄名やワードをミュートする。それくらいしてもいい。 パラボリックに上がっている相場では、いろんな意見が飛び交う。まだ上がる。もう天井だ。 今からでも間に合う。ここで売れば勝てる。 そんな声を見ていると自分まで何かしなければいけない気持ちになる。 そこで焦って投資のつもりでFOMO買いをしたり、上がりすぎだから下がるはずと逆張りしたりするのはとても危険。 大事なのは、狂ったような値動きを見ても無理に買いたくならないこと。そして無理に売りたくもならないこと。値動きを見て焦っている時ほど最良のトレードは何もしないことかもしれない。 観客席に座って眺める。それも立派な判断だと思う。トレードできる対象は、いくらでもある。人生は長い。今年だけですでに大きく上がった資産は複数ある。 今乗れなかったからといって、すべてが終わったわけではない。 焦らなくていい。次だ、次。 そのくらいの気持ちでいた方が相場とは長く付き合える。 鳳条 暦

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  • 05/11 16:02

    13(水)11:00-.13:15-

    まだどちらの枠もご案内が可能ですので、お知らせします? 13(水) 11:00-.13:15- どちらの枠もまだ空いていますので、会えたら嬉しいです?? 最近は暖かくなりましたね? 朝や夜との寒暖差でめげちゃいそうなところ。 可能であれば25度前後で、風が吹けば涼しいね〜みたいな天気がずっと続かないかな。と思っています。 貴方様もどうか体調には気をつけてください?? 鳳条 暦

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  • 05/11 09:30

    余計なお世話?

    マイルドで落ち着いた貴方様。暦の湯はいかがでしたか? まさか仕事と仕事の間に来てくださっていたとは思いませんでした。 何食わぬ顔をして戻る貴方を想像していました。 きっと誰よりも真面目に働いておられるのでしょうね? 勢いのまま撮影されたケーキ?そう。この時の私は急いでいたのです。ケーキを目の前にお茶を用意してゆっくりできないようでは、私はまだまだ子供なんでしょうね? -----? ちょっとだけ日記では頭の整理してるんです? でも貴方が読んでくれるから、少しだけ読み手のことも考えるようになりました。 読んでいたら貴方の意見も聞きたいのです?? ??書いて覚える、思い出す、そして忘れていく。日記に書いたことはうる覚えになることがある。 書くという行為と記憶・忘却の関係は、プラトンから現代まで繰り返し問われてきた問い。 書くことは、記憶の補助か、記憶の代替か。 プラトンのパイドロスで、ソクラテスはこう言った。文字を発明したトートに対し、神タモスは言う??それは記憶の薬ではなく、想起の薬に過ぎない と。書かれたものは、魂の内側に刻まれた知ではなく、外部に預けられた影だ、と。 日記がうろ覚えになるのは、失敗ではないかもしれない。書いた瞬間、脳はもう外にあると判断して手放す。これをデリダは代補と呼んだ。書くことは補うのではなく、置き換える。 では忘れることは何か。ニーチェは逆説的に言う??忘却こそが生の条件だ と。すべてを覚えている者は過去の重みに潰されて現在を生きられない。忘れることは欠如ではなく能動的な消化だ。 日記に書いたことがうろ覚えになるのは、魂がそれを処理した証かもしれない。 書く、忘れる、そして残るもの。では書く意味は何か。おそらく書いた事実ではなく書いた行為が自分を変える。内容は忘れてもその思考の痕跡は人格に沈殿する。川の水は流れ去っても、川床の形は残る。 自己とは、語られることで生まれる。サルトルは言った??人間には、石や木と違ってあらかじめ決まった本質がない。存在が本質に先立つ。つまり自己とは、生きながら事後的に作られるものだ。 日記を書くとき人は出来事を選び、並べ、意味づける。その編集行為そのものが自己の輪郭を彫っていく。書かれた内容ではなく何を選び何を捨てたか??その痕跡が私を形成する。 しかし、書く自己は本当に私か。 ポール・リクールは物語的自己同一性を提唱した。自己とは固定した実体ではなく、自分について語り続ける物語の一貫性だ、と。 ここに亀裂が入る。日記を書くとき、私たちは無意識に読まれる自分を想定する。誰にも見せない日記でさえ、未来の自分という読者に向けて書く。つまり書く自己はすでに他者の視線を内包している。純粋な私だけの自己など書いた瞬間に消える。 書くことは自己発見か、自己発明か。 ミシェル・フーコーは晩年、自己への配慮として古代の書く実践??日記や手紙??を再評価した。書くことは自己を見つけるのではなく、自己を鍛錬する技術だ と。 発見ではなく発明。すでにある何かを掘り出すのではなく書くたびに少しずつ異なる自己が立ち上がってくる。 忘却との接続。ここで最初の問いに戻る。書いたことを忘れるのは、その内容が自己から脱落したのではなくむしろ物語に溶け込んで見えなくなったのかもしれない。骨格は記憶されない。しかし姿勢を作っている。 書くことで自己は完成しない。書くたびに、昨日の自己がわずかにずれる。その連続したずれの軌跡が、自己と呼ばれるものの正体ではないか。 自分は探すものではなく、作り上げるもの。 きっと余計なことの中にしか未来はないのです。 鳳条 暦 ?

