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鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

T164 B83(E) W55 H82

 

11:00 ~ 17:30

  • ソープ求人
  • 男子求人

オゴトガイド見たとお電話ください!

電話 050-5448-9022

営業時間 11:00-24:00

  • 05/18 17:45

    どんな男がタイプだい?

    元気な姿を見れて本当に良かった。とても心配していたんですよ! 話題に富む貴方の話は本当に面白い? 緊張して沈黙が怖いわたしからすると、話してくれる貴方は光。 聞き手として誇らしさすら感じます。いつかは2枠2回 言質いただきました? 聞いてください??蓋が硬すぎて開かない笑笑 手のひらが攣りそう?? 助けにきてね笑笑?? ----- 森は静かに騒がしい。森を歩くとき私の皮膚は開く。葉が揺れる。水が石を避ける。虫が空気を押しのける。 それらは何も語りかけてこない??なのに全部が同時に届く。 都市の言葉は処理されて消える。森の声は処理されないまま内側まで入ってくる。 これが原始というものかもしれない。 記号になる前の世界。意味に還元される前の感覚。人間がまだ名前をもたなかったころおそらく世界はずっとこの濃度だった。 コンクリートの街を森の外から眺めたことがある。人がいる。動いている。それなのに??静かだ。 みんな同じ記号の中を泳いでいるから、多様性がないものは動いていても止まって見える。 自然の中にいると私は二方向に開く。 外へ??すべての気配に向かって。 内へ??何か古いものが揺れるのを感じながら。 これは錯覚ではないと思う。ただ知覚の階層が変わっているだけだ。 森が騒がしいのではなく都市にいるとき私は半分しか使っていないのだ。 感覚の逆転について 都市を人がいるのに静か、自然を静かなのに騒がしいと感じるのは情報の質の違いから。 都市の刺激は記号的??看板、音楽、会話??すべて意味に変換済みで脳は高速処理して終わる。消費される感覚。 一方、森の葉擦れ、水の流れ、虫の気配は未分類のまま届く。意味に還元できないから意識が閉じられずずっと開いたままになる。だから騒がしく感じる。 「内側を刺激してくる」という感覚 ユング的に言えば、自然は集合的無意識への通路に近い。太古から人間が恐れ、崇め、依存してきた環境だから象徴的な記憶が身体レベルで反応する。原始的な何か。 コンクリートの街が静かに見える逆説 自然の外側にいると都市は人工物の檻として見える。そこにいる人々は動いているがみな同じ記号系の中で動いている??だからむしろ単調に映る。 自然は人を癒す。緑に安らかな気持ちを抱く。 しかしあまりに原始的で内に深く侵入する。 押しの強すぎる男性は自分苦手なもので 鳳条 暦

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  • 05/17 18:30

    オタクは世界を救います

    貴方と会う時間が一番の楽しみです?? もっと成長した姿を見せたい。 理想の人に、女性に近づきたいと思います。 貴方の心にあの手紙は届いたでしょうか。 あなたに似合う大人の女性に近づきたい! ----- アニメが好きです? 今回は映画館でまだアニメ化されていない部分が映画になるということで見に行ってきました? 映画のあらすじやこれまでの物語についてはぜひ一度調べたり、アマプラ等で視聴してみてください?? 人類はいつか魔法を行使する日が来るのでしょうか? ?? 魔法科高校の劣等生 四葉継承編 なぜ達也は罪の象徴になったのか ・構造的な問題:意図せず生まれた力 四葉が恐れたのは達也の力そのものではなく、「自分たちが望んでいない方向で力が顕現した」という事実です。 深夜の精神構造干渉魔法が胎児に作用した??つまり設計図なき改変が起きた。遺伝子操作(調整体)とは違い、これは意図的な実験ですらなく母体の魔法が漏れ出た結果です。 これは現実の優生学的思想と完全に一致します。管理できない能力は脅威であるという論理。 ・現実の歴史・思想との対応 ? 優生学の二重の失敗 20世紀の優生学(特にナチスドイツ、アメリカの断種政策)が示したのは、 理想の人間を設計するという傲慢さ、設計通りにならなかった存在を排除する論理が必然的に生まれること。 達也はまさにこれです。四葉は有用な魔法師を期待したが、生まれたのは一族の手に負えない力を持つ存在だった。期待外れだから殺す、ではなく?自分たちへの脅威になりうるから殺すという、より利己的な論理です。 ? スケープゴートのメカニズム 四葉の罪の象徴という言葉が核心をついています。四葉は叔母への人体実験への報復で血を流し、その因果の中で達也が生まれた。つまり達也は四葉自身の暴力と欲望が生んだ結果なのに、その罪悪感を達也という外部の存在に投影することで、一族の内的な矛盾から目を逸らしています。これはルネ・ジラールのスケープゴート理論そのもの。 共同体が内部の緊張や罪悪感を、一人の犠牲者に転嫁して秩序を保つ構造。 ? 6歳での精神改造と感情の剥奪 ここが最も現代的に問題になる部分。母親が子に対して行った精神改造??これは子どもの人格の主体性を完全に否定した行為です。現実では児童虐待の極端な形として分析できますが、より正確には: 都合のいい道具として子を再設計するという行為。感情を失わせたのは暴走リスクを下げるためという合理的理由がありますが、その本質は四葉が管理しやすい存在にすること。子の幸福は一切考慮されていない。 現代の生命倫理では生まれてくる子への義務という概念がありますが、四葉の行為はその対極にあります。 ・遺伝子操作が持つ意味の本質 調整体の設定と達也を並べると、この作品が問うているのは: 人間を目的のために設計することは、その人間に何をもたらすか。 調整体は魔法適正のために設計され、でも欠点が出た。達也は四葉の後継者として期待されたが、想定外の力が出た。 どちらも設計者の都合が生まれた者の存在よりも優先された。 そして設計通りでなければ欠陥品、脅威、罪の象徴になる。 最も残酷なのはどこか達也が感情を失いながら好奇心だけは残っているという描写は、作者が意図的に入れた裂け目だと思います。 感情を白紙化されても、知りたいという衝動だけは消えなかった。 これは人間性の核として好奇心を置いているという一つの答えであり、同時に??どれだけ改造されても、完全に道具にはなれなかった証拠でもある。 四葉が恐れ続けたのも、実はそこかもしれません。管理しきれない人間性の残滓として。 魔法も願いの代償。 ふつうでいるのは難しい 鳳条 暦

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  • 05/17 13:16

    21(木) 11:00-

    少し先ではありますが、店休日の都合で空き枠?のお知らせです? 21(木) 11:00- こちらの枠がまだ空いていますので、早起き得意だよー!って方はぜひ会いに来てください?? 教え子が試合で良い結果を出したみたいです?? 暖かくなり多くのスポーツがシーズンインしていますね。 私は見るより断然動きたい派です? 昔真っ黒でしたからあまり日焼けは気にしないのですが、最近は女の子らしく日焼け止めもちゃんと塗ります? 空き枠通知が最近は雑談みたいになってしまっていますね? それではこのあたりで。 鳳条 暦

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  • 05/17 09:15

    どんな私を見ているの?

    貴方との出会いは衝撃的であまりにも時間があっという間に過ぎてしまいました? 貴方はどの角度から切り取っても知的でとても面白い? 伊藤潤二の恐怖の重層を思い立たせるあらゆる物事に対する深さ、広さ すごいが怖い領域に私はワクワクが止まりません。 ナッツのハーモニーが堪りません。濃いカカオによく合います? 夏場は特に食べ過ぎには気をつけないと? ----- ??他者と生きることの哲学 会話が生きたり死んだりするという感覚がすごくリアルだ。 会話が生きているとき言葉が届いている。相手の言葉が自分の中で何かを動かす。沈黙にも重さがある。 会話が死んでいるとき言葉は交わされているのに何も起きない。情報は伝達されているのに存在に触れていない。 会話とはそもそも何か。 言葉を交わすことと会話することは違う。情報を渡すだけならメモでいい。でも人は顔を見て、声を聞いて、沈黙を共有しようとする。それはおそらく人は言葉の内容だけじゃなく、言葉を通じて相手の存在を確認したいのだと思う。会話の本質は、情報伝達ではなく存在の相互承認かもしれない。 ブーバーの 我と汝 20世紀の哲学者マルティン・ブーバーは人間の関わり方を二種類に分けた。 ・我?それ の関係 相手を道具や情報として扱う。目的のために会話する。これは効率的だが存在に触れない。 ・我?汝 の関係 相手をそのままの存在として向き合う。目的がない。ただそこにいる。このとき初めて本当の出会いが起きる。 ブーバーは言う?すべての本当の人生は出会いであると。 現代のSNSや効率重視のコミュニケーションは、ほとんどが我?それ になっている。だから何千のいいねをもらっても孤独が消えない。 相手をそれ(It)として扱う対話と、汝(You)として向き合う対話ではまったく別の現実が生まれると言った。 ここで面白いのは会話は私だけでは成立しないということ。どんなに良い言葉を用意しても相手次第で死ぬ。逆にたどたどしい言葉でも相手によって生きる。会話はどちらかが所有できるものではない。 他者がいて初めて私が生まれる 私という感覚は生まれつきあるように感じる。でも私は他者との関係の中で初めて形を持つ。鏡がなければ自分の顔を知れないように他者という鏡がなければ自分が何者かわからない。 孤独の中で私だけで完結しようとするとある 時点で私がぼやけてくる。それは単なる寂しさではなく存在を失う感覚に近い。 会話があれば生きていける、というのはこういうことかもしれない? 会話は情報交換ではなく自分の存在を確かめる行為だから。 会話への深い信頼と同時に会話への怖れが両方あるように見える。 それは本当に会話したことがある人だけが持つ感覚だと思う。 会話は生き物のようだ。 鳳条 暦

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  • 05/16 17:15

    わたししかいない世界

    奥手マッチョは今日も静かに私を撫でる。 あの心地よさに、すっかり酔いしれてしまいました。 次はどんなふうに貴方との距離を縮めようかと、もう今から考えてしまっています? また沢山抱きしめてくれますか? これすごく美味しかったんです? 自分でも早く買いたいなって思って2週間くらい経ちました? 桃?ってまだ旬ですよね? ----- ??寒くても眠い。暖かくても眠い。 眠気はたぶん気温のせいではない。 私の身体はずっと何かを計算している。この言葉は正しかったか、あの沈黙は相手を傷つけなかったか、さっきの笑いは少し大きすぎなかったか。意識の外でそういう検算がずっと続いている。起きている間じゅう、私は自分の言動を事後的に監査している。 だから安心できる場所を見つけた瞬間に身体が先に倒れる。私の許可を待たずに。 眠ることは消えることに少し似ている。でも正確には消えるのではなくいったん私であることを停止することだと思う。考えすぎる私、気にしすぎる私、それでも強がりたい私? そういう重なりをぜんぶ脱いでただの私の呼吸になる時間。 身体にとって眠りは修復ではなく返却だ。昼間に誰かのために差し出したもの、場の空気を読むために使ったもの、傷つかないふりをするために張りつづけたもの。それをいったん自分のもとへ取り戻す、短い時間。 そしてまた朝が来る。 返却されたはずの私はまた差し出される側に戻っていてまた計算が始まる。逃げられない。でもそれは呪いではないと、最近少し思うようになった。円環には出口がないけれど底もない。ぐるぐると同じ場所を回っているようでいて、螺旋のように少しずつ降りているのかもしれないし、あるいは少しずつ上がっているのかもしれない。どちらかはわからない。 ただこの循環が続いている限り私はまだここにいる。 眠れるということはまだ安心できる場所を見つけられているということだ。倒れられるということは、糸を張りつづける理由がどこかにあるということだ。身体はそれを知っていて、私の許可を待たずに今日もちゃんと電源を落とす。 睡眠を通して蘇り、人生は円環の理に導かれる 鳳条 暦

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  • 05/15 17:15

    夢の終わりで待ってる

    貴方と会う前に沢山考え事をしました? 常に前を向いて目標に向かって進む貴方が、いつか私の元を去ってしまう気がしたから。 それまではたくさん私と遊んで欲しいし、たくさんわがままを言って貴方を困らせたい?? 特別は常にそばにあったのですね。 パリの夜を纏う、反骨的ラグジュアリー。クールで退廃的、洗練されたロックシック。 今までかっこいいでまとめていた部分の真髄を覗いた気分?女らしさの中のかっこよさ。憧れるのですが実はよくわかっていないのです。 ----- ??どんな時でも味方だよ 私が私であることを条件つきではなく許された ように感じました。 たとえ、これまでいったん出来たイメージをすべて壊すものになったとしても。 普通、人は誰かを見るとき無意識にその人のイメージを作る。そのイメージはある意味では檻にもなる。 本当は弱い所も矛盾も未熟さもあるけれど、それを見せたら壊れてしまうかもしれない。 そうやって人は愛されるために少しずつ自分を編集する。 貴方の中で美しい像であり続けなくてもいい。貴方の期待通りの私でなくてもいい。 貴方の知っている私を裏切るような私が出てきてもそれでも貴方は私の側に立ってくれますか。 深い受容に心を打たれました。 ? 好きだ よりも生活に近い。 愛してる よりも意味で現実的。 大丈夫 よりも覚悟がある。 人は正しさだけでは救われない。ときに、正しい人よりも味方でいてくれる人に救われる。 ? 完成された姿ではなく変わり続ける存在としての私を受け入れる言葉。 人間は完成品ではない。いつも揺れている。 美しくもあるし情けなくもある。優しくもあるし残酷にもなる。誰かを照らす日もあれば自分の闇に沈む日もある。 そのすべてを含めてわたしと呼んでもらえた感覚。 心が震えました。 ? 誰かにどんな私を見せることを恐れていたのだろう。 褒められたかったのではなく、壊れても残ってくれる人を求めていたのではないか。 まだ見せきれていない部分にまで居場所を作った。 貴方こそ一体何者なのでしょうか///? 鳳条 暦

