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鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

T164 B83(E) W55 H82

 

09/21(月)

  • ソープ求人
  • 男子求人

オゴトガイド見たとお電話ください!

電話 050-5448-9022

営業時間 11:00-24:00

  • 08/31 09:30

    短話:諦

    諦めがついたら、気持ちはどこにも行かなくていいのだと思う。 ? 好きだったことも、叶えたかったことも、消えてしまうわけではない。ただ、自分の中で居場所が決まる。 ? 行き場をなくして暴れていた気持ちが、ようやく自分の一部として静かに収まっていく。 ? 忘れることが、諦めることではない。 もう追いかけなくても大切にできるようになることが、諦めなのかもしれない。 鳳条 暦

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  • 08/30 20:15

    短話:誠実でいたい

    おもしろい文章を書く人は、出来事そのものがおもしろいのではなく、自分の心を誤魔化さずに見ている。 ? 格好悪い嫉妬も、矛盾した願いも、言葉にするほどではない寂しさも、本当はこうだった と認めて書く。日記に宿る誠実さとは、誰かに正しく伝えることではなく、自分の本音を、自分だけは見捨てないことなのだと思う。 ? だから、おもしろい日記にはその人の人生よりも、その人が自分をどう見つめているかが表れる。 文章のおもしろさは、表現力よりも、自分に対してどこまで嘘をつかずにいられるかで決まるのかも ? ただ自分に誠実であることは、思ったことをすべて正しいと信じることではない。醜さも弱さも認めたうえで、自分に問うこと ? 日記とは、誰にも見せない自分にだけは、嘘をつかないための場所なのかもしれない。 鳳条 暦

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  • 08/30 14:31

    お知らせ?

    来週と現在予約できる全ての枠を満たしていただきました?? 頑張っている自分にとっては貴方と会える時間が少しだけホッとする時間です。 新しいものに満ちていて、刺激的で、でもなぜか落ち着いてしまうそんな時間を過ごしたい。 明日からもよろしくお願いします??♀? 鳳条 暦

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  • 08/30 10:01

    短話

    自信とは、逃げたかった日に逃げなかった記憶だ。 ? 怖さを忘れることではなく、それでも自分との約束を守れたということ。 ? だから次に心が揺れたときも、「あの日の自分なら」ともう一度踏ん張れる。 鳳条 暦

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  • 08/29 17:30

    幸福論

    他人の幸せを自分の不幸に変換しないこと。 これは案外難しい。 ? 昨日までそれなりに満足していたはずなのに、同年代の誰かが結婚したと知ると、急に自分だけ取り残されたような気持ちになる。 誰かがいい家に住み始めれば、自分の部屋が少し狭く見える。 仕事で成功した人を見れば、それまで悪くないと思っていた自分の仕事が、急につまらないものに思えてくる。 誰かが愛されているのを見れば、自分が愛されていないような気さえしてしまう。 ? けれど、よく考えてみれば不思議な話だ。 その人が結婚したことで、私から何かが奪われたわけではない。 その人が成功したからといって、昨日までの私の努力が無かったことになるわけでもない。 私の部屋は昨日と同じ広さで、私の持っているものも、私を好きでいてくれる人も、昨日と今日で何ひとつ減ってはいない。 それなのに、満足だけが減ってしまう。 ? 比較というものはときどき現実を変えないまま、自分の人生につけていた点数だけを書き換えてしまうらしい。 だからといって、人と比べない人になろう とするのも、少し違う気がしている。 ? 人を見て羨ましいと思うことは、そんなに悪いことではない。 綺麗なものを持っている人を見れば欲しくなるし、愛されている人を見れば私も愛されたくなる。 自由そうな人を見れば自由が欲しくなるし、何かに夢中になっている人を見れば、自分にもあんなものがあればと思う。 羨ましさは醜い感情として扱われがちだけれど、本当はそこまで悪者ではないのかもしれない。 ? むしろそれは あなたは、本当はこれが欲しいんじゃない?と、自分でも気づいていなかった欲望を教えてくれることがある。 羨ましいと思わない人になりたいのではなく、羨ましさを自分を傷つける材料にしない人でいたい。 ? 一枚ずつ剥がしていくと、他人の人生は、自分の価値を測る物差しではなくなる。 代わりに、自分の欲望を映してくれる鏡になる。 ? 何を手に入れたら私は幸せになれるんだろう  という問いは、少し大きすぎるのかもしれない。そんなふうに人生全体の正解を探そうとすると、どうしても世間に用意された答えを借りたくなる。 ? もっと小さな問いでいい気がしている。 どんな朝なら機嫌よく起きられるのか。誰と食べるご飯が好きなのか。どんな服を着ている自分が好きなのか。どんな働き方なら、自分を嫌いにならずに済むのか。何をしている時間だけは、誰かに評価されなくても続けたいと思えるのか。 ? 他人と比べないことが大切なのではないと思う。生きていれば、どうしたって比べる。 羨ましい日もある。誰かの幸せを見て、自分だけ何も持っていないような気持ちになる夜だってある。でもそれでいい。 ? 他人の幸せを見てもいい。 眩しくて、少し目を細めてもいい。 ? 幸せとは、誰より多く持っている状態ではなく、自分が好きだと思える人生を少しずつ自分の方へ引き寄せていくこと。 鳳条 暦