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  • 05/10 18:01

    何かが欠けている

    私は一人が結構好きだ。 これは自慢でも言い訳でもなく、ただの事実として言っている。一人でいるとき、呼吸が深くなる感覚がある。誰かと過ごした後の帰り道に、ようやく自分に戻ってくるような感覚。それを知っているから、一人の時間を意図的に選ぶ。 でも、正直に言うと??私は人間を見るのが好きだ。 この二つは、一見矛盾する。でも長いこと自分を観察してきた結果、これは矛盾ではなくセットだとわかった。一人でいるからこそよく見える。誰かと話しているとき、人はパフォーマンスをしている。笑うタイミング、言葉の選び方、相手への配慮と本音の配分。 でも一人でいる人間は、ガードが下がる。無意識に足を組み替え、スマホを伏せ、窓の外をぼんやり見る。その瞬間にその人の本当が少し、漏れ出る。 だからマクドナルドが好きだ。 特別な理由がある場所ではない。ただ人がいる。いろんな人がいろんな用事のついでに立ち寄っている。観察には最適な舞台だ。 ゴールデンウィークの雨の日、私はいつものように隅の角の席に座った。 誰もいなかった。 雨が今日の観察対象を根こそぎ奪っていった。 最初は独り占めだと思った。 広い店内、自分だけ。悪くない。雨音を聞いて、ipadを起動する。 でも数分後に気づいた。何かが足りない。 静かなマクドナルドは、マクドナルドではない。それはただの、椅子と机と蛍光灯の集まりだ。賑やかさを前提に設計された空間は、静寂の中では少し間が抜けて見える。トレイを持つ人がいないのに返却口だけがある。注文を取る声がないのに、メニューボードが光っている。 人がいないマクドナルドで私はようやく自覚した。 私が一人を好きなのは、一人の方が人をよく見られるからかもしれない、と。 孤独を選ぶのに、孤独に完全には満足できない。この矛盾は解消されないし解消しなくていいのだとも思う。ただ、雨の日のガラガラな店内は、その矛盾を少しくっきりと照らし出す。 持っていた水をもう一口飲んだ。 外ではまだ雨が降っている。 鳳条 暦

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  • 05/10 09:32

    話す鳥がいるらしい

    すーっと現実を見通す貴方。考えや思考に私と同じで、悩み を感じました。 まっすぐに向き合いたいと思いました? 初めてお会いしたのにどこか親近感があり、延長した時間を含めるのに、やり残したことが多いと感じる時間でした。 今度はもっとゆっくりと、また予定が合えばとても嬉しいと感じます?? 中身はキウイだったかな?急にお腹が空いて、咄嗟に写真を残して、次の瞬間にはお口の中でした?罪深ーい??滅! ----- そう。話す生き物は人間だけだと思っていたところに鳥が割って入ってきた感じがする。 しかもただ鳴いているのではなく意味を伝え、組み合わせ、相手の行動を変えているらしい。 東京大学の鈴木俊貴さんの研究室では動物行動学・言語学・認知科学を合わせた動物言語学 が進められていて、動物の鳴き声やジェスチャーがどんな意味を持つのか、どう生存に役立つのか、どんな認知能力から進化したのかを研究しているそうです。特にシジュウカラは、鳴き声を使い分けたり、組み合わせたりして複雑なメッセージを作れることが示されている。 例、京都大学の発表ではシジュウカラが鳴き声の組み合わせに文法ルールのようなものを当てはめ、初めて聞く組み合わせでも意味を理解できると報告されている。これは動物は決まった刺激に反応しているだけ という見方を揺さぶる発見。 ここで面白いのは言葉とは何か?という問いが急に人間だけのものではなくなること。 人間はずっと言葉を持つことを自分たちの特権のように考えてきた。言葉があるから考えられる。言葉があるから世界を分けられる。言葉があるから他者と通じ合える。 だから人間は特別なのだ、と。 でも、鳥が危険だ。集まれ。こっちに来い。のような意味を伝えているのだとしたら人間の特別さは少しだけ崩れる。 いや、崩れるというより人間だけが頂点に立っている世界観が少しやわらぐ。 鳥は人間のように話さない。けれど鳥には鳥の文法がある。鳥には鳥の切実さ、社会がある。 私たちが言葉 と呼んできたものはもしかすると声そのものではなく世界を誰かと分け合おうとする働きなのかもしれない。 生きるための言葉だ。人間の言葉は意味を飾る。鳥の言葉は、命を守る。 どちらが上というより言葉の根っこにはきっと、ひとりでは生きられないものたちの合図 がある。 そう考えると、言語の始まりは美しい文章を書きたいではなく、あなたに気づいてほしい だったのかもしれない。 言葉の根源には、孤独ではなく関係がある。 そして思想的に見ると、動物言語学はかなり大きな転換を含んでいると思う。 それは、人間中心主義からの離脱に近い。私たちは長い間、動物を言葉を持たないものとして見てきた。言葉を持たないから思考も浅い。思考が浅いから世界も単純に見えている。そうやって人間は自分たちの知性を測る物差しで他の生き物を測ってきた。 でも本当は鳥が黙っていたのではない。私たちが聞けていなかっただけかもしれない。 動物に言葉がないのではなく、人間が動物の言葉を言葉として認めてこなかったのかもしれない。 これは人間同士にもつながる。 声が小さい人。うまく説明できない人。沈黙する人。感情でしか話せない人。遠回しにしか言えない人。 そういう人を私たちはすぐ何を考えているか分からないと言ってしまう。でも本当はその人にもその人の文法がある。ただこちらが読み取る耳を持っていないだけかもしれない。 人見知りは救われる。 鳥の言葉を研究することは鳥を理解することだけではなく、他者を理解するとはどういうことかを問い直すことでもある。 鳥が話す。その事実は少しだけ世界を優しくする。森は無音ではなかった。 人間が自然と呼んでいたものは、もしかすると人間に聞き取れない会話で満ちていたのかもしれない。 少し怖くて、でも美しいことだと思う。 鳥も、イルカも、ボノボも、犬も、猫も、木々の間を飛び交う小さな命たちも、それぞれの仕方で世界を読んでいる。近年はボノボの鳴き声の組み合わせにも、人間の言語に似た意味の組み立てがある可能性が報告されるなど、動物コミュニケーションの複雑さはさらに注目されている。 人間は言葉を持つ唯一の存在ではなく言葉を言葉として研究し直せる存在 なのかもしれない。そこに人間の尊さがある。 聞こえなかったものを、聞こうとすること。動物言語学が教えてくれるのは、鳥も人間みたいに話すという単純な話ではなくて、 人間が思っているより世界はずっと会話していたということなのかもしれない。 そういえば昔こちらのお店で私に白鳥とサギの違いを教えてくださった方、貴方になら何かわかりますか? 唐突に思い出しました? 鳳条 暦