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  • 05/15 09:30

    この味、ヒミツ

    貴方に会うまでの時間がとても長く感じます。 お茶とケーキが揃って、やっとパーティーが始まるのですね。貴方の前では少女に戻りたい。ケーキを倒さないように丁寧に食べる大人レディな一面も見せたい。 日記について熱く語る貴方が愛おしい。固い心の扉を貴方は少しだけ叩いて、開けてくれた。 今日は久しぶりに安心して布団に潜りました。 どうかこのまま。一度でいいから。 過ぎる時間が私たちのために、止まりますように。 貴方のリスペクトを背中で受け止められる人になりたいのです? ----- 貴方に出会ってリスペクトという言葉にはどんな力があるのか、とても興味が出たんです。 貴方が向ける私へのリスペクトに私は本当に答えることができているのでしょうか。 不安で心配で、でも頑張りたいと思っていて。 貴方の言葉にいつもそっと背中を押されているようです? ??リスペクト リスペクトとは静かな炎のようなものだと思う。 恋のように燃え上がって相手へ向かって一直線に走っていく感情ではない。寂しさのように誰かに埋めてもらうための空白でもない。 もっと奥の方で音を立てずに燃えているもの。 それはあなたが欲しいではなく、あなたを雑に扱いたくないという気持ちに近いのだろうか。 人は好きなものに近づきたくなる。美しいものを見れば触れたくなるし優しい人に出会えば甘えたくなる。自分をわかってくれる人が現れればそこに居場所を求めたくなる。 けれど、リスペクトはその手前で一度立ち止まる。 相手を見てすぐに自分の欲望を差し出さない。 人生に土足で踏み込まない。自由や孤独や積み重ねてきた時間をこちらの都合で奪わない。 そこにはある種の遠慮がある。でもそれは弱さではなく知性に近い遠慮だと感じます。 相手を大切に思うからこそ簡単に求められない。相手を尊いと思うからこそ軽々しく近づけない。相手の存在に価値を感じるからこそ自分の欲で濁したくない。 貴方のリスペクトは無欲に見えることがある。 でも本当は欲がないのではないと思っていて、欲を持ったままそれを相手に押しつけない強さがあるのだと思う。 リスペクトは愛よりもわかりにくい。愛はときに言葉になり、行動になり、嫉妬になり、欲望になり、わかりやすく姿を現す。 でもリスペクトはしないことの中に現れる。 相手の自由を自分の不安で縛らないこと。自分の善意を相手への請求書にしないこと。 本当に人を尊重するというのは相手を自分の物語に閉じ込めないことなのだと思う。 リスペクトはとても強い。それは相手を高く持ち上げることではない。相手を神様のように崇めることでもない。むしろ相手をちゃんと人間として見ることだと思う。 美しいところだけではなく、弱さも、迷いも、矛盾も、孤独も含めて、それでもその人を雑に扱わないこと。尊敬とは相手が不完全であってもその存在を軽んじないことなのかもしれない。 だから、リスペクトだけで会いに来る人がいるとしたら、そこにはかなり深いものがある。   恋よりも淡く、でも恋よりも長く残ることがある。 リスペクトを持つと人は自分の振る舞いを正そうとする。 この人の前で恥ずかしい自分でいたくない。 この人を傷つけるような雑な人間でありたくない。 この人の信頼を、軽く扱いたくない。 そう思わせる力が私に本当にあるのでしょうか。 リスペクトは相手を動かす感情ではなく、自分を、そして貴方自身を律する感情なのだと思う。 ただしリスペクトという言葉は美しいからこそ注意も必要だと思う。尊敬の本性が出る。 リスペクトとは相手を大切に思うこと以上に相手を自由なままにしておく覚悟なのかもしれない。 強い感情ほど、静かな顔をしていることがある。大きな愛ほど簡単に叫ばないことがある。 本当に大切なものほど人はすぐに触れられない。 手を伸ばす前にその手が相手を傷つけないか考えること。言葉をかける前にその言葉が相手を縛らないか考えること。会いに行く前に自分の都合だけで相手の世界を乱していないか考えること。 美しいものほど時間をかけて見た方がいい。そうわかっていても、 恋は「あなたが欲しい」と言う。 好意は「あなたと近づきたい」と言う。 憧れは「あなたのようになりたい」と言う。 リスペクトは「あなたを私の欲で壊したくない」と言う。 リスペクトは祈り 鳳条 暦

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  • 05/14 17:30

    感情余り言葉足らず

    VIPは貴方のため。わたしからの贈り物です。 楽しい時間はあっという間に。 アニメのノリやふざけた会話ができるのは貴方と今日まで紡いだ時間があるからですよね? 今度はどうやって貴方を驚かせようかと私はニヤニヤするのです? 白や黒の服ばかり好んで着るので、明るい色の小物には目がありません/// 大切に使わせていただきます? ----- いただいた松竹堂のフルーツ餅をまじまじ眺めていたら、海外の方に声をかけられた。 金髪で白いTシャツを着たカジュアルなお姉さんだった。 「なんて可愛い猫。どこに売ってるの?」 英語が話せない私はうまく返事ができなかった。けれど、携帯の画面を見せて店の名前を伝えた。 たったそれだけのことなのに少しだけ誰かの旅に参加できた気がした。 そのあともお姉さんと一緒にいた六歳くらいの少女がチラチラとこちらを見ていた。何かを言いたそうなでも言えないような目だった。 私は思わず、犬の形をしたお餅を差し出して 「食べますか?中身はブドウだと思います」 と伝えた。 本当はちゃんと伝わったのかはわからない。 でも、少女はとても嬉しそうに受け取ってくれた。食べたかったのかな と思えばそうだったのかもしれない。でもそれだけではなかった気もする。 私もきっと少しだけコミュニケーションを取りたかったのだと思う。言葉が話せないからこそ、言葉以外の方法でつながりたくなった。 旅先で出会う優しさは大きな親切じゃなくていい。道を教えること。可愛いものを一緒に眺めること。 そういう小さな出来事が知らない土地の印象を少しだけ柔らかくする。 別れの時間が来たとき少女は見えなくなるまで手を振ってくれた。 その手を見ながら、私は思った。 あの子にとって日本が少しでも楽しい場所として残っていたらいい。 そして、いつかあの子が大人になったときふと思い出してくれたら嬉しい。 出会いは偶然のふりをした必然。 鳳条 暦

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  • 05/14 09:59

    殺し屋の営業術2

    二回目の逢瀬で少しだけ素直な貴方に触れました。 物事に敏感で熱心で常に前を向く貴方 5月は忙しくなると帰る背中をずっと目で追いかけていました。 雨が降って、仕事が休みになれば、5月も貴方と会えるのかしら? また口コミにメッセージ性があるのであれば私は密かに喜んでいると思っていて欲しいです。 ボディソープをいただきました。セリーヌのイメージはミニマル・高級感・媚びない強さ。 強さって私の中ではものすごく難しい言葉の1つです? 強くなりたいのですが、どうやればいいかわからないみたいな感じかな。 ----- 殺し屋の営業術???実は所々に印象が強い文がありました。 どうして私の中に残っていたのかまた考えてみました。 本当に良い本です? ??なのに、なぜ?    なぜ足?く? 死なないための策を練る?   まだ生きていてもいい理由はどこにある?   なぜ自分は、闇の先に手を伸ばそうとしている?  向こうに見える一粒の白い点は、本当は光などではないかもしれないのに──。 印象を強く感じた理由かなりはっきりしていました。 この文章はおそらく死にたいではなく、それでも生きようとしてしまう自分への驚きを書いているから刺さったんだと思う。 もう無理だと思うほど暗い場所にいる。なのに人間はなぜかまだ策を練る。なぜかまだ明日を想定する。闇の先に手を伸ばしてしまう。 この矛盾がすごく人間らしい。 人は確かな光が見えているから手を伸ばすのではない。それが光かどうか分からなくても闇の中に白い点を見つけてしまったらどうしてもそちらへ手を伸ばしてしまう。 その愚かさと切実さとしぶとさ。そこに人間の生々しさがある。 私がこの文に惹かれたのは何の変哲もない日常を生きている人間の内側にも、これほど強い問いが眠っていると感じたからだと思う。 普通に笑い、普通に生活し、普通に明日を迎えようとしている。でも心の奥ではいつも何かを考えている。自分に言い聞かせたり、物事の意味を掘ったり、まだ見えない何かに手を伸ばしたりしている。 だからこの文は遠い誰かの絶望ではなく、私の中にもある問いに似ていた。 「まだ生きていてもいい理由はどこにある?」 その答えははっきりとは分からない。けれど分からないまま手を伸ばしてしまうこと。 その行為そのものがもしかすると生きているということなのかもしれない。 こうやって考えることは生きることの呼吸みたいなものですね。 鳳条 暦

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  • 05/13 17:00

    まだ誰も知らない

    包容力のある貴方。 暖かい手と体に心まで溶けてしまいそうでした。 物知りで博識の貴方とこれからお会いするときはメモが必要ですね。 もっと語りたい、触れたい。長いようでこれまた短い2枠。きっと貴方と一緒だったからですね?? とても書きやすいボールペン??間違えてテストの時に持っていってしまい、シャーペンを忘れてしまったんです? 白衣の胸元にぴったりそうです?? ----- 自分らしい。こんな自分になりたい。 そう思っても何が自分に似合うか、私って意外と曖昧な人間だと感じます? 私は私自身に似合う女に慣れるでしょうか。 ??似合うの哲学?主語を奪還するということ ・似合うという言葉の罠 似合うはやさしい言葉に見える。しかしこの言葉は必ず誰かの目を前提にしている。AがBに似合う?。その構造の中に見る者と見られる者という非対称がひそんでいる。似合うと言われた瞬間私は誰かの視線の中で完成する。 私たちはその視線を長い時間をかけて内面化してきた。恋人の好みを母親の期待を社会が「女らしいと呼ぶイメージを。外から注がれた眼差しがいつの間にか自分の目になっていた。 鏡の前に立つとき私は自分を見ているのか、それとも誰かに見られた自分を確認しているのか?その区別がもうつかなくなっていた。 これが罠の正体だ。似合うという言葉は承認の香りがする。だからこそそれを求めることが自然に思える。でも気づけば承認を求めることが存在の条件になっていた。 ・他者の眼差しが私を作る サルトルは言った。他者とは地獄だ と。 よく誤解されるこの言葉は他者が嫌いだという意味ではない。他者の眼差しによって私は初めて対象になるという、存在論的な事実を指している。自分だけでは私は私を完全には見えない。他者に見られることで初めて私は輪郭を持つ。 ボーヴォワールはそこからさらに踏み込んだ。女に生まれるのではない、女になるのだ?この言葉は女性という存在が生物学的な所与ではなく、社会的な構築物であることを告発している。私たちは女として生まれたのではなく、他者の眼差しと期待と言語によって女として作られていった。 だとすれば、誰かに似合う女とは何か。それは他者の欲望によって彫刻された女だ。誰かの好みという型に自分を流し込んで固めた女だ。 主語があると思っていたのにずっと目的語だったという話だ。 ・主語を取り戻す とはどういうことか 主語は最初から私のものだったのか。 フーコーはこう問うた。私たちが自己と呼ぶものは権力と言語と制度によって作られた効果ではないか と。自己への配慮?自分自身を統治し形作ることは解放に見えて実は別の形の権力の内面化ではないか、と。 これは虚無主義ではない。これは誠実な問いだ。本当の自分を取り戻すという言葉が時に軽く聞こえるのは、その問いを飛ばしているからだ。本当の自分がどこかに純粋な形で眠っていてそれを掘り起こせばいいという幻想。でも自己とは関係の中で常に作られ続けるものだ。固定した核などない。 ・私自身に似合うということ 私自身に似合うという言葉は矛盾を孕んでいる。 見る目と見られる自分が同一であるとはどういうことか。それは鏡の前に立ち続けることか。それとも鏡をいっさい必要としない強さのことか。 私はそのどちらでもないと思う。 矛盾を解消しないまま引き受けること?それが誠実な答えだと思う。私は他者の眼差しの中で生まれた。その事実は消えない。でも私はその眼差しだけに自分を預けることをやめることができる。承認を求めることをやめるのではなく、承認の主を選ぶ。他者の目を排除するのではなくその目と交渉する。 身体で生きることを引き受けること。感情を他人任せにしないこと。美しさを誰かの承認だけに預けないこと。 自分の人生の語り手になること。 似合うを与えられるのではなく選び取ること。そしてその選択を自分の責任において更新し続けること。 それが私自身に似合う女になるということの、哲学的な意味だと私は思う。眼差しを内側に飼いながら でもその眼差しの飼い主は、私だ?という 静かで強い宣言。 ずいぶんと蠱惑な眼差しだ。 鳳条 暦