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  • 08/28 09:30

    愛着せず

    愛着せず ? 大切にすることと、手放せなくなることは、きっと違う。 思い出の品を捨てられないのは、物そのものではなく、そこにあった時間まで失ってしまう気がするからなのかもしれない。 けれど、思い出は物の中にあるわけではない。 誰かにもらったものが大切なのは、その人と過ごした時間や、そのときの自分の気持ちが残っているからだ。 ? これは人との関係にも似ている。 愛することと、所有することは違う。大切だからと握りしめすぎれば、愛はいつしか執着になる。物も、人も、時間も、いつか形を変えていく。 だから失わないことよりも、 あるうちにちゃんと愛すること。 ? そして手放すとき、もうここになくても私の中には残っている と思えたなら それでいい。 人生の最後まで持っていけるものは何もない。 それでも、そこで感じたことだけは、きっと自分の中に残っていく。 鳳条 暦

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  • 08/27 09:34

    空き枠のお知らせ?

    先週に空き枠のお知らせを忘れていました??♀? 8/31(月) 11:00- 9/1(火) 11:00-、13:15- 9/2(水) ?13:15- ? あっという間に夏休みが終わり、テストに追われていますが、 9月は自身の誕生月ということもあり、ワクワクしている部分もあります? お店に来るまでは誕生日を祝うことも祝われることも少なかったので、 今はそれが楽しみなこと自体が不思議な気分です? ありがとう?? 自分は貴方のおかげで今とても楽しいです。 鳳条 暦

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  • 08/26 09:45

    短話:言うもん

    人生は、いつ終わるかわからない。 ? だからといって、好き勝手に生きられるほど、私はわがままじゃない。 ? 嫌でも笑う日があって、言葉を飲み込む夜もある。それもきっと、生きることの一部なのだと思う。 ? ただ自分を後回しにすることに慣れすぎたくはない。 ? 死ぬことより怖いのは、もっと自分の人生を生きればよかったと最後に気づくことだから。 ? もしかしたら今を楽しめなくてもいい。せめて自分の気持ちを置き去りにしないで生きていたい。 ? 鳳条 暦

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  • 08/22 21:30

    短話:手を離す

    「これはあなたのために書いたんじゃないんだよ」 そう言われたとしても、別に構わない。 ? あなたが知らないところで、その歌に救われた夜があって、その小説のおかげで少しだけ明日が楽しみになって、その映画や絵を思い出すことで、どうにか今日を好きでいられた人がいる。 ? 創作は、つくった人の手を離れた瞬間から、 誰のためのものになるかを選べなくなる。 作者にとっては、ただの一曲、ただの一冊、 人生の途中でつくった作品のひとつだったとしても、 誰かにとっては、その時の人生そのものになることがある。 ? 「あなたのためじゃない」それでもいい。 ? 私は勝手に受け取って、勝手に心を動かされて、あなたの知らないところで、生きるに値する毎日を過ごしていた。 ? それが創作の、少し不思議で、とても素晴らしいところだと思う。 鳳条 暦