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  • 05/09 17:30

    相生と相克

    特別な時間を共有できました。 心の底から甘えることができるのはきっと貴方が紡いでくれた誠実な時間のおかげです。 また貴方との楽しみが増えました。 いつか桜の木の下を? 暖かい夏の太陽の下を??秋は、冬はどうしましょうか…? 甘ーいガレット?クッキーの中でもバターリッチな焼き菓子さま? パンにもバター結構塗りたくるタイプでした? 最近はどこでも勉強できる工夫をしています。故に糖分を欲するのです? ----- 個人的には難しい話。人生における課題でしょうか? ??学習能力 変化と関係性の変化 学習する人は変化してしまう。そして変化しない人との間に少しずつ見えない段差が生まれてしまう。これは単なる価値観の違いではなく、もっと静かでもっと深いところにある世界の読み方の違い。 学ぶ人は同じ出来事を同じまま見られなくなる。昔なら笑って流せた言葉に違和感を覚える。昔なら我慢できた関係に息苦しさを感じる。昔なら仕方ないと思っていたことに、本当にそうだろうかと問いが生まれる。 学習とは知識が増えることだけではなく、違和感の精度が上がることでもある。 だから学ぶ人は少しずつ変わる。物事の見え方が変わる。言葉の選び方が変わる。沈黙の意味さえ変わっていく。 一方で学ばない人、変わらない人は同じ場所に留まり続ける。もちろんそれが必ず悪いわけではない。変わらないことには安定がある。昔から変わらない優しさや安心感もある。 問題は変わらないことを正しさだと思い始めた時に起きる。 学んできた人、学び続けている人はどこかで孤独になる。その人にとって変化は裏切りではなく生きてきた証。 何度も自分を疑って、その結果として今の自分がいる。変わらない相手から見ると、その変化は面倒くさくなったというふうに見えてしまう。 関係性の難しさがある。学んだ人は相手を見下したいわけではない。自分の中で見えてしまったものをもう見えなかったことにはできない。 学習能力とは、変化に耐えながら自分と世界との関係を組み替えていく力。 つまり学ぶ人は世界との関係を更新している。 自分自身との関係も他者との関係も少しずつ組み替えている。 相手がその更新にまったく参加しない場合、関係はだんだんズレていく。片方は言葉の意味を深く考えるようになる。もう片方は今まで通りの言葉で済ませようとする。 片方は関係をより良くするために変わろうとする。もう片方は変わらずに相手だけを元に戻そうとする。この時関係は壊れるというより、噛み合わなくなる。 一緒にいるのに、同じ場所にいない感じがする。心の速度が違ってしまった状態なのかもしれません? 人にはそれぞれ変化の速度がある。変わらない人をすぐに責めることはできない。 ただしひとつだけ大切なのは変わろうとしない人と変われない途中にいる人は違うということ 変わろうとしない人は問いを拒む。相手の変化を理解しようとする前に相手を責める。自分が止まっていることを守るために相手の成長を否定する。 関係が続くかどうかは相手の変化を脅威ではなく、対話の入口にできるかで決まるのだと思います。 本当の関係とは昔のあなたを知っていることではなく、今のあなたを知ろうとし続けることなのかもしれません。 でも現実には、そう感じた時距離を置くことは冷たさではなく、学んだ自分を守るための自然な選択。 誰かの停滞に合わせて自分まで止まってしまってはいけない。ここを間違えるれば、人は優しさの名を借りて自分を裏切ってしまう。 優しさではなく自己放棄に近い。 学び続ける人に必要なのは変わらない人を裁くことではなく自分の変化をなかったことにしない勇気。 あなたは変わった。考えたから、傷ついたから、自分を守りたいと思ったから、もっと誠実に生きたいと思ったから変わった。 その変化を誰かに理解されないからといって間違いにしなくていい。 学ぶ人にはもうひとつ危うさもある。それは変わらない人を下に見てしまうこと。学んだ人はつい思ってしまう。なぜそんな言葉を平気で使えるのか。その苛立ちは自然。しかし相手を見下すと学びは知性ではなく、優越感になってしまう。 学びは他人を裁くための武器ではない。自分と世界の関係をより丁寧に扱うための灯りです。 学び続ける人はこう問う必要がある。この人とどう関わるかを選び直したいのか。 他人を変えることはできない。自分の距離は選べる。自分の言葉は選べる。自分がどこまで関わるかは選べる。 関係性とは相手を変えることではなく変わらない相手の前で自分がどう立つかでもある。 関係がうまくいかなくなることは昔の言葉では今の感情を説明できなくなるようなこと。 人間関係にもサイズがある。昔のままの関係に自分を押し込めなくていい。 成長した人間が抱える孤独とは前の自分ならここにいられたのに、今の自分ではもういられない という感覚なのだと思います。 学ぶ人は変わる。変わる人は関係を変える。関係が変わるとまた孤独になる。その孤独の中でまた学ぶ。 どの関係を深め、どの関係に距離を置き、どの関係を静かに手放すかを見極める力。 学ぶということは、選べるようになること。 選べるようになるということは、以前のようには戻れないということ。 だから、学びは自由であると同時に孤独でもある。 学習能力とはこの問いから逃げない力です。 そして関係性とはその問いに対する答えが相手と重なったり離れたりする場所なのだと思います。 孤独は新しい場所へ移動している途中の静けさです。 鳳条 暦