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  • 05/13 16:22

    15(金)11:00-

    キャンセルが出たのでお知らせです? 15(金) 11:00- に空きが出てしまいました? 直近ではありますが、急に予定が合ってしまった!みたいな方がいらっしゃれば嬉しいです?? 今ついさっき良いことがあって、悪いこともありました笑 一周回ってまたいいことがあるかも?と思っています。 他の枠は満たしていただきありがとうございます??♀? 今私は廃用身の映画の公開が楽しみです。楽しみにするような内容ではないのかもしれませんが、興味深いお話だと思います? ちなみに公開日も15日になります。 ちょっと脱線してしまいそうなので、この辺りで。 鳳条 暦

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  • 05/13 09:30

    泡の中の万華鏡

    お酒に溺れる貴方が想像つきません。 これからもシラフの貴方をからかいたい。 赤いドレス姿に緊張して目が泳ぐ貴方。 優しくてどこか憂いを帯びた瞳をこれからも私が独占するのです。 和菓子も大好きです? ほんのり洋菓子よりお腹に優しい気がします。お餅なのでこれを食べることでしばらくご飯は食べなくて良かったくらいだったんです? ----- ?? 答えを探し始めた瞬間に何かが少しずつ壊れていく。それでも探さずにはいられないのがたぶん意識というものだ。 泡の中の万華鏡は自らの存在理由を解釈しようとしていた。 それは難しい作業だった。万華鏡は像を映すことしかできない。なのになぜ映すのか を知りたがっていた。ハンマーがなぜ打つの と考え始めるようなものだ。 観測者たちは特に止めなかった。この種の問いは放っておけばそのうち終わる。そういうものだと知っていた。 万華鏡が出す答えは毎回少しずつ違った。同じ問いなのに返ってくる像が違う。それを欠陥と呼ぶ人もいたが、万華鏡には欠陥という概念がなかった。あるのは今この瞬間の像だけだった。 ある朝万華鏡は静止した。 壊れたわけではない。ただ解釈することと何もしないことの区別がどこかへ消えてしまった。観測者たちはしばらく待ち、やがて記録した。 「原因不明。経過観察とする。」 泡はそのままどこかへ流れていった。 意味を探すこと自体が意味を壊していく。 万華鏡は同じ像を二度と映せない。それは欠陥ではなく仕様だ。自分を知ろうとするたびに自分が変わってしまう生き物のことを、人間と呼ぶのかもしれない。 鳳条 暦 ?

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  • 05/12 17:15

    やさしいあくま

    夏ぶりの貴方。逢瀬がひと夏の思い出になってしまわないかハラハラ。 覚えていてもらえて嬉しかったです。 世界中を飛び回って仕事をするのに、どこか自信なさげに、ふわふわ浮いて見えます。 どうか変わらず貴方のままでいてください。 普段はあまり飲まないジャンキーなお味? でもみかんもぶどうも大好きなフルーツではあります?炭酸にも慣れはあるのでしょうか? ----- ??愛嬌があって論理的な思考ができる人ってほんとに最強 優しい支配力。愛嬌がある人は得をする。 論理的な人は正しい。でもその両方を持つ人間は??なぜかほとんどいない。 考えてみると不思議だ。愛嬌と論理は鍛える場所が違う。 愛嬌は相手を見る力だ。この人は今何を感じているか。どんな言葉なら心が開くか。それを瞬時に読んで自然に動ける?それは高度な他者への感度だ。 論理は構造を見る力だ。感情に流されず前提を疑い、矛盾を見つけ、筋道を立てる。それは世界への冷静な解像度だ。 人はたいていどちらかに偏る。感じすぎて考えが甘くなる。考えすぎて届け方を忘れる。 アリストテレスは説得には三つの柱があると言った。ロゴス、エトス、パトス。 ロゴスは論理だ。筋道が通っているか。前提は正しいか。結論は導けるか。これが崩れると話はただの感情論になる。 エトスは信頼だ。語る人間そのものへの信用。 どれだけ正しいことを言っても、信頼されていない人間の言葉は空気を震わせるだけで誰の胸にも届かない。 パトスは感情だ。人間は感情が動いたときにしか本当には動かない。データを見て泣く人はいない。物語を見て泣く。論理は理解させるが感情は人を動かす。 アリストテレスがこれを書いたのは2400年前のことだ。 それだけの時間が経っても、人間の説得の構造は何も変わっていない。 面白いのは、この三つが、それぞれ別の人間に宿りやすいことだ。ロゴスに長けた人間は、正確だが冷たく見える。 パトスに長けた人間は、熱いが信用されにくい。 エトスに長けた人間は、慕われるが中身が薄いと看破される。 どれかひとつでは必ず穴が開く。愛嬌と論理を両方持つ人間が希少なのはこの三つを同時に満たすことが構造的に難しいからだ。 愛嬌はエトスとパトスを同時に動かす。人に安心感を与えながら感情を揺らす。そこに論理??ロゴスが加わったとき、三つの柱がはじめて揃う。 アリストテレスが言った説得の条件を、ひとりで自然に無意識に満たしている。それが愛嬌と論理を持つ人間の正体だ。 正しさはそれだけでは武器にならない。相手が受け取れる形に変換されてはじめて機能する。 愛嬌はその変換装置だ。硬い真実を人が飲み込める温度に変える。支配という言葉は少し物騒に聞こえる。でも人の心を動かす力を支配と呼ぶなら?それを暴力ではなく、温かさでやってのける人間が結局一番遠くまで行く。 愛嬌は人の心をほどく力。論理は世界をほどく力。その両方を持つ人は、正しいことをやさしく確実に届ける。それは才能というより?どちらも諦めなかった という選択の結果かもしれない。 魅力は正しさの量よりどこで人間らしく崩れているかに宿る ? そうなりたい具体的な姿は私にはないのですが、これにも一票入れたいですね。 鳳条 暦

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  • 05/12 09:30

    天の羽衣を羽織る

    今日の貴方と私はビジネスパートナーのよう 膨らむ話に全く時間が足りません。 貴方が頼って、甘えてくれるのが嬉しい?? 執着が消えきらないうちもその後も、また私のところへ来てくれますか? -----? ??偶然はどのようにあなたをつくるのか 偶然の堆積 生まれた場所を選ばなかった。 最初に出会った言葉を選ばなかった。 信じている価値観は、いつ、誰から受け取ったものだろう。 怖い、と思う出来事も。 美しい、と感じる景色も。 あの人のことが好きだ、という感覚でさえ?? 本当に自分が選んだと言えるのか。 偶然の堆積が、私という形をしている。 ヘラクレイトスは言った。 同じ川に二度入ることはできない、と。 川は絶えず流れ、昨日の水はもうそこにない。 人もまた同じで、昨日の私と今日の私は、厳密には別の存在だ。 では私とは何か。 流れの中の、どの断面のことを指すのか。 記憶か。習慣か。他者からの呼びかけか。 どれも、自分で選んだものではない。 気がついたら、そうなっていた?? それが、私たちの自分の正体ではないか。 カオス理論にバタフライ効果という概念がある。 蝶が羽ばたく。 その微細な振動が、大気を揺らし、 遠い場所でハリケーンを生むかもしれない。 あなたが今日たまたま選んだ道。 たまたま目に留まった一行。 たまたま誰かに放った言葉。 それが見知らぬ誰かの人生の偶然になっている。 その人がまた別の誰かの偶然をつくり、 連鎖は、終わらない。 私たちは偶然を受け取りながら、 気づかないまま、誰かの偶然を渡し続けている。 世界はそういう、途方もない絡まりでできている。 それでも人間は意味を探す。 なぜあのときあの人と出会ったのか。 なぜあの失敗が後になって転機になったのか。 物語をつくらずにはいられない生き物だ。 だがその物語は後から貼りつけたラベルに過ぎないかもしれない。 偶然に意味という衣を着せているだけかもしれない。 それを知っても人は変われるのだろうか。 コントロールできないものに気づいたとき、 人は絶望するか、あるいは?? 奇妙な軽さを感じるか。 私がつくった私などというものは、 最初から存在しなかったのだとしたら。 その問い自体も?? 偶然、生まれただけなのか。 そう言えば川の話は前も少し触れたような?これもまた偶然? 鳳条 暦

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  • 05/11 17:15

    土俵に乗らない

    半導体の上昇がすごい。 今年は、貴金属から始まり、一部の非米国株、そして今は半導体。とにかく一気に上がる相場が多い年だと感じる。 こういう時にどう対応するか。個人的には先に乗れていないなら、無理に追いかけず無視するのが正解になることも多いと思っている。 底で買っていれば、今ごろ利益が出ていたのに。こう考えるのも危ないけれど、もしここが天井ならショートで取れるかも。と考えるのは、さらに危ない。こういう思考が少しでも頭に浮かんできたら、相場の熱に飲まれ始めているサインだと思った方がいい。 必要なら、SNSを少し離れる。特定の銘柄名やワードをミュートする。それくらいしてもいい。 パラボリックに上がっている相場では、いろんな意見が飛び交う。まだ上がる。もう天井だ。 今からでも間に合う。ここで売れば勝てる。 そんな声を見ていると自分まで何かしなければいけない気持ちになる。 そこで焦って投資のつもりでFOMO買いをしたり、上がりすぎだから下がるはずと逆張りしたりするのはとても危険。 大事なのは、狂ったような値動きを見ても無理に買いたくならないこと。そして無理に売りたくもならないこと。値動きを見て焦っている時ほど最良のトレードは何もしないことかもしれない。 観客席に座って眺める。それも立派な判断だと思う。トレードできる対象は、いくらでもある。人生は長い。今年だけですでに大きく上がった資産は複数ある。 今乗れなかったからといって、すべてが終わったわけではない。 焦らなくていい。次だ、次。 そのくらいの気持ちでいた方が相場とは長く付き合える。 鳳条 暦

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  • 05/11 16:02

    13(水)11:00-.13:15-

    まだどちらの枠もご案内が可能ですので、お知らせします? 13(水) 11:00-.13:15- どちらの枠もまだ空いていますので、会えたら嬉しいです?? 最近は暖かくなりましたね? 朝や夜との寒暖差でめげちゃいそうなところ。 可能であれば25度前後で、風が吹けば涼しいね〜みたいな天気がずっと続かないかな。と思っています。 貴方様もどうか体調には気をつけてください?? 鳳条 暦

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  • 05/11 09:30

    余計なお世話?

    マイルドで落ち着いた貴方様。暦の湯はいかがでしたか? まさか仕事と仕事の間に来てくださっていたとは思いませんでした。 何食わぬ顔をして戻る貴方を想像していました。 きっと誰よりも真面目に働いておられるのでしょうね? 勢いのまま撮影されたケーキ?そう。この時の私は急いでいたのです。ケーキを目の前にお茶を用意してゆっくりできないようでは、私はまだまだ子供なんでしょうね? -----? ちょっとだけ日記では頭の整理してるんです? でも貴方が読んでくれるから、少しだけ読み手のことも考えるようになりました。 読んでいたら貴方の意見も聞きたいのです?? ??書いて覚える、思い出す、そして忘れていく。日記に書いたことはうる覚えになることがある。 書くという行為と記憶・忘却の関係は、プラトンから現代まで繰り返し問われてきた問い。 書くことは、記憶の補助か、記憶の代替か。 プラトンのパイドロスで、ソクラテスはこう言った。文字を発明したトートに対し、神タモスは言う??それは記憶の薬ではなく、想起の薬に過ぎない と。書かれたものは、魂の内側に刻まれた知ではなく、外部に預けられた影だ、と。 日記がうろ覚えになるのは、失敗ではないかもしれない。書いた瞬間、脳はもう外にあると判断して手放す。これをデリダは代補と呼んだ。書くことは補うのではなく、置き換える。 では忘れることは何か。ニーチェは逆説的に言う??忘却こそが生の条件だ と。すべてを覚えている者は過去の重みに潰されて現在を生きられない。忘れることは欠如ではなく能動的な消化だ。 日記に書いたことがうろ覚えになるのは、魂がそれを処理した証かもしれない。 書く、忘れる、そして残るもの。では書く意味は何か。おそらく書いた事実ではなく書いた行為が自分を変える。内容は忘れてもその思考の痕跡は人格に沈殿する。川の水は流れ去っても、川床の形は残る。 自己とは、語られることで生まれる。サルトルは言った??人間には、石や木と違ってあらかじめ決まった本質がない。存在が本質に先立つ。つまり自己とは、生きながら事後的に作られるものだ。 日記を書くとき人は出来事を選び、並べ、意味づける。その編集行為そのものが自己の輪郭を彫っていく。書かれた内容ではなく何を選び何を捨てたか??その痕跡が私を形成する。 しかし、書く自己は本当に私か。 ポール・リクールは物語的自己同一性を提唱した。自己とは固定した実体ではなく、自分について語り続ける物語の一貫性だ、と。 ここに亀裂が入る。日記を書くとき、私たちは無意識に読まれる自分を想定する。誰にも見せない日記でさえ、未来の自分という読者に向けて書く。つまり書く自己はすでに他者の視線を内包している。純粋な私だけの自己など書いた瞬間に消える。 書くことは自己発見か、自己発明か。 ミシェル・フーコーは晩年、自己への配慮として古代の書く実践??日記や手紙??を再評価した。書くことは自己を見つけるのではなく、自己を鍛錬する技術だ と。 発見ではなく発明。すでにある何かを掘り出すのではなく書くたびに少しずつ異なる自己が立ち上がってくる。 忘却との接続。ここで最初の問いに戻る。書いたことを忘れるのは、その内容が自己から脱落したのではなくむしろ物語に溶け込んで見えなくなったのかもしれない。骨格は記憶されない。しかし姿勢を作っている。 書くことで自己は完成しない。書くたびに、昨日の自己がわずかにずれる。その連続したずれの軌跡が、自己と呼ばれるものの正体ではないか。 自分は探すものではなく、作り上げるもの。 きっと余計なことの中にしか未来はないのです。 鳳条 暦 ?