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  • 08/21 09:30

    誰がための自分

    誰も見ていない所でも、常にどういう人間でありたいか。 ? 最近、この問いが頭から離れない。 人は誰かに見られているときよりも、誰も見ていないときに本当の姿が表れると言われる。 だからこそ自分を律するためには罰や評価ではなく、もっと静かな支えが必要なのだと思う。 私はそれを信仰心 のようなものと呼びたい。 ? 宗教を信じるという意味ではない。 もっと小さくてもっと個人的なもの。 「こういう人間でありたい」という、自分だけが知っている約束。 それがある人は、誰も見ていない場所でも、自分を裏切らない。 ? 今はあまりにも情報が多い時代だ。 SNSを開けば誰かの成功が流れ、誰かの正しさが流れ、誰かの幸せが流れてくる。 何が正しいのか、何が美しいのか、何を選ぶべきなのか。 世界は絶えず答えを差し出してくる。 便利になった反面、人は自分の答えを持つ前に他人の答えを浴び続けるようになった。 すると知らないうちに、自分が何を信じていたのかさえ分からなくなる。 昨日まで大切だった価値観が、誰かの一言で揺らぐ。 誰かの評価一つで、自分の価値まで変わったような気がしてしまう。 情報が多いということは、選択肢が増えたということでもある。 しかし同時に、自分という軸を失いやすくなったということでもある。 ? だから私は人には何か一つ、自分だけの信仰 が必要なのだと思う。 それは神様でなくてもいい。 哲学でも、本でも、一人の作家でも、一つの言葉でもいい。 この考え方だけは最後まで手放したくない。 そんな小さな灯火があるだけで、人は迷いながらも歩いていける。 信仰とは世界の正しさを信じることではない。 自分がどう生きたいかを、忘れないための装置なのかもしれない。 ? 人生には誰も褒めてくれない選択がある。 落ちているゴミを拾うこと。 陰で誰かを悪く言わないこと。 約束を守ること。 嘘をつかないこと。 感謝を口にすること。 そんな行動は、拍手も賞賛も生まない。 けれどその積み重ねが人格になる。 人格とは誰かに見せるためのものではなく、誰も見ていない場所で繰り返した選択の総和なのだと思う。 だから私は、見られているから正しくある のではなく、見られていなくても、この人でありたい と思える自分でいたい。 ? 海が誰も見ていなくても波を打ち、星が誰も見ていなくても夜空を照らすように、人もまた誰かの視線ではなく、自分の信じるものによって生きられたら美しい。 結局、人を最後まで支えるのは他人の評価ではない。 「私はこういう人間でありたい。」 その静かな祈りだけが、人生のあらゆる雑音を越えて、自分を前へ運んでくれるのだと思う。 ? 鳳条 暦