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  • 05/09 16:50

    11(月) 13:15-

    空いている枠がありますので、お知らせです? 11(月) 13:15- まだ空いている枠がありますので、お時間が合えばお会いしたいです? このように空いている枠が出たとしても、毎日いることで色々な出会いに恵まれています?? いつもありがとね。 急に温かくなったと思ったら寒くなったりして、私は大いに振り回されています? 体調には皆さんも気をつけてください。 楽しむためには訓練が必要だ 音色を聴き分けられれば、音楽を楽しめる。 絵の歴史に詳しければ、美術を楽しめる。 文脈を読み解ければ、読書を楽しめる。 退屈なのは自分に合わないからじゃない。 楽しむための訓練をしていなかっただけだ。 私と一緒にいる時間を楽しむためにも仲良くしてもらえたら嬉しいし、私も貴方さまと楽しみたいから、貴方さまのことがもっと知りたいのです?? 鳳条 暦 ?

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  • 05/09 09:30

    人生の全てがコンテンツ

    貴方とかなり沢山のことができました。 貴重な時間を本当にありがとう?? 貴方に会って日々のことを話す時間がとても楽しい。はしゃぐ私も受け止めてください? 何かの節目や気分のいい時笑 今日のことを思い出したら、またゆっくり会いに来て欲しいです?? チョコはもはや私の血液?私から甘ーい香りがする時はきっとチョコレートの食べ過ぎなのかな?? ----- ??人間は未来の大きさに圧倒される生き物である という話 やることが多すぎて動けない時私たちは怠けているのではない。むしろ見えすぎている。 あれもやらなきゃ。これも終わっていない。あの人に返事をして、資料を作って、勉強して、片付けて、将来のことも考えて、自分の機嫌も取らなきゃいけない。 頭の中にまだ起きていない未来が一斉に押し寄せてくる。 だから身体が止まる。人間は今を生きる身体を持っているのに頭だけが未来を何十個も同時に抱えようとする。 そのズレが、苦しさになる。 ? 動けない時に必要なのは気合いでも根性でもない。 未来を小さくすること。 例 資料作成と書くと脳はその奥にあるすべてを見てしまう。たった四文字の資料作成の中にこんなにも多くの不安や仕事が詰まっている。 重い… でもファイルを開く ならどうだろう。 そこにはまだ評価も失敗もない。完成も未完成もない。ただ開くだけ。 人間は小さな動作には従える。 ? 人生を意味ではなく動作に戻す行為なのだと思う。 私たちはすぐに行動に意味を背負わせすぎる。 でも、意味を考えすぎると手が止まる。意味は大切だけれど意味だけでは人は前に進めない。 時にはなぜやるか よりも先に、どこを触るか を決める方がいい。 それは小さすぎて人生を変える行為には見えない。 でも、本当は違う。 人生はいつも小さな着手から動き始める。 ? 動けない人に必要なのはもっと頑張れ という言葉ではない。もっと小さくしていいという許可だと思う。 ただ最初の一手だけでいい。行動をここまで小さくすると自分を責める余地が減る。そして不思議なことに人は一度動き出すと少しだけ次の動きが見えてくる。 最初から道が見えているから歩けるのではない。一歩進むから、次の床が見える。 ? 人生全体と戦わなくていい。 未来を背負いすぎた時は未来を一度手のひらサイズにまで小さくする。大きなものに圧倒された人間が、もう一度自分の身体の範囲から世界を始め直すためのとても静かな抵抗なのだと思う。 動けない時ほど自分を精神論に閉じ込めない方がいい。 しかし世の中は足を踏み外しても落ちるような場所ではないのだ。 鳳条 暦