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  • 05/10 18:01

    何かが欠けている

    私は一人が結構好きだ。 これは自慢でも言い訳でもなく、ただの事実として言っている。一人でいるとき、呼吸が深くなる感覚がある。誰かと過ごした後の帰り道に、ようやく自分に戻ってくるような感覚。それを知っているから、一人の時間を意図的に選ぶ。 でも、正直に言うと??私は人間を見るのが好きだ。 この二つは、一見矛盾する。でも長いこと自分を観察してきた結果、これは矛盾ではなくセットだとわかった。一人でいるからこそよく見える。誰かと話しているとき、人はパフォーマンスをしている。笑うタイミング、言葉の選び方、相手への配慮と本音の配分。 でも一人でいる人間は、ガードが下がる。無意識に足を組み替え、スマホを伏せ、窓の外をぼんやり見る。その瞬間にその人の本当が少し、漏れ出る。 だからマクドナルドが好きだ。 特別な理由がある場所ではない。ただ人がいる。いろんな人がいろんな用事のついでに立ち寄っている。観察には最適な舞台だ。 ゴールデンウィークの雨の日、私はいつものように隅の角の席に座った。 誰もいなかった。 雨が今日の観察対象を根こそぎ奪っていった。 最初は独り占めだと思った。 広い店内、自分だけ。悪くない。雨音を聞いて、ipadを起動する。 でも数分後に気づいた。何かが足りない。 静かなマクドナルドは、マクドナルドではない。それはただの、椅子と机と蛍光灯の集まりだ。賑やかさを前提に設計された空間は、静寂の中では少し間が抜けて見える。トレイを持つ人がいないのに返却口だけがある。注文を取る声がないのに、メニューボードが光っている。 人がいないマクドナルドで私はようやく自覚した。 私が一人を好きなのは、一人の方が人をよく見られるからかもしれない、と。 孤独を選ぶのに、孤独に完全には満足できない。この矛盾は解消されないし解消しなくていいのだとも思う。ただ、雨の日のガラガラな店内は、その矛盾を少しくっきりと照らし出す。 持っていた水をもう一口飲んだ。 外ではまだ雨が降っている。 鳳条 暦

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  • 05/10 09:32

    話す鳥がいるらしい

    すーっと現実を見通す貴方。考えや思考に私と同じで、悩み を感じました。 まっすぐに向き合いたいと思いました? 初めてお会いしたのにどこか親近感があり、延長した時間を含めるのに、やり残したことが多いと感じる時間でした。 今度はもっとゆっくりと、また予定が合えばとても嬉しいと感じます?? 中身はキウイだったかな?急にお腹が空いて、咄嗟に写真を残して、次の瞬間にはお口の中でした?罪深ーい??滅! ----- そう。話す生き物は人間だけだと思っていたところに鳥が割って入ってきた感じがする。 しかもただ鳴いているのではなく意味を伝え、組み合わせ、相手の行動を変えているらしい。 東京大学の鈴木俊貴さんの研究室では動物行動学・言語学・認知科学を合わせた動物言語学 が進められていて、動物の鳴き声やジェスチャーがどんな意味を持つのか、どう生存に役立つのか、どんな認知能力から進化したのかを研究しているそうです。特にシジュウカラは、鳴き声を使い分けたり、組み合わせたりして複雑なメッセージを作れることが示されている。 例、京都大学の発表ではシジュウカラが鳴き声の組み合わせに文法ルールのようなものを当てはめ、初めて聞く組み合わせでも意味を理解できると報告されている。これは動物は決まった刺激に反応しているだけ という見方を揺さぶる発見。 ここで面白いのは言葉とは何か?という問いが急に人間だけのものではなくなること。 人間はずっと言葉を持つことを自分たちの特権のように考えてきた。言葉があるから考えられる。言葉があるから世界を分けられる。言葉があるから他者と通じ合える。 だから人間は特別なのだ、と。 でも、鳥が危険だ。集まれ。こっちに来い。のような意味を伝えているのだとしたら人間の特別さは少しだけ崩れる。 いや、崩れるというより人間だけが頂点に立っている世界観が少しやわらぐ。 鳥は人間のように話さない。けれど鳥には鳥の文法がある。鳥には鳥の切実さ、社会がある。 私たちが言葉 と呼んできたものはもしかすると声そのものではなく世界を誰かと分け合おうとする働きなのかもしれない。 生きるための言葉だ。人間の言葉は意味を飾る。鳥の言葉は、命を守る。 どちらが上というより言葉の根っこにはきっと、ひとりでは生きられないものたちの合図 がある。 そう考えると、言語の始まりは美しい文章を書きたいではなく、あなたに気づいてほしい だったのかもしれない。 言葉の根源には、孤独ではなく関係がある。 そして思想的に見ると、動物言語学はかなり大きな転換を含んでいると思う。 それは、人間中心主義からの離脱に近い。私たちは長い間、動物を言葉を持たないものとして見てきた。言葉を持たないから思考も浅い。思考が浅いから世界も単純に見えている。そうやって人間は自分たちの知性を測る物差しで他の生き物を測ってきた。 でも本当は鳥が黙っていたのではない。私たちが聞けていなかっただけかもしれない。 動物に言葉がないのではなく、人間が動物の言葉を言葉として認めてこなかったのかもしれない。 これは人間同士にもつながる。 声が小さい人。うまく説明できない人。沈黙する人。感情でしか話せない人。遠回しにしか言えない人。 そういう人を私たちはすぐ何を考えているか分からないと言ってしまう。でも本当はその人にもその人の文法がある。ただこちらが読み取る耳を持っていないだけかもしれない。 人見知りは救われる。 鳥の言葉を研究することは鳥を理解することだけではなく、他者を理解するとはどういうことかを問い直すことでもある。 鳥が話す。その事実は少しだけ世界を優しくする。森は無音ではなかった。 人間が自然と呼んでいたものは、もしかすると人間に聞き取れない会話で満ちていたのかもしれない。 少し怖くて、でも美しいことだと思う。 鳥も、イルカも、ボノボも、犬も、猫も、木々の間を飛び交う小さな命たちも、それぞれの仕方で世界を読んでいる。近年はボノボの鳴き声の組み合わせにも、人間の言語に似た意味の組み立てがある可能性が報告されるなど、動物コミュニケーションの複雑さはさらに注目されている。 人間は言葉を持つ唯一の存在ではなく言葉を言葉として研究し直せる存在 なのかもしれない。そこに人間の尊さがある。 聞こえなかったものを、聞こうとすること。動物言語学が教えてくれるのは、鳥も人間みたいに話すという単純な話ではなくて、 人間が思っているより世界はずっと会話していたということなのかもしれない。 そういえば昔こちらのお店で私に白鳥とサギの違いを教えてくださった方、貴方になら何かわかりますか? 唐突に思い出しました? 鳳条 暦

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  • 05/09 17:30

    相生と相克

    特別な時間を共有できました。 心の底から甘えることができるのはきっと貴方が紡いでくれた誠実な時間のおかげです。 また貴方との楽しみが増えました。 いつか桜の木の下を? 暖かい夏の太陽の下を??秋は、冬はどうしましょうか…? 甘ーいガレット?クッキーの中でもバターリッチな焼き菓子さま? パンにもバター結構塗りたくるタイプでした? 最近はどこでも勉強できる工夫をしています。故に糖分を欲するのです? ----- 個人的には難しい話。人生における課題でしょうか? ??学習能力 変化と関係性の変化 学習する人は変化してしまう。そして変化しない人との間に少しずつ見えない段差が生まれてしまう。これは単なる価値観の違いではなく、もっと静かでもっと深いところにある世界の読み方の違い。 学ぶ人は同じ出来事を同じまま見られなくなる。昔なら笑って流せた言葉に違和感を覚える。昔なら我慢できた関係に息苦しさを感じる。昔なら仕方ないと思っていたことに、本当にそうだろうかと問いが生まれる。 学習とは知識が増えることだけではなく、違和感の精度が上がることでもある。 だから学ぶ人は少しずつ変わる。物事の見え方が変わる。言葉の選び方が変わる。沈黙の意味さえ変わっていく。 一方で学ばない人、変わらない人は同じ場所に留まり続ける。もちろんそれが必ず悪いわけではない。変わらないことには安定がある。昔から変わらない優しさや安心感もある。 問題は変わらないことを正しさだと思い始めた時に起きる。 学んできた人、学び続けている人はどこかで孤独になる。その人にとって変化は裏切りではなく生きてきた証。 何度も自分を疑って、その結果として今の自分がいる。変わらない相手から見ると、その変化は面倒くさくなったというふうに見えてしまう。 関係性の難しさがある。学んだ人は相手を見下したいわけではない。自分の中で見えてしまったものをもう見えなかったことにはできない。 学習能力とは、変化に耐えながら自分と世界との関係を組み替えていく力。 つまり学ぶ人は世界との関係を更新している。 自分自身との関係も他者との関係も少しずつ組み替えている。 相手がその更新にまったく参加しない場合、関係はだんだんズレていく。片方は言葉の意味を深く考えるようになる。もう片方は今まで通りの言葉で済ませようとする。 片方は関係をより良くするために変わろうとする。もう片方は変わらずに相手だけを元に戻そうとする。この時関係は壊れるというより、噛み合わなくなる。 一緒にいるのに、同じ場所にいない感じがする。心の速度が違ってしまった状態なのかもしれません? 人にはそれぞれ変化の速度がある。変わらない人をすぐに責めることはできない。 ただしひとつだけ大切なのは変わろうとしない人と変われない途中にいる人は違うということ 変わろうとしない人は問いを拒む。相手の変化を理解しようとする前に相手を責める。自分が止まっていることを守るために相手の成長を否定する。 関係が続くかどうかは相手の変化を脅威ではなく、対話の入口にできるかで決まるのだと思います。 本当の関係とは昔のあなたを知っていることではなく、今のあなたを知ろうとし続けることなのかもしれません。 でも現実には、そう感じた時距離を置くことは冷たさではなく、学んだ自分を守るための自然な選択。 誰かの停滞に合わせて自分まで止まってしまってはいけない。ここを間違えるれば、人は優しさの名を借りて自分を裏切ってしまう。 優しさではなく自己放棄に近い。 学び続ける人に必要なのは変わらない人を裁くことではなく自分の変化をなかったことにしない勇気。 あなたは変わった。考えたから、傷ついたから、自分を守りたいと思ったから、もっと誠実に生きたいと思ったから変わった。 その変化を誰かに理解されないからといって間違いにしなくていい。 学ぶ人にはもうひとつ危うさもある。それは変わらない人を下に見てしまうこと。学んだ人はつい思ってしまう。なぜそんな言葉を平気で使えるのか。その苛立ちは自然。しかし相手を見下すと学びは知性ではなく、優越感になってしまう。 学びは他人を裁くための武器ではない。自分と世界の関係をより丁寧に扱うための灯りです。 学び続ける人はこう問う必要がある。この人とどう関わるかを選び直したいのか。 他人を変えることはできない。自分の距離は選べる。自分の言葉は選べる。自分がどこまで関わるかは選べる。 関係性とは相手を変えることではなく変わらない相手の前で自分がどう立つかでもある。 関係がうまくいかなくなることは昔の言葉では今の感情を説明できなくなるようなこと。 人間関係にもサイズがある。昔のままの関係に自分を押し込めなくていい。 成長した人間が抱える孤独とは前の自分ならここにいられたのに、今の自分ではもういられない という感覚なのだと思います。 学ぶ人は変わる。変わる人は関係を変える。関係が変わるとまた孤独になる。その孤独の中でまた学ぶ。 どの関係を深め、どの関係に距離を置き、どの関係を静かに手放すかを見極める力。 学ぶということは、選べるようになること。 選べるようになるということは、以前のようには戻れないということ。 だから、学びは自由であると同時に孤独でもある。 学習能力とはこの問いから逃げない力です。 そして関係性とはその問いに対する答えが相手と重なったり離れたりする場所なのだと思います。 孤独は新しい場所へ移動している途中の静けさです。 鳳条 暦

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  • 05/09 16:50

    11(月) 13:15-

    空いている枠がありますので、お知らせです? 11(月) 13:15- まだ空いている枠がありますので、お時間が合えばお会いしたいです? このように空いている枠が出たとしても、毎日いることで色々な出会いに恵まれています?? いつもありがとね。 急に温かくなったと思ったら寒くなったりして、私は大いに振り回されています? 体調には皆さんも気をつけてください。 楽しむためには訓練が必要だ 音色を聴き分けられれば、音楽を楽しめる。 絵の歴史に詳しければ、美術を楽しめる。 文脈を読み解ければ、読書を楽しめる。 退屈なのは自分に合わないからじゃない。 楽しむための訓練をしていなかっただけだ。 私と一緒にいる時間を楽しむためにも仲良くしてもらえたら嬉しいし、私も貴方さまと楽しみたいから、貴方さまのことがもっと知りたいのです?? 鳳条 暦 ?