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  • 08/20 09:45

    ち い か わ2

    その問いから、大岡昇平の小説『野火』に登場する「猿の肉」を連想した。 『野火』では、敗戦間近のフィリピン・レイテ島で、日本兵たちが激しい飢餓に追い詰められていく。主人公の田村一等兵は、「猿の肉」だと言われ、干した肉を差し出される。しかし、それは本当の猿ではなく、死んだ兵士、あるいは殺された人間の肉であることが示されている。 なぜ、人間の肉を「猿の肉」と呼んだのだろう。 猿は人間に近い姿をしている。しかし、人間ではない。 「これは人間ではない。猿なのだ」 そう言い換えることで、食べる側は、自分たちのしていることの恐ろしさから目をそらすことができる。 つまり「猿の肉」は、単なる嘘や隠語ではない。 それは、人間を人間と思わずに済ませるための言葉であり、自分の行為を自分自身から隠すための言葉でもある。 人肉だとはっきり認めてしまえば、自分が越えてはいけない一線を越えたことを直視しなければならない。 だから名前を変える。 「人」を「猿」に置き換えることで、殺された誰かを、人格のある一人の人間ではなく食料として扱えるものに変えてしまう。 戦争の中では、こうした言葉の置き換えが繰り返される。 人を殺すことを処理と呼び、死を損耗と呼び、奪うことを作戦と呼ぶ。 言葉を抽象的にすることで、その向こうにある身体や苦痛を見えにくくする。 「猿の肉」もまた、言葉によって罪悪感を薄めるためのものだったのかもしれない。 けれど、『野火』の恐ろしさは、「悪い人間が人を食べた」という単純な話ではないところにある。 飢餓によって倫理や常識が崩れ、生き延びるために、他者を人間ではなく、食料として見始める。 戦争は、人の命を奪うだけではない。 人間を人間として見る感覚そのものまで破壊してしまう。 食べなければ死ぬという状況では、平時なら絶対に越えないはずの境界が崩れていく。 人を食べてはいけないという倫理よりも、空腹や死への恐怖の方が強くなる。 けれど、たとえそれが生き残るための行為だったとしても、戦争が終わり、日常に戻った瞬間、その経験は語れないものになる。 戦場では生きるために必要だった行為が、平和な社会では罪や恥として扱われる。 その人は命だけでなく、誰にも話せない記憶まで抱えて帰ってきたのだと思う。 生き残ったことを素直に喜ぶこともできない。 食べたことを告白することもできない。 忘れたくても、身体が覚えている。 戦争の悲惨さは、死者の数や戦況として語られることが多い。 それは英雄的な物語でも、抽象的な悲劇でもない。 人の肉を噛み、舌で味わい、それによって自分の命をつないだという身体の記憶である。 戦争が終わっても、その味は、口の中から完全には消えなかったのではないか。 普通の食事をするときにも、肉を見たときにも、ふと蘇ることがあったかもしれない。 そして、その記憶を誰にも話せなかったのだとすれば、生き残ることは、それだけで救いだったとは言い切れない。 戦争は、生き残った者にまで罰を与える。 死なずに帰ってきた代わりに、平和な世界では理解されない記憶を一生背負わせる。 『ちいかわ』の映画を観た後に残ったのも単純な怖さだけではなかった。 かわいい、楽しい、仲間を大切にしたいという気持ちのすぐそばに命は誰のものなのか、誰かの犠牲によって得た幸せを受け入れられるのか という問いが残った。 『ちいかわ』の登場人物たちは、とても小さく、強い存在ではない。 だからこそ、自分一人の力ではどうにもならない世界で、それでも友達を助けようとする姿が心に残る。 極限状態では、自分だけが助かりたいと思っても不思議ではない。 それでも、誰かを見捨てず、食べられる側の痛みを想像しようとすること。 それがこの物語の中で、人間性に近いものとして描かれていたように感じた。 見た目のかわいさとは反対に、『ちいかわ』は、「弱い者が優しくあり続けることの難しさ」を描いているのだと思う。 力があり、余裕があるときに優しくするのはそれほど難しくない。 けれど自分も怖くて、苦しくて、助かりたいと願っているときに、それでも他者の命を命として見ることができるのか。 そこに本当の優しさが試される。 『野火』における「猿の肉」は、人肉を人肉と思わずに済ませるための偽名だった。 それは生き延びるために、他者を人間として見ないようにする言葉だった。 一方、『ちいかわ』の映画では、食べられる側にも感情があり、関係があり、生きたいという願いがあることを、かわいい姿を通して否応なく見せられる。 だから食べることをただの行為として切り離せない。 食べ物の向こうに命が見えてしまう。 その点で、二つの作品は正反対の方向から、同じ境界を描いているように思う。 『野火』では、人間を食べるために、その存在を「猿」と呼び、人間性を見えなくする。 『ちいかわ』では、食べられようとする存在にも心や物語を与え、見えなくされていた命をもう一度こちらに見せる。 見ないことで食べられる。 見えてしまえば、簡単には食べられない。 その差は、他者を命として想像できるかどうかにある。 私たちは普段、食べる側の視点で世界を見ている。 食卓に並んだ肉を見ても、それがかつて一つの命であり、身体であり、何かを感じる存在だったことを意識し続けるのは難しい。 そうしなければ、日常的に食べることができないからでもある。 つまり私たちも程度は違っていても、名前や形を変えることで、「命だったもの」を「食べ物」として受け入れている。 けれど人間の肉の場合、その変換は簡単にはできない。 食料と人間との境界が崩れた瞬間、自分自身もまた、誰かにとっての食料になり得る存在だと気づいてしまうからだ。 『野火』における「猿の肉」は、その境界を無理やり曖昧にする言葉だった。 『ちいかわ』の映画を観て、私は、命の重さを理解することは、ただ「かわいそう」と思うことではないのだと感じた。 自分が助かる側にいるときにも、犠牲になる側の存在を忘れないこと。 自分の大切な者を救いたいと願いながら、そのために傷つく別の誰かにも目を向けること。 その両方を同時に考え続けることが命を命として見るということなのかもしれない。 戦争の本当の恐ろしさとは、人を死なせることだけではない。 人間に、人間であることを一時的に捨てなければ生きられない選択をさせること。 そして、生き残った後も、その人に、自分が人間であることを疑わせ続けることなのだと思う。 そして『ちいかわ』の映画は、かわいらしい物語の姿を借りて、その包まれていたものを、もう一度こちらに見せてきた。 食べられるものにも、命がある。 生き残る者にも、罪が残る。 そして自分が生きたいと願うことと、他者を犠牲にしたくないと願うことは、ときに両立しない。 その答えの出ない残酷さを、あえて小さくてかわいい存在たちに背負わせたからこそ 私はこの映画をただ楽しかった、怖かったという言葉だけでは終わらせられなかった。 生きるということが、ときに善悪では整理できないほど残酷になること。 人間は極限状態で、他者を人間として見られなくなることがあること。きっとどこまでいっても私たちは小賢しい生き物なのでしょうね もう一回くらい映画みたいな? 鳳条 暦 ?