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  • 05/08 17:02

    遠回しな表現

    先生は緊張していらっしゃった。 大人びた貴方が照れる姿に私もほんのり緊張しました。 癒しはいつでも捧げたい。''積極性"と口コミの返信には ?乞うご期待を 先に口コミのお返事が届いてしまい、貴方とまた出会う機会に恵まれてしまいました///? 幸。 話す鳥も芸術もわからない私ですが、美しいと思います? 貴方が素晴らしいと感じたものを、私も心から感じたい。 ----- 貴方のことをもっと知りたいと思います。貴方のことを隅々まで観察するのです。 それは本を読むようになったからでしょうか? ??本を読んでいてよかったと思うのは、相手の背景を少しだけ想像できるようになったこと。 もちろん相手の気持ちそのものは分からない。 どれだけ近くにいてもどれだけ言葉を尽くしても、他人の心を完全に覗くことはできない。 でも本を読んでいると、人には見えている表情とは別に言葉にならなかった過去や、うまく説明できない寂しさや、誰にも見せていない弱さがあるのだと知る。 誰かと話している時、その人の言葉だけを聞くのではなくその言葉の奥にあるものを少しだけ想像するようになった。 強く見えるけれど、本当はずっと踏ん張ってきた人なのかもしれない。軽く話しているけれど、この言葉に辿り着くまでにいろんな夜があったのかもしれない。 決めつけではなく想像する。 相手を理解することと相手を分かったつもりになることは違う。 本当に大切なのは、分かるよ。と簡単に言うことではなく、分からないけれど分かろうとしているよ。という姿勢なのかもしれない。 本を読むことはたくさんの人生を借りて生きることに似ている。自分ひとりの経験だけでは出会えなかった痛みや、喜びや、孤独や、祈りに触れること。その積み重ねが目の前の人を見る目を少しだけ柔らかくしてくれる。 だから最近誰かと話している時に、そう、そうなのよ!と背中をベシベシされることが増えた気がする。  正解を言えたからではないと思う。その人の心を完璧に読み当てたからでもない。 ただ相手がまだ言葉にする前の感情にほんの少し近い場所まで歩いていけるようになったのかもしれない。 本を読むことで得られるものは、知識だけではない。言葉の数が増えることでもない。簡単に分かった気にならないための慎重さ。分からないままでも近づこうとする優しさ。 本を読んでいてよかった。世界が広がったというより人の奥行きを信じられるようになった。 目の前の人の言葉の裏にまだ語られていない物語があるかもしれないと思えるようになった。 それが、ちょっと嬉しい。 そして同時に誰かの孤独のそばにそっと腰を下ろすための練習なのかもしれない。 他人の心に触れるための余白。 貴方の情景が浮かぶ。貴方を知りたい。 世界は広い? 鳳条 暦

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  • 05/07 17:01

    め組のおんな

    彼女たちは狩りに行く。 四人の女戦士。三人の男狩り。 夜に向かう女の支度は、どこか戦闘準備に似ている。 強気のアイラインは、立っているときよりも、寝転んだときにいちばん綺麗に見えるように引かれている。眉毛は薄く、やわらかく。 強すぎない顔に見えるように、女々しい男心の逃げ道を少しだけ残している。 涙袋にはラメを散りばめる。昼間なら少しやりすぎに見える光も、暗い店の照明の下では、むしろちょうどいい。 目元だけがきらきらと浮かび上がって、私を見て。と言わなくても、ちゃんと見つけてもらえる顔になる。 彼女たちは強い。しかしただ強いだけではない。 キスしたい。と囁かれたい乙女心を、別に本気じゃないし…という顔で隠している。 本当は可愛いと言われたいのに、簡単に喜ばない女のふりをしている。 2人きりになりたい、と誘って欲しい。それを自分から欲しがっているとは思われたくない。 その矛盾が、少しだけ愛おしい。 女の子たちは、みんな少しだけ演じている。 強くて、余裕があって、傷つかなくて、誰かを落とすことなんて簡単だという顔をして。 でも本当は、誰かの視線に少しだけ救われたかったりする。誰かの言葉で、自分の可愛さを確認したかったりする。 今日の自分が可愛い女であることを、どこかで証明したいだけ。 だから彼女たちは狩りに行く。 獲物を探しているようで、ほんとうは自分を探している。 笑いながら、グラスを鳴らし、誰かの隣に座りながら、強気のアイラインの奥で、少しだけ寂しい目をする。 …彼女たちを目を奪われて作業の手が止まってしまっていたようだ。 ? 鳳条 暦