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  • 05/09 09:30

    人生の全てがコンテンツ

    貴方とかなり沢山のことができました。 貴重な時間を本当にありがとう?? 貴方に会って日々のことを話す時間がとても楽しい。はしゃぐ私も受け止めてください? 何かの節目や気分のいい時笑 今日のことを思い出したら、またゆっくり会いに来て欲しいです?? チョコはもはや私の血液?私から甘ーい香りがする時はきっとチョコレートの食べ過ぎなのかな?? ----- ??人間は未来の大きさに圧倒される生き物である という話 やることが多すぎて動けない時私たちは怠けているのではない。むしろ見えすぎている。 あれもやらなきゃ。これも終わっていない。あの人に返事をして、資料を作って、勉強して、片付けて、将来のことも考えて、自分の機嫌も取らなきゃいけない。 頭の中にまだ起きていない未来が一斉に押し寄せてくる。 だから身体が止まる。人間は今を生きる身体を持っているのに頭だけが未来を何十個も同時に抱えようとする。 そのズレが、苦しさになる。 ? 動けない時に必要なのは気合いでも根性でもない。 未来を小さくすること。 例 資料作成と書くと脳はその奥にあるすべてを見てしまう。たった四文字の資料作成の中にこんなにも多くの不安や仕事が詰まっている。 重い… でもファイルを開く ならどうだろう。 そこにはまだ評価も失敗もない。完成も未完成もない。ただ開くだけ。 人間は小さな動作には従える。 ? 人生を意味ではなく動作に戻す行為なのだと思う。 私たちはすぐに行動に意味を背負わせすぎる。 でも、意味を考えすぎると手が止まる。意味は大切だけれど意味だけでは人は前に進めない。 時にはなぜやるか よりも先に、どこを触るか を決める方がいい。 それは小さすぎて人生を変える行為には見えない。 でも、本当は違う。 人生はいつも小さな着手から動き始める。 ? 動けない人に必要なのはもっと頑張れ という言葉ではない。もっと小さくしていいという許可だと思う。 ただ最初の一手だけでいい。行動をここまで小さくすると自分を責める余地が減る。そして不思議なことに人は一度動き出すと少しだけ次の動きが見えてくる。 最初から道が見えているから歩けるのではない。一歩進むから、次の床が見える。 ? 人生全体と戦わなくていい。 未来を背負いすぎた時は未来を一度手のひらサイズにまで小さくする。大きなものに圧倒された人間が、もう一度自分の身体の範囲から世界を始め直すためのとても静かな抵抗なのだと思う。 動けない時ほど自分を精神論に閉じ込めない方がいい。 しかし世の中は足を踏み外しても落ちるような場所ではないのだ。 鳳条 暦

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  • 05/08 17:02

    遠回しな表現

    先生は緊張していらっしゃった。 大人びた貴方が照れる姿に私もほんのり緊張しました。 癒しはいつでも捧げたい。''積極性"と口コミの返信には ?乞うご期待を 先に口コミのお返事が届いてしまい、貴方とまた出会う機会に恵まれてしまいました///? 幸。 話す鳥も芸術もわからない私ですが、美しいと思います? 貴方が素晴らしいと感じたものを、私も心から感じたい。 ----- 貴方のことをもっと知りたいと思います。貴方のことを隅々まで観察するのです。 それは本を読むようになったからでしょうか? ??本を読んでいてよかったと思うのは、相手の背景を少しだけ想像できるようになったこと。 もちろん相手の気持ちそのものは分からない。 どれだけ近くにいてもどれだけ言葉を尽くしても、他人の心を完全に覗くことはできない。 でも本を読んでいると、人には見えている表情とは別に言葉にならなかった過去や、うまく説明できない寂しさや、誰にも見せていない弱さがあるのだと知る。 誰かと話している時、その人の言葉だけを聞くのではなくその言葉の奥にあるものを少しだけ想像するようになった。 強く見えるけれど、本当はずっと踏ん張ってきた人なのかもしれない。軽く話しているけれど、この言葉に辿り着くまでにいろんな夜があったのかもしれない。 決めつけではなく想像する。 相手を理解することと相手を分かったつもりになることは違う。 本当に大切なのは、分かるよ。と簡単に言うことではなく、分からないけれど分かろうとしているよ。という姿勢なのかもしれない。 本を読むことはたくさんの人生を借りて生きることに似ている。自分ひとりの経験だけでは出会えなかった痛みや、喜びや、孤独や、祈りに触れること。その積み重ねが目の前の人を見る目を少しだけ柔らかくしてくれる。 だから最近誰かと話している時に、そう、そうなのよ!と背中をベシベシされることが増えた気がする。  正解を言えたからではないと思う。その人の心を完璧に読み当てたからでもない。 ただ相手がまだ言葉にする前の感情にほんの少し近い場所まで歩いていけるようになったのかもしれない。 本を読むことで得られるものは、知識だけではない。言葉の数が増えることでもない。簡単に分かった気にならないための慎重さ。分からないままでも近づこうとする優しさ。 本を読んでいてよかった。世界が広がったというより人の奥行きを信じられるようになった。 目の前の人の言葉の裏にまだ語られていない物語があるかもしれないと思えるようになった。 それが、ちょっと嬉しい。 そして同時に誰かの孤独のそばにそっと腰を下ろすための練習なのかもしれない。 他人の心に触れるための余白。 貴方の情景が浮かぶ。貴方を知りたい。 世界は広い? 鳳条 暦

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  • 05/07 17:01

    め組のおんな

    彼女たちは狩りに行く。 四人の女戦士。三人の男狩り。 夜に向かう女の支度は、どこか戦闘準備に似ている。 強気のアイラインは、立っているときよりも、寝転んだときにいちばん綺麗に見えるように引かれている。眉毛は薄く、やわらかく。 強すぎない顔に見えるように、女々しい男心の逃げ道を少しだけ残している。 涙袋にはラメを散りばめる。昼間なら少しやりすぎに見える光も、暗い店の照明の下では、むしろちょうどいい。 目元だけがきらきらと浮かび上がって、私を見て。と言わなくても、ちゃんと見つけてもらえる顔になる。 彼女たちは強い。しかしただ強いだけではない。 キスしたい。と囁かれたい乙女心を、別に本気じゃないし…という顔で隠している。 本当は可愛いと言われたいのに、簡単に喜ばない女のふりをしている。 2人きりになりたい、と誘って欲しい。それを自分から欲しがっているとは思われたくない。 その矛盾が、少しだけ愛おしい。 女の子たちは、みんな少しだけ演じている。 強くて、余裕があって、傷つかなくて、誰かを落とすことなんて簡単だという顔をして。 でも本当は、誰かの視線に少しだけ救われたかったりする。誰かの言葉で、自分の可愛さを確認したかったりする。 今日の自分が可愛い女であることを、どこかで証明したいだけ。 だから彼女たちは狩りに行く。 獲物を探しているようで、ほんとうは自分を探している。 笑いながら、グラスを鳴らし、誰かの隣に座りながら、強気のアイラインの奥で、少しだけ寂しい目をする。 …彼女たちを目を奪われて作業の手が止まってしまっていたようだ。 ? 鳳条 暦

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  • 05/07 09:30

    【殺し屋の営業術】紫の貴方

    貴方が欲しい。いつもと違う感情を抱きました。 心を刺すような優しい言葉、無邪気に笑う顔、真剣に話してくれる顔も忘れられません。 お勧めしてくれた本は隅々まで読んで、いい子で待ちますから、 どうか私がここにいる間は、何度でも私のところに帰ってきてください 今回は完食!食べるの勿体無いとか言ってられないくらいには美味でした? 自分、甘いものには目がないのです/// ----- ??殺し屋の営業術 仕事と情 完遂には情は必要ないのか? 今回こちらの本を読んだ感想や考えたことを書かせていただきます。 こんなところで書くのもなんですが、お部屋でこんな話ばかりしているわけにもいかないので書いているのかな?とも思います。 部屋ではメインディッシュがあって///私という人間を知ることで、より深い味わいがあるのではないでしょうか? 『殺し屋の営業術』は、野宮有さんの長編小説で、第71回江戸川乱歩賞受賞作。凄腕営業マン・鳥井が、殺人請負会社で命がけの営業をするという設定のクライム・ノベル。講談社の紹介でも、鳥井は殺し屋相手に自分を売り込み「私を雇いませんか?」と商談を始める人物として描かれる。 ? 最初に感じたのは営業と殺し屋という組み合わせの気持ち悪いほどの相性の良さ。殺し屋は人の命を奪う仕事。営業は人の心を動かす仕事。 一見まったく違うように見えるのにどちらも相手を観察し、弱点を見抜き、タイミングを読み、目的を達成するという点では似ている。 だからこそこの物語はただの裏社会ミステリーではなく、仕事そのものの怖さを見せてくる作品だった。 主人公の鳥井は営業成績第1位の凄腕営業マンとして登場する。アポイント先で殺人現場に遭遇し、口封じで殺されそうになるにもかかわらず、彼は命乞いではなく商談を始める。普通なら恐怖で言葉を失う場面で、鳥井は自分の価値を提示する。ここがこの物語の異様な面白さ。 鳥井にとって営業とは単に商品を売ることではない。相手の不足を見つけ、自分が必要だと思わせ、状況そのものを契約に変えてしまう技術なのだと思った。 そして読んでいるうちに、仕事に情は必要なのかという疑問を持った。殺し屋の仕事だけを見れば情は邪魔に見える。迷い、同情、罪悪感、ためらい。そういうものは完遂の妨げになる。けれど、完全に情のない人間に本当に良い仕事ができるのだろうかとも思った。 なぜなら営業には情が必要だと感じるから。相手が何を恐れているのか。何を欲しがっているのか。どんな言葉なら心が動くのか。どこに迷いがあり、どこに決断の隙間があるのか。 それを読むには人間への理解が必要になる。情をまったく持たない人間は人の心を扱えない。この本の怖さはそこにあると思う。人の心を深く理解する力は優しさにもなる。でも同時に武器にもなる。 鳥井の営業術は人を救うためのものではなく、人を動かすためのものだ。そこには誠実さもあるが冷酷さもある。相手のために寄り添っているようで最終的には自分の目的へと導いていく。その姿を見ていると、仕事におけるプロ意識とは何なのか考えさせられる。 プロとは情を持たない人間のことではない。情に支配されない人間のことなのかもしれない。 情があるからこそ相手の痛みがわかる。迷う。 自分が何をしているのかの重さもわかる。 仕事を完遂するにはどこかでその情を横に置かなければならない瞬間がある。断ること。切ること。終わらせること。誰かの感情に引っ張られすぎず自分の役割に戻ること。 『殺し屋の営業術』は極端な設定を使いながら、実はとても現実的なことを描いていると思った。私たちの日常にも小さな仕事と情の葛藤はある。 相手がかわいそうだから言えない。嫌われたくないから断れない。本当は違うと思っているのに場の空気に流される。 逆に仕事だからと割り切りすぎて人の痛みを見落としてしまう。 情がありすぎると仕事は進まない。情がなさすぎると人間が壊れる。だから大切なのは情を消すことではなく情の置き場所を決めることなのだと思う。 この本を読んで強く残ったのは、鳥井の異常な営業力そのものよりも、彼が人の心をどこまで仕事の道具として使えるのかという怖さだった。営業とは相手を喜ばせる仕事にもなれるし、相手を追い詰める仕事にもなれる。言葉は救いにもなるし、刃にもなる。 殺し屋がナイフや銃で人を殺すなら、営業マンは言葉で人を動かす。その違いは大きいようで、物語の中ではどこか紙一重に見えた。 完遂に情は必要ないのか。 読後の私の答えは、必要ないのではなく情だけでは完遂できないというものだった。 情は、人を理解するために必要。自分が人間であることを忘れないために必要。でも最後までやり切るには情とは別に覚悟や責任や冷静さが必要になる。 『殺し屋の営業術』は命がけの犯罪小説でありながら、仕事とは何か、プロとは何か、人の心を扱うとはどういうことかを考えさせる作品だった。 読み終えたあと、私は思った。本当に怖いのは情のない人間ではない。情を理解したうえでそれでも目的のために動ける人間なのかもしれない。 そしてそれは、殺し屋だけの話ではない。私たちが仕事をする時、誰かと関わる時、言葉で相手を動かそうとする時いつも少しだけ問われている。 その言葉は、優しさなのか。 営業なのか。 それとも、刃なのか。 終章の鳥井VS鴎木は、もはや営業ではなく支配。読んでいるこっちまで詰められている感覚? 最後はピンクダイヤモンドの伏線まで鮮やかに回収して、「ノルマ達成」で締めるのがあまりに鳥井。次のノルマも見せてください! 鳳条 暦