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  • 08/19 09:45

    ち い か わ1

    ち い か わ なんかちいさくてかわいいやつ 愛くるしくてこんなにも可愛らしいだけにも思えるのに、多くの大人を巻き込んで映画は大ヒット。まだ上映しております? 『ちいかわ』の映画を観ながら、どこかで聞いた話を思い出した。 戦時中、人の肉を食べて生き残った人がいたのだと 「味は酸っぱかったらしい。でもそれは誰にも言ってはいけないことだったんだ」 私はおそらくその話の意味をよく理解していなかった。ただ人の肉を食べたという恐ろしさと、「誰にも言ってはいけない」という言葉だけが、妙に生々しく記憶に残った。 なぜ、『ちいかわ』の映画を観て、その話を思い出したのだろう。 ちいかわたちは、見た目だけなら小さくてかわいい存在たちが暮らす優しい物語に見える。ちいかわたちは食べ物を喜び、友達と笑い、ささやかな幸せを大切にしている。 けれど、その世界にはいつも、かわいさだけでは覆いきれない残酷さがある。 食べること、生きること、奪うこと。 誰かの願いが、別の誰かの犠牲の上に成り立っていること。 映画の中でも、その不穏さは、かわいらしい絵柄や明るい場面のすぐ隣に置かれていた。 だからこそ私は怖かった。 初めから暗く残酷な物語であれば、見る側も身構えることができる。しかし、『ちいかわ』の登場人物たちは、私たちが守りたくなるほど無垢で、素直で、弱い。 その存在たちが、命や犠牲に関わる問題に巻き込まれることで、「これは空想の中だけの話ではない」と感じてしまう。 生きるということは、ただ美しいだけではない。 どれほど優しい者でも、生きるためには何かを食べ、何かに守られ、時には誰かの犠牲によって助けられている。 映画を観ている間、私は、登場人物たちに幸せでいてほしいと思っていた。 誰も傷つかず、誰も失われず、いつものように食べ物を囲んで笑ってほしい。 けれど、その「幸せでいてほしい」という願いさえ、場合によっては別の存在の犠牲を見えなくする。 自分の好きな者だけが助かればよいのか。 その幸せのために、名前も知らない誰かが傷ついていたとしても、私たちは目をそらしてしまうのではないか。 『ちいかわ』の怖さは、悪者と善人を簡単に分けないところにある。 何かを求める者にも事情があり、生きたいと願う者にも理由がある。 しかし、その切実な願いが、別の命を奪うことにつながる。 「生きたい」という気持ちは本来、責められるものではない。それでも、自分が生きるためなら、他者を犠牲にしてよいのかという問いは残る。 鳳条 暦 後編へ続く ?