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  • 05/07 09:30

    【殺し屋の営業術】紫の貴方

    貴方が欲しい。いつもと違う感情を抱きました。 心を刺すような優しい言葉、無邪気に笑う顔、真剣に話してくれる顔も忘れられません。 お勧めしてくれた本は隅々まで読んで、いい子で待ちますから、 どうか私がここにいる間は、何度でも私のところに帰ってきてください 今回は完食!食べるの勿体無いとか言ってられないくらいには美味でした? 自分、甘いものには目がないのです/// ----- ??殺し屋の営業術 仕事と情 完遂には情は必要ないのか? 今回こちらの本を読んだ感想や考えたことを書かせていただきます。 こんなところで書くのもなんですが、お部屋でこんな話ばかりしているわけにもいかないので書いているのかな?とも思います。 部屋ではメインディッシュがあって///私という人間を知ることで、より深い味わいがあるのではないでしょうか? 『殺し屋の営業術』は、野宮有さんの長編小説で、第71回江戸川乱歩賞受賞作。凄腕営業マン・鳥井が、殺人請負会社で命がけの営業をするという設定のクライム・ノベル。講談社の紹介でも、鳥井は殺し屋相手に自分を売り込み「私を雇いませんか?」と商談を始める人物として描かれる。 ? 最初に感じたのは営業と殺し屋という組み合わせの気持ち悪いほどの相性の良さ。殺し屋は人の命を奪う仕事。営業は人の心を動かす仕事。 一見まったく違うように見えるのにどちらも相手を観察し、弱点を見抜き、タイミングを読み、目的を達成するという点では似ている。 だからこそこの物語はただの裏社会ミステリーではなく、仕事そのものの怖さを見せてくる作品だった。 主人公の鳥井は営業成績第1位の凄腕営業マンとして登場する。アポイント先で殺人現場に遭遇し、口封じで殺されそうになるにもかかわらず、彼は命乞いではなく商談を始める。普通なら恐怖で言葉を失う場面で、鳥井は自分の価値を提示する。ここがこの物語の異様な面白さ。 鳥井にとって営業とは単に商品を売ることではない。相手の不足を見つけ、自分が必要だと思わせ、状況そのものを契約に変えてしまう技術なのだと思った。 そして読んでいるうちに、仕事に情は必要なのかという疑問を持った。殺し屋の仕事だけを見れば情は邪魔に見える。迷い、同情、罪悪感、ためらい。そういうものは完遂の妨げになる。けれど、完全に情のない人間に本当に良い仕事ができるのだろうかとも思った。 なぜなら営業には情が必要だと感じるから。相手が何を恐れているのか。何を欲しがっているのか。どんな言葉なら心が動くのか。どこに迷いがあり、どこに決断の隙間があるのか。 それを読むには人間への理解が必要になる。情をまったく持たない人間は人の心を扱えない。この本の怖さはそこにあると思う。人の心を深く理解する力は優しさにもなる。でも同時に武器にもなる。 鳥井の営業術は人を救うためのものではなく、人を動かすためのものだ。そこには誠実さもあるが冷酷さもある。相手のために寄り添っているようで最終的には自分の目的へと導いていく。その姿を見ていると、仕事におけるプロ意識とは何なのか考えさせられる。 プロとは情を持たない人間のことではない。情に支配されない人間のことなのかもしれない。 情があるからこそ相手の痛みがわかる。迷う。 自分が何をしているのかの重さもわかる。 仕事を完遂するにはどこかでその情を横に置かなければならない瞬間がある。断ること。切ること。終わらせること。誰かの感情に引っ張られすぎず自分の役割に戻ること。 『殺し屋の営業術』は極端な設定を使いながら、実はとても現実的なことを描いていると思った。私たちの日常にも小さな仕事と情の葛藤はある。 相手がかわいそうだから言えない。嫌われたくないから断れない。本当は違うと思っているのに場の空気に流される。 逆に仕事だからと割り切りすぎて人の痛みを見落としてしまう。 情がありすぎると仕事は進まない。情がなさすぎると人間が壊れる。だから大切なのは情を消すことではなく情の置き場所を決めることなのだと思う。 この本を読んで強く残ったのは、鳥井の異常な営業力そのものよりも、彼が人の心をどこまで仕事の道具として使えるのかという怖さだった。営業とは相手を喜ばせる仕事にもなれるし、相手を追い詰める仕事にもなれる。言葉は救いにもなるし、刃にもなる。 殺し屋がナイフや銃で人を殺すなら、営業マンは言葉で人を動かす。その違いは大きいようで、物語の中ではどこか紙一重に見えた。 完遂に情は必要ないのか。 読後の私の答えは、必要ないのではなく情だけでは完遂できないというものだった。 情は、人を理解するために必要。自分が人間であることを忘れないために必要。でも最後までやり切るには情とは別に覚悟や責任や冷静さが必要になる。 『殺し屋の営業術』は命がけの犯罪小説でありながら、仕事とは何か、プロとは何か、人の心を扱うとはどういうことかを考えさせる作品だった。 読み終えたあと、私は思った。本当に怖いのは情のない人間ではない。情を理解したうえでそれでも目的のために動ける人間なのかもしれない。 そしてそれは、殺し屋だけの話ではない。私たちが仕事をする時、誰かと関わる時、言葉で相手を動かそうとする時いつも少しだけ問われている。 その言葉は、優しさなのか。 営業なのか。 それとも、刃なのか。 終章の鳥井VS鴎木は、もはや営業ではなく支配。読んでいるこっちまで詰められている感覚? 最後はピンクダイヤモンドの伏線まで鮮やかに回収して、「ノルマ達成」で締めるのがあまりに鳥井。次のノルマも見せてください! 鳳条 暦