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  • 05/06 16:30

    こよ眠

    人が多い。予定を入れなくてもいい。天気もあまり良くない。空気は蒸し暑くて身体にまとわりつく。 どう頑張っても眠たくなってしまう日がある。 熊が巣にこもり暖かい春を待つように。鳥が雨の日に羽を休めるように。 人間にもそういう日があっていいのだと思う。 いつ眠ってもいいのなら眠ってしまおう。絶対の用事がないのなら今日は寝てしまおう。 怠けているのではない。多分。暦に、天気に、湿度に少しだけ押し負けているだけだ。 身体には身体の都合がある。心には心の速度がある。世間がGWだからといって私の中まで金色に輝かなければいけないわけじゃない。 休日の正解みたいな顔をして歩いている人もいるけれど、本当は何もしないことでしか戻ってこない自分もいる。 寝てもダメな時はダメだ。でも寝ないともっとダメな時もある。今日はマイナスに数えない。 これは失敗ではなく生態だ。私という生き物の天気に対する反応だ。 今日だけは自分を責めなくていい。 きっと明日はもう少し動ける。来週は少しだけ遠くへ行きたくなるだろう。来年のGWにはちゃんと予定を入れてるかな。 今日の私は柔らかいベッドに引き込まれてしまいたい。まぶたの重さに逆らわず身体の沈む方へ落ちていきたい。世界が少し騒がしい分、私の部屋だけは静かな巣であってほしい。 起きたら映画でも見よう。何も成し遂げなかった今日の終わりに誰かの物語を少し借りる。 私は私の巣に帰る。 眠ってしまう自分を責めないための、小さな許可証を誰か発行して欲しい 鳳条 暦

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  • 05/05 16:30

    5/7.9 11:00-/13:15-

    GW明けの空き枠のお知らせです? GW、全ての枠を満たしていただきありがとうございます。 紳士様のおかげで楽しい時間が過ごせそうに思います。 明けの7日、9日は 11:00-.13:15-にまだ空き枠がありますので、お時間があればお会いしたいです?? あったかいあったかいので、春服を引っ張り出しました。肩が軽い? 鳳条 暦

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  • 05/05 09:30

    もしもーし

    暦ちゃん最近お客さんにメッセージ書くことあるよね。いいな。ヤキモチ妬いちゃう。 俺には書いてくれない笑 実は俺にも書いています? そういう顔を普段しないのにヤキモチ焼きで、書いて欲しいな〜と駄々こねこねするあたりがとってもキュートですよ/// これ、俺じゃん!ってあまりにも露骨な文はできるだけ避けて(口コミへの返事を除く)書いてるつもりです?? でもまあ、待合もするって言ったのにちょっとタジタジして、新しい髪型を褒めたらニコニコと笑う貴方といるのがとても楽しい?? 流行りも好きも貴方にはよく似合っていますよ。 ちゃんと読んでるかな?笑 月末楽しみにしていますね? これから食べます笑笑食べていないものの日記を書くのはあまりないことです? コーヒーが飲めない私にエスプレッソが食べれるのか? ----- センスなんてものは持って生まれたものではなく、才能でもない。センス=生き方の蓄積だと思います。 髪型も服装も貴方を構成する全ては貴方の人生そのものなんですね??小さな変化に気づける人でありたいです。 ? センスなんてものは、持って生まれた特別な才能ではなく、日々の積み重ねが少しずつ身体の奥に沈んで、自分でも理由を説明できないままこっちのほうが美しいと感じる。 それがセンスなのだと思う。 何を見てきたかであり、何に心を動かされてきたかであり、何を美しいと思い、何を違うと感じてきたかの集積。人生の中で何度も何度も選び直してきた自分の輪郭。 美しいものを見てきた人は、美しい違和感に気づく。深く傷ついたことのある人は、人の痛みを雑に扱わない。本当に寂しい夜を知っている人は、誰かの沈黙を乱暴に破らない。  選択の積み重ねがその人の空気になる。 本当のセンスは、取り繕えない。写真だけではごまかせても、会話には出る。服装では隠せても、食べ方には出る。言葉では飾れても、別れ際の態度には出る。部屋にも、文章にも、人との距離の取り方にも、その人がこれまで何を大切にしてきたかが滲む。 センスがある人と自分にとっての美しさを時間をかけて育ててきた人だ。たくさん失敗して、たくさん遠回りをして、それでも私はこれが好きと言えるようになった人。 人生に対する感度だ。どれだけ自身の目で確かめたか。そのすべてが、その人の選ぶ言葉、空間に現れる。 たくさん見て、たくさん歩いて、たくさん好きになって、たくさん間違えればいい。 センスは生きた分だけ滲み出るものなのだと思う。 鳳条 暦

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  • 05/04 17:01

    まだ名前のない感覚

    音楽を聴くときは音量をかなり大きくする。 耳を完全にイヤホンで塞いで、外の音を入れないように。 それはただ音楽を楽しむためだけではなくて、 外に向きすぎた自分を、一度自分の中へ戻すための作業なのだと思う。 人と話すとき、学校や仕事の中にいるとき、私の中の矢印はいつも外側へ向いている。 あの人はどう思っているのか。今の言葉は正しかったのか。自問自答と反省会が始まる。 そうやって、知らないうちに自分の感覚を外へ外へと差し出している。気づけば、自分の中心が少し薄くなっている。 音楽を聴く。イヤホンで耳を塞いで音量を上げる。外の世界との境界線をはっきりさせる。 音楽が流れた瞬間、周りへ向いていた矢印はゆっくり自分の内側へ戻ってくる。 誰かのために整えていた表情は少しずつ戻ってくる。 自分へ向く矢印が多いほど、人は内向的になるのかもしれない。外の世界とすぐに馴染めなくなるし、大勢の中で軽やかに笑うことが少し難しくなる。 でもその分、深く考えられる。ひとつの言葉に立ち止まれる。人の表情の奥にある寂しさに気づける。自分の心が揺れた理由を、なかったことにしないでいられる。 内向的であることは、閉じていることではない。世界を拒んでいるわけでもない。 ただ、外に流されすぎないように、自分の中に小さな部屋を持っているということ。 音楽は、その部屋の鍵みたいなもの。 音量を上げるほど、世界から離れていくようで本当は自分に近づいている。耳を塞いでいるのに、心は少しずつ開いていく。 音楽が好き。誰かと繋がるためだけではなく 一度ちゃんと自分に戻るため。 ? 鳳条 暦

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  • 05/03 09:31

    羽ばたく宝石

    節目の貴方。会うタイミングがいつもとてもちょうど良いと感じます。 会うまではまだ会えないかな…と長く感じるのに、会ってみればもう1カ月も経ったのね!とびっくりするのです? また来月 と書く、多忙で慕われ者の貴方を、もしかしたらまたすぐに会えるかも!と思う私を許してくださいね。 彦根土産。結構馴染みの深いひこにゃん?そう実は結構馴染み深いのですよ笑 ぬいぐるみとか実は大好きで、ベットサイドにはたくさんの可愛いぬいぐるみたちが積まれています?? ここでもまた白っぽいねこ様多めです。 大人になりきれないのです。 きっとぬいぐるみがないと寝れない? ----- 雲がね、鳥のように見えたのです。 話す鳥もいるらしいですよ? 貴方が教えてくださったハチドリの一滴、実は話自体が途中で終わってしまいます。 どうせなら…と思い少しだけ続きを考えてみました? ??ハチドリ自身が救われる ハチドリは、水を運びながら思っていた。 私は何をしているんだろう、本当は怖い、本当は逃げたい。 しかしそれでも水を運んだ。やがて夜になり、火はまだ燃えていた。ハチドリは疲れ切って、川辺に落ちた。 そこへ、一匹の小さなリスがやってきた。 森は消えないかもしれないね。ハチドリは黙っていた。 リスは言った。でも、あなたを見ていたら、逃げた自分が少し恥ずかしくなった。明日、私もできることを探すよ。 ハチドリは初めて、自分の一滴が火ではなく、 誰かの心に届いていたことを知った。 そして、私は森のために水を運んでいた。でも本当は、自分の心を燃やし尽くさないためにも運んでいたんだ。と思った。 自分にできることをするのは誰かのためだけでなく、自分が自分を嫌いにならないため。そして何もしなかった自分をあとから責め続けないため。自分の良心と仲直りするため。 逃げなかった と言えるようにするため。 全部背負えないことを理由に、何も背負わない人にはならない。 この姿勢が美しい。 _____ 結果の倫理ではなく、在り方の倫理 どれだけ成果を出したか。評価されたか。 そういう物差しではなく、私はその場面で、自分の良心に対して誠実だったかという物差し。 ハチドリは、勝ったから尊いのではなく、火を消したから意味があるのでもない。 負けるかもしれない場所で、それでも自分の心を裏切らなかったから尊いと感じる。 人間も同じで、誰かに優しくしたのに伝わらないことがあるし、正直に生きようとしても損をすることがある。 多分私たちはすぐにじゃあ意味なかったのかな  と思ってしまう。 でも、意味は結果だけにあるんじゃない。 その時間自分がどういう心でそこにいたかというところにちゃんと意味がある。 ? ハチドリは本当は自分自身も救っていた。 弱さを認めながら、それでも自分を無力そのものにはしなかった。 無力であることと何もしないことは違う。 人は自分の無力さに慣れすぎると、心が乾いていく。自分を守っているつもりで、少しずつ感じる力を失っていく。 でもハチドリは感じることをやめなかった。 小さいのに、自分にできることを探した。 世界を救う前に、自分の心を生きたまま保つ行為。 遠くの偉人より近くの賢人。 言葉は真摯たれ。 鳳条 暦

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  • 05/02 17:15

    猫はいつも健康なお手本です。

    戦闘服を脱ぎ捨てる、という言い方は少し芝居がかっている。けれど、放課後のあの一瞬には確かに「任務終了」の空気が漂っていた。 胸元のリボンを外し、結び目の跡が少しだけ残る。きっちりと束ねられていた髪を解けば、空気を含んで柔らかく広がる。制服はそのままなのに、どこか別の衣装に見えてくるのが不思議だ。スカートの裾をほんの少し折るだけで、規則だったものが自分のものになる。 「さぁ、ここからはパーティーの時間だ」 そんな言葉は誰も口にしないのに、足取りがそう語っている。駅へ向かう背中、笑い声の弾み方、わずかに浮き足立ったリズム。夕暮れの街に溶けていくその集団は、どこか別の世界へと滑り込んでいくようにも見える。 一体どこへ行くのだろう。 決まった目的地など、きっとない。コンビニの前でたむろするかもしれないし、どこかのファストフード店でポテトをつまむだけかもしれない。ただ、どこかへ行く というその行為そのものが、彼女たちにとっては特別なのだ。 妙な衝動に駆られる。 野良猫の跡をつけるように、気づかれない距離を保ちながら、こっそり後を追ってみたくなる。彼女たちがどんな場所にたどり着き、どんな顔で夜を過ごすのか、その断片だけでも覗いてみたくなるのだ。 野良猫がふとした角を曲がって消えてしまうように、あの時間のきらめきは追いかけようとした瞬間に、するりと逃げていく。外側から覗こうとした時点で、それはもう同じものではなくなってしまうのかもしれない。 彼女たちと同じ空気を少しだけ共有しながら。届かない距離のまま、その自由さを想像する。 行き先が曖昧だからこそ、どこへでも行ける。名前のつかない時間だからこそ、何にでもなれる。 あの勇み足の正体は、場所ではなく、まだ形を持たない未来そのもの。

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  • 05/02 09:30

    運も実力のうちです

    仕事を休んだことを後悔しない時間に私はできたでしょうか? 貴方にとてもよく似合う爽やかなストライプスーツは、貴方がゆったり過ごす手助けをするでしょう。 夏を感じました。 どこへ行かれたのかまた教えて欲しいです。 アマミノクロウサギさま。大陸から切り離され、島に残された。環境や外敵が違うから普通のウサギとは違う姿のまま生き延びた。 耳や足が短く、ちょっとずんぐりした姿がとても愛らしい? ----- ??努力しなくていい という話ではなくて、人生は自分だけでは決まらないからこそ、自分の一手が想像以上に遠くまで響くという話 ・人生は自分次第という言葉の危うさ 人生は自分次第だ と言われると、一見前向きに聞こえる。努力すれば変われる。選択すれば未来は開ける。諦めなければ道はできる。 たしかに、その言葉に救われる瞬間もある。自分の人生を誰かのせいにせず、もう一度立ち上がるためには、必要な言葉。 しかし、人生にはどう考えても自分次第ではないものが多すぎるゆえに残酷な言葉 人生は、本人の意志だけでまっすぐ組み立てられるものではない。無数の偶然が絡まり合い、その中でようやく自分らしさのようなものが形を持ち始める。 人生は自分次第だ という言葉は、半分は本当で、半分は大嘘なのだと感じた。 ? ・人生は、成り行きの産物である 生物の進化を見ても、歴史を見ても、世界は綺麗なだけの計画によって進んできたわけではない。 生物はこうなるべきだ と決めて進化したわけではなく、たまたま環境に合ったものが残り、たまたま残ったものが次の世界をつくってきた。 歴史も同じで、偉大な人物の強い意志だけで動いたように語られるけれど、実際には天候、病気、地形、噂、偶然の出会いが、何度も世界の流れを変えてきた。 世界は、最初から意味を持って完成されていたわけではなく、後から振り返った人間が、あれは必然だった と物語にしているだけかも。 間には無数の偶然がある。 人生は単純な因果関係では説明できないのに、 人間はそれを説明したくなってしまう。 ? ・人間は、複雑なものを単純化したがる 人間は、複雑なものが苦手だから、世界を二つに分けたくなる。 そのほうが安心できるからで、複雑なまま受け止めるには、世界はあまりに不安定すぎる。 ければ人生は、本来そんなに単純ではなく、良い選択が、必ず良い結果になるとは限らない。 遠回りが、あとから見れば必要な道だったこともある。 人生は一本の線ではなく、無数の糸が絡まった布のようなもので、きっともっと曲がりくねっている。 どの糸がどこで効いてくるのか、誰も知り得ない。 ? ・些細なものが、運命を変える 人生を大きく変えるのはいつも大事件とは限らず、本人すら忘れてしまうような些細な出来事が、後から考えると大きな分岐点だったりする。 そういう小さな点が人生の進路を少しだけ変える。だから人生は怖いが、同時に希望もある。 今の自分には取るに足りないように見える行動も、未来のどこかで意味を持つかもしれない。 人生は、自分で完全にコントロールできないが、自分の小さな振る舞いが誰かの偶然になることはある。 ? ・私たちは何もコントロールしていない 私たちは、自分の人生すら完全には支配できないから、明日何が起きるかもわからないし、誰と出会うかもわからない。 それなのに、私たちは確かに世界に影響を与えているし、そこには自分の限界を認める謙虚さと他者となら変われるかもしれない という希望がある。 ? ・自分次第ではなく、自分もまた一部である 自分ひとりでは決められない世界の中で、私たちは互いに影響し合いながら生きている。 偶然に流されるだけではなく、偶然の一部として誰かに作用し、誰かに出会わされるだけではなく、自分もまた誰かにとっての出会いになっている。 すべてをコントロールできないから、傲慢にならなくていいけど、何かに影響を与えているから無責任にもなれない。 人生は優しいようで少し怖い。自分だけの作品ではない。 もし人生が完全に自分次第なら、他者はいらない。 大切なのは協力、互いに影響しあうこと。 人生は自分次第ではない。けれど、自分の一手は、思っているよりずっと遠くまで届いている。 鳳条 暦