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  • 08/18 09:00

    短話

    他人に迷惑をかけない限り、 私には私を破滅させる権利がある ? 間違うことができるのも、自分の人生だけに許された自由です。 鳳条 暦

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  • 08/17 10:10

    空き枠のお知らせ?

    来週の空き枠のお知らせです? 8/22(土) 11:00- こちらのみとなりました? それ以外の枠は満たしていただきました??お会いできるのを楽しみにしてます。 今日からお仕事始めの方も多いと思います あまり無理がないよう、スロースタートで心と身体を慣らしましょう? かくゆう私も今日は少し寝過ぎてしまいました? 鳳条 暦

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  • 08/17 09:30

    短話:欠けたまま

    私の言葉は、きっとわたしが報われたいだけではなくて わたしの中にいる、あの日から動けず泣いている小さなわたしを、 救ってあげたいだけのだと思う。 鳳条 暦

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  • 08/16 09:15

    天使に告ぐ

    ? 「こうなりたい」と言われても、遠すぎる未来のことはまだ分からない。 十年後の私が何を望んでいるのか、今の私が決めてしまう必要もないと思う。 だから私は、「こうなりたい」よりも「こうはなりたくない」を道標にしたい。 選択肢のない人生にはしたくないから、できることを増やしておく。 誰かに人生を預けきりたくないから、自分で生きられる力を残しておく。 いつか後悔したくないから、大切なものを今、大切にしておく。 遠くのゴールは見えなくても、避けたい場所なら分かることがある。 人生の分かれ道で「どちらが正解か」ではなく、どちらを選べば、望まない未来から遠ざかれるかを考える。 そうやって最悪をひとつずつ避けながら、未来の自分が自由に選べる余白を残していきたい。 ? 最高の未来なんて、今はまだ決められなくていい。 ? 最悪を回避し続けたその先で、 今の私にはまだ想像もできないような、 良い未来を掴めますように。 ? 鳳条 暦

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  • 08/14 20:04

    寸謝:お疲れの貴方

    なかなか仕事を休めない、頑張っている貴方を見ていると少しだけ自分に似ているな  と思いました。 いっぱいいっぱい撫でたくなって、何かできないかと模索。 貴方の元気が半分くらいの時も私が残りを満たせるような存在でありたいと感じます? 醸し出されるおっとりとした、でもどこか余裕のある眼差しと佇まい。 もし20代の旅行が少しでもきっかけになっているような気がすれば、また詳しく教えてくださいね/// 自分は貴方みたいになりたいです。 鳳条 暦

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  • 08/14 09:45

    短話:広い庭

    愛していることと、相手を自由にしておけることは、たぶん別の技術 相手の全部に触れたいと思うたび、それが愛なのか、支配欲なのか、わからない 大切にしたい気持ちほど、時々いちばん信用できない 私は、狭い檻の中で大切にされるより、広い庭で飼われているような愛がいい。 鳳条 暦