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  • 05/06 16:30

    こよ眠

    人が多い。予定を入れなくてもいい。天気もあまり良くない。空気は蒸し暑くて身体にまとわりつく。 どう頑張っても眠たくなってしまう日がある。 熊が巣にこもり暖かい春を待つように。鳥が雨の日に羽を休めるように。 人間にもそういう日があっていいのだと思う。 いつ眠ってもいいのなら眠ってしまおう。絶対の用事がないのなら今日は寝てしまおう。 怠けているのではない。多分。暦に、天気に、湿度に少しだけ押し負けているだけだ。 身体には身体の都合がある。心には心の速度がある。世間がGWだからといって私の中まで金色に輝かなければいけないわけじゃない。 休日の正解みたいな顔をして歩いている人もいるけれど、本当は何もしないことでしか戻ってこない自分もいる。 寝てもダメな時はダメだ。でも寝ないともっとダメな時もある。今日はマイナスに数えない。 これは失敗ではなく生態だ。私という生き物の天気に対する反応だ。 今日だけは自分を責めなくていい。 きっと明日はもう少し動ける。来週は少しだけ遠くへ行きたくなるだろう。来年のGWにはちゃんと予定を入れてるかな。 今日の私は柔らかいベッドに引き込まれてしまいたい。まぶたの重さに逆らわず身体の沈む方へ落ちていきたい。世界が少し騒がしい分、私の部屋だけは静かな巣であってほしい。 起きたら映画でも見よう。何も成し遂げなかった今日の終わりに誰かの物語を少し借りる。 私は私の巣に帰る。 眠ってしまう自分を責めないための、小さな許可証を誰か発行して欲しい 鳳条 暦

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  • 05/05 16:30

    5/7.9 11:00-/13:15-

    GW明けの空き枠のお知らせです? GW、全ての枠を満たしていただきありがとうございます。 紳士様のおかげで楽しい時間が過ごせそうに思います。 明けの7日、9日は 11:00-.13:15-にまだ空き枠がありますので、お時間があればお会いしたいです?? あったかいあったかいので、春服を引っ張り出しました。肩が軽い? 鳳条 暦

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  • 05/05 09:30

    もしもーし

    暦ちゃん最近お客さんにメッセージ書くことあるよね。いいな。ヤキモチ妬いちゃう。 俺には書いてくれない笑 実は俺にも書いています? そういう顔を普段しないのにヤキモチ焼きで、書いて欲しいな〜と駄々こねこねするあたりがとってもキュートですよ/// これ、俺じゃん!ってあまりにも露骨な文はできるだけ避けて(口コミへの返事を除く)書いてるつもりです?? でもまあ、待合もするって言ったのにちょっとタジタジして、新しい髪型を褒めたらニコニコと笑う貴方といるのがとても楽しい?? 流行りも好きも貴方にはよく似合っていますよ。 ちゃんと読んでるかな?笑 月末楽しみにしていますね? これから食べます笑笑食べていないものの日記を書くのはあまりないことです? コーヒーが飲めない私にエスプレッソが食べれるのか? ----- センスなんてものは持って生まれたものではなく、才能でもない。センス=生き方の蓄積だと思います。 髪型も服装も貴方を構成する全ては貴方の人生そのものなんですね??小さな変化に気づける人でありたいです。 ? センスなんてものは、持って生まれた特別な才能ではなく、日々の積み重ねが少しずつ身体の奥に沈んで、自分でも理由を説明できないままこっちのほうが美しいと感じる。 それがセンスなのだと思う。 何を見てきたかであり、何に心を動かされてきたかであり、何を美しいと思い、何を違うと感じてきたかの集積。人生の中で何度も何度も選び直してきた自分の輪郭。 美しいものを見てきた人は、美しい違和感に気づく。深く傷ついたことのある人は、人の痛みを雑に扱わない。本当に寂しい夜を知っている人は、誰かの沈黙を乱暴に破らない。  選択の積み重ねがその人の空気になる。 本当のセンスは、取り繕えない。写真だけではごまかせても、会話には出る。服装では隠せても、食べ方には出る。言葉では飾れても、別れ際の態度には出る。部屋にも、文章にも、人との距離の取り方にも、その人がこれまで何を大切にしてきたかが滲む。 センスがある人と自分にとっての美しさを時間をかけて育ててきた人だ。たくさん失敗して、たくさん遠回りをして、それでも私はこれが好きと言えるようになった人。 人生に対する感度だ。どれだけ自身の目で確かめたか。そのすべてが、その人の選ぶ言葉、空間に現れる。 たくさん見て、たくさん歩いて、たくさん好きになって、たくさん間違えればいい。 センスは生きた分だけ滲み出るものなのだと思う。 鳳条 暦