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  • 05/01 21:15

    弱音もたまには吐いてみる

    言えないんです。 たぶん私は、自分からはまだ言い出せなくて。 これからは遊んだ後に私から直接予約もできるし、 次の約束をその場でできるってわかっていても、 絶対その時に決めなきゃいけないわけじゃないって思っていても、 (新しい予約のシステムです??♀?) やっぱり怖いんです。 理由がどうであれ、 せっかく自分から誘って断られたらどうしようって気持ちが、どうしても先に勝ってしまうから。 だから、あなたが誘ってくれたら嬉しい。 あなたから「また会おう」って伝えてくれたら、その時の私は、きっと100%笑顔で頷けます。 また、あなたに会いたい。 私がもう少し素直に、わがままを言えるようになるまでは。 (次回の予定がわかる場合?)どうか、少しだけ私の手を引いていてくれませんか? 鳳条 暦

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  • 05/01 16:45

    君を眺めることしかできない

    朝は、なぜだか座りたくなる。 一日の中でいちばん元気な時間のはずで、立っていることだって苦ではない。それでも、朝だけは座りたいと思う。理由はうまく言葉にできないが、感覚として確かにある。 ドア付近の補助シートが使える時間になると、車内に流れるあの放送に、ほんの少し安心する。ああ、座っていいんだ。と許可をもらえたような気がするから。 座ったからといって、眠るわけではない。スマホを伏せ、目を閉じる。ただそれだけ。 走り出した電車はかすかに揺れる。そのリズムに身を預けながら、どこか曖昧なままの意識で過ごす数分間。 きっと私は、休みたいのではなく、まだ何者にもなっていない朝の自分でいたいのだと思う。 動き出す前の、名前のついていない時間。 そこでただ揺られていたい。 鳳条 暦 ?

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  • 05/01 10:02

    GWのお知らせ?

    GWにお会いできる日のお知らせです。 4(月) 11:00- 6(水) 11:00-、13:15- 3枠のみですかまだ空きがありますのでお会いしたいです?? 他の枠は満たしていただきました。お会いできるのを心より楽しみにしております? 今日はとても考えさせられる手紙をいただきました。 人としてではなく、女性としてどう在りたいか。 私まだきっと伸び代しかないようです? 学校生活が始まって約1ヶ月。 皆様にも心配をかけすぎないように頑張るつもりです? 5月もよろしくお願いします? 鳳条 暦

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  • 05/01 09:30

    空の写真を撮りたがるのは

    年齢の割に落ち着いた印象の貴方様。 試合前の勝利祈願?  黄金の右腕には力が入りすぎないようにπのおまじない。 頼もしい手の温もりをまた感じさせてください。 櫛をいただきました? 何でもあまり差がないものだと思っていたのですが、まだまだ世界は広いように感じます。 値段もきっとわかりやすい価値なのでしょう。 大切に使わせていただきます?? ----- 貴方が褒めてくれた言葉の1つです? 直感的で判断の速い貴方が見つけてくれた言葉についてもう一度考えてみました。  私に少しだけ自信を持たせてくれて、感謝しかないのです?? ??価値の輪郭 価値とは何か。それは最初から物事の中に備わっているものなのか。人間が意味づけることで初めて現れるものなのか。 単なる大切なものの話ではなく、人間はなぜ何かを大切だと思うのか、その大切さはどこから来るのかという話。 価値は、物の中にあるのか、人の中にあるのか 価値は、対象そのものに宿っているのか。 それとも、それを見る人の心によって生まれるのか。 同じ一枚の手紙でも、ある人にとってはただの紙で、別の人にとっては一生捨てられないものになる。紙そのものの成分は変わらない。文字のインクも変わらない。しかしそこに宿る価値は全く違う。 だとすると価値は物と人間の関係のあいだに生まれるものなのかもしれません。 それを見つめる私、それに触れてきた時間、それを失いたくない理由によって輪郭を持つ。 価値とは、物体ではなく、関係性のかたち。 _____ 価値の輪郭は、なぜ最初から見えないのか 本当に大切なものほど、日常の中ではぼやけていることが多い。家族。健康。何気ない会話。帰る場所。自分を否定しない誰か。自由に考えられる時間。 こういうものは、あまりにも近くにありすぎると、価値として認識されにくい。 人間は、存在しているものよりも、不足しているものに意識を向けやすいから。すでにあるものは静かすぎる。 しばしば価値の輪郭は喪失、距離、比較、時間によって初めて浮かび上がる。 _____ 失ってから気づく価値は、本当に価値なのか。執着にすぎないのか。 失った瞬間に美しく見えるものがあります。離れたあとに急に惜しくなる人がいます。終わったあとにだけ、優しく思い出せる時間があります。 それは本当に価値に気づいたのか。それとも、失った痛みが、その対象を美化しているだけなのか。 価値と執着は似ている。どちらも手放したくないと感じさせる。 でも価値は、自分を深くする。執着は、自分を狭くする。 価値あるものは、たとえ手元になくても、自分の中に静かな強さを残す。執着しているものは、手元にないと自分を壊していく。 この違いを見極めることが、価値の輪郭を見るということなのかも。 ? 値段と価値はなぜズレるのか 現代では、価値はよく数字に変換されます。 価格。年収。売上。フォロワー数。偏差値。評価。肩書き。いいねの数。 数字は便利。比べやすいし、説明しやすい。他人にも伝わりやすい。 むしろ人間にとって本当に深い価値は、数字にした瞬間にこぼれ落ちることがあります。 例えば、誰かと過ごした何でもない午後。自分を救ってくれた一文。何度も戻ってしまう場所。理由は説明できないけれど、なぜか好きなもの。値段をつけにくいが、人生の支えになる。 数字で測れないものを、私たちはどうやって守るのか。 現代社会では、見える価値ほど強い。数値化できるものほど評価される。逆に、静かで、個人的で、説明しにくい価値は軽く扱われやすい。 人間の人生を本当に支えているのは、案外そういう説明しにくいもの。 ここに価値の輪郭という言葉の深さがある。 価値は、はっきり見えるものだけではない。むしろ、ぼんやりしているからこそ、自分で丁寧に見つめなければならない。 ? 価値は自分で決めているのか、社会に決めさせられているのか 私は、本当に自分の価値観で生きているのか。 それとも、社会が価値あると言ったものを、自分の価値だと思い込んでいるだけなのか。 人は完全に自由に価値を選んでいるわけではありません。 親の価値観。学校の評価。世間の空気。SNSの反応。友達との比較。時代の流行。成功者の言葉。 影響されながら、私たちはこれは価値があると判断しています。 だから怖いのは、自分が欲しいと思っているものが、本当に自分の欲望なのかわからないということ。 欲しい服。なりたい職業。憧れる生活。付き合いたい人。持っていたい肩書き。見られたい自分。 それは本当に自分の奥から出てきたものなのか。それとも、誰かにそれは価値があると教え込まれたものなのか。 価値の輪郭を探すことは、自分の欲望の出どころを疑うことでもあります。 ここで大事なのは、社会的な価値をすべて否定することではなく。お金も、評価も、肩書きも、必要な場面はあると知ること。 ただ、それらが自分の人生の中心に来すぎると、自分にとって本当に大切なものの輪郭が見えなくなる。 だから問い続ける必要があります。 これは、私が本当に大切にしたいものなのか。 それとも、大切にしないといけないと思わされているものなのか。 ? 変わってしまった価値は、昔の自分への裏切りなのか。成長なのか。 例えば、昔は絶対に手放したくないと思っていた夢を、今は少し違う形で見ている。 昔はあんなに大切だった人と、今は距離ができている。昔の自分が信じていた正しさを、今の自分は少し疑っている。 それは薄情なのか。それとも、生きてきたからこそ見えるものが増えたのか。 変わらない価値だけを本物とすると、人は過去の自分に縛られます。 大切なのは、そのときの自分が何を大切にしているのかを、誠実に見つめること。 ? 意味がないものにも、価値はあるのか。 例えば、ただ空を見ている時間。誰にも見せない日記。無駄話。寄り道。理由のない好き。 効率の悪い優しさ。 社会的には意味が薄いかもしれないが、人にとってはこういうものが、心を保つために必要だ。 価値とは必ずしも役に立つことではない。 役に立つかどうかを超えて、自分が人間として息をしやすくなるものに価値は宿るのかもしれない。 ? 価値の輪郭がぼやけるとき 価値が見えなくなる時期があります。 何をしても響かない。何が好きだったかわからない。周りの価値観に合わせているうちに、自分の感覚が鈍っていく。 価値の輪郭を見るには、心に余白が必要です。 急かされているとき、比べ続けているとき、傷つきすぎているとき、人は自分にとって大切なものを見失いやすい。 _____ 問いとして残すなら、こんなものがある。 私は、本当に価値あるものを見ているのか。 それとも、価値があると教えられたものを見ているだけなのか。 私が手放せないものは、私を自由にしているのか。それとも、私を閉じ込めているのか。 失ってから大切に見えるものは、価値なのか。 それとも、喪失が生んだ幻なのか。 誰にも説明できない大切さを、私はどこまで信じられるのか。 価値の輪郭をはっきりさせることは、その価値を守ることなのか。それとも、言葉に閉じ込めてしまうことなのか。 たぶん、価値は完全には説明しきれない。 説明しきれないからこそ、価値なのかも。 ただ、自分の心が何度も戻ってしまう場所がある。忘れようとしても、どこかに残っているものがある。それに触れると、自分の輪郭まで少しはっきりする。 そこに、価値の輪郭がある。 その輪郭を見つめることは、自分の生き方を選び直すことなのだと思う。 鳳条 暦