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  • 08/13 09:45

    短話

    心が壊れないように、心を殺して生きてきた人たちが 地獄を見てきたのに、優しさを手放さなかった人たちが 嘘つき呼ばわりされても、本当のことを言えない人たちが そういう人を、ちゃんと いい人 と呼べる世界になってほしい。 鳳条 暦

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  • 08/10 19:30

    よその花が咲いても

    よその花が咲いても ? あの人は、あの人の人生を生きている。 私は、私の人生を生きている これは、誰かを見て心が揺れたとき、自分の人生へ帰ってくるための合言葉。 人の幸せは、ときどき眩しい。 夢を叶えた人。愛されている人。遠い国へ旅をしている人。たくさんの友達に囲まれて、楽しそうな週末を過ごしている人。 そんな姿を見ていると、いつの間にか私たちは、相手の人生を眺めながら自分の人生を採点し始めてしまう。 「あの人は、もうあんなところまで行っている」 「それに比べて私は、何をしているんだろう」 けれど、誰かが夢を叶えたからといって、世界から夢を叶えられる人数がひとり分減るわけではない。 誰かが愛されたからといって、私に向けられる愛が減るわけでもない。 友達が華やかな週末を過ごしていたからといって、私がひとりで過ごした一日が、急に寂しい一日に変わるわけでもない。 誰かの幸福は、本来、私の幸福を奪うものではない。 それなのに苦しくなるのは、相手が遠くへ進んだからではなく、いつの間にか自分の枝から目を離して、隣の木に実った果実ばかり数えているからなのかもしれない。 「あっちには、こんなに実っている」 「私の木には、まだ何もない」 そう思ってしまう。 でも、自分の枝へ視線を戻してみればいい。 まだ小さな芽があるかもしれない。 昨日より少し伸びた枝があるかもしれない。 誰にも見えないところで、土の中へ深く伸びている根もあるかもしれない。 人生には、花を咲かせる季節だけではなく、根を張る季節がある。 外から見れば 何も起きていない時間が、その人にとっていちばん大切な時間であることだってある。 ? だから人生を外側の派手さだけで比べなくていい。 誰かの週末がハワイでもいい。 青い海を眺めて、素敵なホテルで朝を迎えて、絵に描いたような休日を過ごしていてもいい。 そして同じ土曜日、私はベッドとほとんど一体化して、好きなものを食べて、眠くなったら昼寝をして、「今日は何もしなかったな」と笑っていてもいい。 その一日を終えた私が、 ああ、最高にのんびりできた。優勝! と思えたのなら、その日はちゃんと私にとっての幸福だ。 ? 人生は、同じコースを走る競争ではない。 だから「あの人より遅れている」という言葉も、本当は少しおかしい。 向かう場所も、欲しいものも、咲く季節も違うのだから。 誰かを見て焦ったときは、自分に戻ってくればいい。 そして、自分の枝を見る。今日、水をやるものは何だろう。これから育てたいものは何だろう。私は本当は、どんな一日を幸せ と呼びたいのだろう。 隣の木を見ているあいだにも、自分の木は静かに生きている。 戻ればいい。 育てるものは、ちゃんとここに残っている。 ? 鳳条 暦

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  • 08/09 10:39

    お知らせ?

    来週の空き枠をお知らせしようと思っていたのですが、 来週に関しては現時点で15日までの全ての枠を満たしていただきました??♀? ありがとう?? キャンセル等また変更がありましたら、早めに日記にてお知らせさせていただきます。 お盆期間はどこに行っても人が多くて、一体どこに今まで隠れていたんだ?笑といった具合に皆の生息地が気になるくらいです。 押しつぶされないよう紳士様方も押しつぶされないよう気をつけてください。 来週もよろしくお願いします??♀? 鳳条 暦