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  • 05/04 17:01

    まだ名前のない感覚

    音楽を聴くときは音量をかなり大きくする。 耳を完全にイヤホンで塞いで、外の音を入れないように。 それはただ音楽を楽しむためだけではなくて、 外に向きすぎた自分を、一度自分の中へ戻すための作業なのだと思う。 人と話すとき、学校や仕事の中にいるとき、私の中の矢印はいつも外側へ向いている。 あの人はどう思っているのか。今の言葉は正しかったのか。自問自答と反省会が始まる。 そうやって、知らないうちに自分の感覚を外へ外へと差し出している。気づけば、自分の中心が少し薄くなっている。 音楽を聴く。イヤホンで耳を塞いで音量を上げる。外の世界との境界線をはっきりさせる。 音楽が流れた瞬間、周りへ向いていた矢印はゆっくり自分の内側へ戻ってくる。 誰かのために整えていた表情は少しずつ戻ってくる。 自分へ向く矢印が多いほど、人は内向的になるのかもしれない。外の世界とすぐに馴染めなくなるし、大勢の中で軽やかに笑うことが少し難しくなる。 でもその分、深く考えられる。ひとつの言葉に立ち止まれる。人の表情の奥にある寂しさに気づける。自分の心が揺れた理由を、なかったことにしないでいられる。 内向的であることは、閉じていることではない。世界を拒んでいるわけでもない。 ただ、外に流されすぎないように、自分の中に小さな部屋を持っているということ。 音楽は、その部屋の鍵みたいなもの。 音量を上げるほど、世界から離れていくようで本当は自分に近づいている。耳を塞いでいるのに、心は少しずつ開いていく。 音楽が好き。誰かと繋がるためだけではなく 一度ちゃんと自分に戻るため。 ? 鳳条 暦

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  • 05/03 09:31

    羽ばたく宝石

    節目の貴方。会うタイミングがいつもとてもちょうど良いと感じます。 会うまではまだ会えないかな…と長く感じるのに、会ってみればもう1カ月も経ったのね!とびっくりするのです? また来月 と書く、多忙で慕われ者の貴方を、もしかしたらまたすぐに会えるかも!と思う私を許してくださいね。 彦根土産。結構馴染みの深いひこにゃん?そう実は結構馴染み深いのですよ笑 ぬいぐるみとか実は大好きで、ベットサイドにはたくさんの可愛いぬいぐるみたちが積まれています?? ここでもまた白っぽいねこ様多めです。 大人になりきれないのです。 きっとぬいぐるみがないと寝れない? ----- 雲がね、鳥のように見えたのです。 話す鳥もいるらしいですよ? 貴方が教えてくださったハチドリの一滴、実は話自体が途中で終わってしまいます。 どうせなら…と思い少しだけ続きを考えてみました? ??ハチドリ自身が救われる ハチドリは、水を運びながら思っていた。 私は何をしているんだろう、本当は怖い、本当は逃げたい。 しかしそれでも水を運んだ。やがて夜になり、火はまだ燃えていた。ハチドリは疲れ切って、川辺に落ちた。 そこへ、一匹の小さなリスがやってきた。 森は消えないかもしれないね。ハチドリは黙っていた。 リスは言った。でも、あなたを見ていたら、逃げた自分が少し恥ずかしくなった。明日、私もできることを探すよ。 ハチドリは初めて、自分の一滴が火ではなく、 誰かの心に届いていたことを知った。 そして、私は森のために水を運んでいた。でも本当は、自分の心を燃やし尽くさないためにも運んでいたんだ。と思った。 自分にできることをするのは誰かのためだけでなく、自分が自分を嫌いにならないため。そして何もしなかった自分をあとから責め続けないため。自分の良心と仲直りするため。 逃げなかった と言えるようにするため。 全部背負えないことを理由に、何も背負わない人にはならない。 この姿勢が美しい。 _____ 結果の倫理ではなく、在り方の倫理 どれだけ成果を出したか。評価されたか。 そういう物差しではなく、私はその場面で、自分の良心に対して誠実だったかという物差し。 ハチドリは、勝ったから尊いのではなく、火を消したから意味があるのでもない。 負けるかもしれない場所で、それでも自分の心を裏切らなかったから尊いと感じる。 人間も同じで、誰かに優しくしたのに伝わらないことがあるし、正直に生きようとしても損をすることがある。 多分私たちはすぐにじゃあ意味なかったのかな  と思ってしまう。 でも、意味は結果だけにあるんじゃない。 その時間自分がどういう心でそこにいたかというところにちゃんと意味がある。 ? ハチドリは本当は自分自身も救っていた。 弱さを認めながら、それでも自分を無力そのものにはしなかった。 無力であることと何もしないことは違う。 人は自分の無力さに慣れすぎると、心が乾いていく。自分を守っているつもりで、少しずつ感じる力を失っていく。 でもハチドリは感じることをやめなかった。 小さいのに、自分にできることを探した。 世界を救う前に、自分の心を生きたまま保つ行為。 遠くの偉人より近くの賢人。 言葉は真摯たれ。 鳳条 暦

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