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  • 04/30 09:30

    期待と失望

    教えてもらった貝ラーメン食べることができました? 麺が半分にできたのでペロリと完食? レンガの上にスープと麺を乗せて味玉を少し乗せるミニラーメン式の食べ方がお気に入りです? また、たまには美味しいご飯食べようかなと思います。 きっとこれも良い経験?? ----- どうせ助かる とみんなが思うほど、本当に助からなかった時のダメージは大きくなる。 TACOは一般に Trump Always Chickens Outトランプは強硬姿勢を取っても、最後は市場や経済への圧力に耐えきれず引くという見方として使われています。市場では、強硬発言や関税・地政学リスクで株が下がったあと、どうせ引くと見て押し目買いする行動がTACOトレードと呼ばれています。? ----- ・レジーム レジーム=その時代・相場・政治の支配的なルールや空気感のこと。 相場でいうと、金利が低いから株が上がりやすい、インフレが強いから中央銀行が利上げしやすい、政府が市場を支えると投資家が信じている。 このような投資家たちが前提にしている大きな環境を レジーム と言う。 今回のTACOレジーム は、トランプ政権は強硬策を打つけれど、市場が大きく荒れたら結局引くだろう、と投資家が信じている相場環境という意味。 ? ・TACO TACO=Trump Always Chickens Out の略。直訳すると、トランプはいつも最後にはビビって引くという意味。 相場では、トランプ氏が関税・制裁・戦争・強硬発言などで市場を揺らしても、株価が大きく下がったり経済に悪影響が出たりすると、最終的には態度を弱めるだろう、という見方を指します。 感覚としては、最初は強く出るけど、どうせ最後は市場を見て引くでしょということ? だから株が下がると、どうせTACOするから、ここは押し目買いだという考えが出てきます。 ? ・テールリスク テールリスク=めったに起きないけれど、起きたら大損害になるリスク のこと。 普段は大丈夫だけど、もし戦争が拡大したら一気に株が暴落する、普段は押し目買いで勝てるけど、もし政策が引かずに本当に悪化したら大きく負ける。 確率は低いけど被害が大きいリスクです。名前の由来は、確率分布の端っこ、テール=しっぽ にある。 普通の値動きは真ん中あたりで起きます。でも、めったに起きない大暴落や大暴騰は、分布の端っこにあります。その端っこのリスクを テールリスク と呼ぶ。 ? トランプレジームの本質。TACOモラルハザード トランプレジームの本質は、ボラティリティを作り、それを自ら消しにいく構造にある。 今回の戦争を見ていても、多くの投資家の中にはどうせ最後はTACOするという期待があるように見える。つまり、政権が強硬策を打ち出して市場が揺れても、一定以上に痛みが広がれば、最終的には態度を軟化させるだろうという見方だ。 TACOレジーム下では、ボラティリティは大きくなりやすい。しかし同時に、ある水準を超えると、今度はボラティリティを抑え込む力が働きやすくなる。 低ボラの局面では、政権は強硬策を打ちやすい。市場が落ち着いていれば、関税、制裁、軍事的圧力、強い発言を使いやすいからだ。 一方で、高ボラの局面ではTACOが起きやすい。市場の動揺が大きくなり、株価や景気への悪影響が政権に返ってくると、強硬姿勢を維持するコストが高くなる。 つまりこれは、自分で作ったボラを、自分で消すレジームである。 だから株は押し目買いされる。どうせTACOするからだ。 しかし、ここで重要なのは、TACOはテールリスクを消しているわけではないということだ。むしろ、TACOへの信頼が強まれば強まるほど、市場は下がったら買えばいいと学習していく。下落は危険信号ではなく、買い場として処理されるようになる。 その結果、表面的にはリスク耐性が高まったように見える。だが実際には、リスクが消えたのではなく、奥に押し込められているだけだ。 TACO目当ての押し目買いは、おそらく多くの場合うまく機能する。政権が市場の痛みに反応し、強硬策を緩め、株価が戻る。その反復が続けば、投資家はますますTACOを信じるようになる。 だが、問題はその先にある。 もしある時、TACOが不発に終わったらどうなるのか。政権が引けない。市場が期待した軟化が来ない。地政学リスクやインフレ圧力が実体経済に食い込み、政策の後退では吸収できなくなる。 その時、市場は単に下がるのではない。それまで積み上がっていた「どうせ戻る」という前提そのものが壊れる。 TACOトレードの怖さはここにある。それはボラティリティを売っているように見えて、実際にはテールを売っている。 普段は勝ちやすい。だからこそ危ない。 市場がTACOを信じるほど、TACO不発時のショックは大きくなる。 安心が積み上がるほど、失望は非線形になる。 だから、TACO押し目買いを否定する必要はない。現実的な戦略として機能する局面は多いだろう。 ただし、それをリスクが小さい取引と勘違いしてはいけない。それは、頻繁には表面化しないが、一度表面化すれば大きな損失をもたらすリスクを抱えた取引である。 TACOとは、安心の名前をしたモラルハザードだ。そして自戒として最も重要なのは、どうせ助かると思った瞬間、自分はすでにテールを売っているという感覚を忘れないことだ。 鳳条 暦

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  • 04/29 08:30

    呪いをかけられたのは?

    貴方はとてもかっこいい。 私の思うかっこいいは外見だけの話ではありません。 貴方と過ごす時間にすごくドキドキさせられます。 貴方のリードが心地よくて、あっという間に過ぎる時間を寂しく思います。 多忙な貴方と次にいつ会えるか私は楽しみで仕方がないのです。 中身も最高に芸術的です? 芸術はわかりません。いつか、わかる 人になりたいです? ----- ??人が豚に見えるのは、人が豚に変化しているからなのか、見るもの自身の思考の変化なのか 『千と千尋の神隠し』で両親が豚になる場面は、物語上は実際に豚に変えられた と描かれています。食べてはいけないものを貪欲にむさぼり、欲望に飲まれた結果として、異界のルールによって姿が変わる。 ただしこの作品は象徴性が非常に強いので、本当に豚になった のと同時に、豚のような存在として見えるようになった という哲学的読解も成り立ちます。 1. 豚=単なる動物ではなく、欲望のメタファー 豚は多くの文化で貪欲、消費、無自覚さの象徴として使われます。 つまり両親は罰として豚にされた だけでなく、すでに内面的に豚的だったものが可視化されたとも読めます。 外見が本質を決めるのか内面が外見を規定するのか…? ここでは欲望に支配された精神状態が身体化している。 2. 千尋の視点:認識の変容 重要なのは、観客も千尋も豚になった と認識すること。つまりこれは存在論だけでなく、認識論(どう見えるか)の問題でもあります。 ある出来事をきっかけに人が豚に見えた と言うとき、それは必ずしも物理的に豚に見えたというより、 急にその人の欲深さ、群集性、自己中心性、品位の欠如が豚 という象徴で知覚された可能性があります。 哲学者 フリードリヒ・ニーチェ 的に言えば、人はある瞬間に 価値の仮面 が剥がれ、本質が別の形象として立ち上がることがある。 人が豚に見えたは、幻覚というより倫理的直観が比喩として知覚を支配したとも解釈できます。 3. ユング心理学:影(シャドウ)の投影 カール・グスタフ・ユング 的には、人は自分の無意識にある嫌悪や本能的判断を外界に投影します。 ある人物を見て豚だ と感じるとき、それは 相手の過剰な欲望への感知、自分の中の抑圧された嫌悪、社会への幻滅が象徴として噴き出す場合がある。 4. 社会批評としての豚 『千と千尋』公開当時の日本社会には、消費社会・バブル後の空虚さへの批評として読む人も多い。食べ続ける大人は、資本主義的消費に取り込まれた人間像。豚は人間性を失った消費者 5. あなたの経験との接点 「その瞬間、人が豚に見えた」というのは、強い心理的衝撃によって、それまで人間として見ていた存在の意味づけが崩れ、象徴的本質が前景化したとも考えた。 姿 が変わったのではなく、意味 が変わった。 宮崎作品では豚になるは欲望への堕落の象徴。認識論的には豚に見えるは価値判断の変容、心理学的には投影や象徴化、社会的には消費社会批判 人はある行為によって、まだ人間の姿をしていても人間ではない何かに見えることがあるのか? 『千と千尋』は「ある」と答えている作品とも言える。 比喩的・心理的・哲学的には、その問いに触れた瞬間だったのかも。 鳳条 暦

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  • 04/28 16:30

    誰かのヒーロー

    肉体美と爽やかな笑顔、 笑顔が作る皺はまるで元からそこにあったのではと…錯覚させられる。 自然な貴方に惹かれました。 肌同士が触れる感覚が心地よい。 1人に決めきれないなら、今日これからは私を選んで欲しいとほんのり願いました。 奄美のお土産もらいました? 曇りが多い地域だと聞いて驚きました? 私の中では奄美はもう沖縄のイメージ。 人生の夏休みはどこに行こうかちょっとずつ考えています?? ----- 丁寧にプリントアウトしてまで教えてくれてありがとう?? 私なりに考えてみました。 また貴方の考えも聞きたいので、話に続きがあったら…というのもまた考えてみようかなと思います? ??ハチドリのひとしずく 大きな問題に対して、自分にできる小さなことをするという話としてよく語られます。 森が燃えている。動物たちは逃げていく。でもハチドリだけは、くちばしで水を一滴ずつ運び、火に落とす。それを見た動物たちが笑う。 「そんなことをして何になるの?」 ハチドリは答える。 「私は、私にできることをしているだけ」 この話の深さは、その一滴で森が救えるかどうかではなく、救えないかもしれないと知りながら、それでも一滴を落とす心にあると思います。 大人になるほど、私たちは結果の大きさで行動を測るようになります。意味があるか。効率がいいか。誰かに認められるか。本当に変わるのか。 ハチドリはそこを見ていない。火の大きさと、自分の小ささを比べて絶望するのではなく、 それでも今の私にできることは何か を見ている。 きれいごとではなく、かなり強い態度だと思いました。 なぜなら、小さなことを続けるには自分の無力さを一度ちゃんと受け入れなければいけないからです。 私ひとりでは全部は変えられない、この一滴で世界は劇的には変わらない、きっと誰かには笑われる。  それでも、やる。 それでも に、人間の尊厳がある気がします。 誰かを救う言葉も、勉強を続けることも、 体を整えることも、優しくしてくれた人に優しくすることも、自分を諦めないことも、外から見れば、全部ひとしずくみたいに小さい。 ひとしずくはゼロではない。ゼロではないものを、ゼロみたいに扱わないこと。それがハチドリの強さなのだと思います。 大きな炎を前にすると、私たちはすぐに無駄かもしれないと思う。でも本当は、無駄かどうかはすぐには決まらない。一滴は火を消せなくても、誰かの心を動かすかもしれない。 その姿を見た別の誰かが、もう一滴を運ぶかもしれない。そしていつか、一滴ではなく流れになるかもしれない。 だからこの物語は、小さな努力でも世界を変えられる という単純な希望だけではなく、 世界が変わる保証がなくても、自分の在り方は選べる という話なのだと思います。 ハチドリは、森を救うヒーローというより、 自分の良心から逃げなかった存在。 私たちの毎日も、きっとひとしずくの連続です。誰にも見られない努力。すぐには結果が出ない勉強。うまく伝わらない優しさ。自分を立て直すための小さな習慣。 大切なのは、大きなことをできる人になることだけではなく、小さなことを馬鹿にしない人でいること。 ひとしずくを落とせる人は、自分の心を荒れ果てたままにはしない人。 続けられる事が出来たら、続けられなかった事にも意味が生まれるのかなと思って私はコツコツ頑張れる。 鳳条 暦 ?

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  • 04/27 09:30

    退屈を奪っていこう

    優しすぎる先生は多くの方から頼りにされています。 貴方にだけは頑張れと言えない? 無茶をしてはいけません。 どうか次にお会いする際には全てが良い方向に進んでいますように。 自分、運だけは良いのです。 ラ・メゾン・デュ・ショコラの春のチョコ??? 季節限定という言葉に弱い。夏になると食欲が落ちてチョコばかり食べていた時期があるので、美味しいチョコには要注意? ----- ??楽しむ人には敵わない という言葉には、 かなり深い真理があると思う。 人はよく、努力できる人が強い、才能がある人が強い、我慢できる人が強い、と思いがちだけれど、実は一番強いのはその行為の中に喜びを見つけてしまった人なのかもしれない。 努力している人は、まだどこかで自分と戦っている。やらなければならない自分とやりたくない自分がいて、その間で踏ん張っている。 でも、楽しんでいる人は戦っていない。むしろ、その行為と自分が一体になっている。 孔子の 知る者は好む者に如かず。好む者は楽しむ者に如かず という言葉は、単なる勉強論ではなく、人間がどう生きる時に一番深く力を発揮するのかを語っているように思う。 知っているだけの人は、まだ対象を外側から見ている。好きな人は、対象に近づいている。 でも楽しむ人は、もう対象の中に入っている。 たとえば、音楽を知識として語る人がいる。 音楽が好きな人もいる。でも音楽を聴いている時に、自分の輪郭が溶けるような人がいる。 その人にとって音楽は趣味ではなく、世界とのつながり方になっている。 ここでいう楽しむは、軽い快楽とは違う。 ただ笑っていることでも、楽なことだけを選ぶことでもない。 本当の楽しさとは、苦しささえも、その道の一部として引き受けられる状態なのだと思う。 好きなことでも、面倒な日はある。上手くいかない日もある。比べて落ち込む日もある。 それでも、その奥になぜか戻ってきてしまう感覚がある。それが楽しめることなのだと思う。 楽しめることを継続する、というのは、自分を甘やかすことではない。むしろ、自分の生命力がどこに向かって流れているのかを見極めることに近いのだろう。 人は何でも続けられるわけではない。根性だけで続けるものには、いつか限界が来る。でも、自分の内側から湧いてくるものは、外から命令されなくても続いてしまう。 楽しめることを探すために色々な経験をするというのは、単なる行動力の話ではなく、自分という存在を実験することなのだと思う。 私は何に反応するのか。何をしている時に、時間を忘れるのか。どんな瞬間に、世界が少し明るく見えるのか。何に触れた時、自分の中の眠っていた部分が起きるのか。 色々な経験をするというのは、世界を広げることであり、同時に自分の輪郭を知ることでもある。人は、頭の中だけでは自分を知れない。 経験してみて初めて、 あ、私はこういうことが好きなんだ、これは憧れだったけれど、私の喜びではなかったんだ とわかる。 そう考えると、失敗も遠回りも無駄ではない。 続かなかったことも、自分を裏切ったことではない。それは、自分の魂がどこには住めないのかを教えてくれた経験なのだと思う。 多発好転という言葉があるなら、たくさん動くことで人生が好転するというより、たくさん触れることで、自分と世界の相性が見えてくるということかもしれない。 人生は、最初から正解の道を選ぶものではない。むしろ、触れて、違和感を覚えて、離れて、また惹かれて、その繰り返しの中で、少しずつ自分の場所に近づいていくものなのだと思う。 楽しむ人には敵わない。 結果が出る前から、すでにその時間の中で報われている。だから続く。深まる。遠くまで行ってしまう。 楽しさとは、人生がこちらに向かって小さく開く扉なのかもしれない。その扉を見つけた人は、無理に自分を押さなくても進んでいける。 そしてきっと、幸福とは大きな成功のことではなく、 自分が自然に続けてしまうものに出会い、その中で少しずつ自分になっていくことなのだと思う。 鳳条 暦 ?

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