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  • 08/09 09:45

    短話

    八月。誰にも見つからない場所で、あなたは花のふりを覚えた。 痛みは季節よりも早く咲き、名前もないまま胸の奥に根を張った。 ? それでも心のいちばん深い場所には、折れ方を知らない光が、今日も静かに灯っている。 ? 優しさは弱さではない。傷つくことを知りながら、それでも誰かを信じようとした人だけが宿せる強さだ。 ? 世界は予定調和ではできていない。だからこそ、真夏の熱に溶けてしまいそうな貴方の存在は、偶然ではなく希望になる。 ? 貴方はこの世界がまだ諦めきれなかった希望 ? 鳳条 暦

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  • 08/08 17:15

    短話:どこかで聞いた歌の名前

    クソみたいな一日だった。 ? クソみたいな街を歩いて、ウソみたいに綺麗な花を買った。 誰のためなのかも分からないまま。 ? 疑い始めると、この世界はどこまでも嘘くさい。優しさも、約束も、笑顔も。 全部、都合のいい物語なんじゃないかと思えてくる。 ? でも、君の歌が流れた瞬間だけは違った。 ? 頭の中に立ち込めていた霧が、少しずつ晴れていく。理由なんていらない。 正しいかどうかも、もうどうでもよかった。 ? 君が好きだ。本当に好きだ。 だから、君なんか嫌いだ。 好きなものほど、自分を簡単に壊してしまうから。救ってくれるものほど、失うことが怖いから。 ? 君の歌が好きだ。何度だって好きだ。 だから、君の歌なんか嫌いだ。 終われば静けさだけが残る。最初から何もなかったみたいな夜が来る。それでもまた、明日になれば君を探してしまう。 ? だから今日だけは言わせてほしい。 おやすみ、泣き声。 さよなら、歌姫。 きっと明日も、このさよならは守れないのだけれど。 ? 鳳条 暦

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  • 08/08 09:30

    原点

    美味しいチョコレートにピッタリなのは、きっとこんな話でしょう? 結論 FRBが「会合ごとにゼロベースで判断する」姿勢へ移行すること自体は、中央銀行本来のあり方に近い。一方で、市場は長年「FRBは先回りして答えを教えてくれる存在」に慣れすぎた面もある。しかし、コミュニケーションが不透明になりすぎれば、市場の予測可能性を損ない、かえって不要な混乱やボラティリティ(価格変動)を招く危険もある。 重要なのは「将来の結論」を約束することではなく、「どのような条件で判断するのか」という判断基準だけは市場と共有し続けることだろう。 ? ? 用語 ボラティリティ(Volatility) :株価や為替などの価格が大きく変動する度合い。 予測可能性(Predictability) :市場参加者が将来の政策や経済の動きをある程度見通せること。 ゼロベース :過去の方針や既定路線に縛られず、その時点の状況だけを見て一から判断する考え方。 ? ? 中央銀行は、本来、市場を安心させるために存在しているわけではない。物価の安定や雇用の維持という使命を果たすため、その時々の経済データに基づいて最適な政策を決めることが役割である。そう考えれば、「すべての会合はゼロベースで判断する」という姿勢は、むしろ自然なものとも言える。 ? 一方で、市場は長年にわたり、FRBが将来の政策をできるだけ丁寧に説明し、予測しやすい環境をつくることに慣れてきた。その結果政策そのものよりも、「次回は何を言うのか」「いつ利下げを示唆するのか」といったメッセージばかりを追いかける文化が生まれた面もある。 ? しかし、未来は誰にも分からない。数か月後の経済環境すら確実には予測できない以上、中央銀行が将来を断言すること自体に無理がある。もし事前の約束に縛られれば、本当に必要な局面で柔軟な政策変更が難しくなってしまう。 ? だからといって、説明責任まで放棄してよいわけではない。市場が求めているのは、必ずしも「次回は利下げします」という答えではない。「インフレがこの程度まで落ち着けば」「雇用がここまで悪化すれば」という判断基準が共有されていれば、市場は自ら将来を考え、価格に織り込むことができる。 ? 結局、FRBに必要なのは 未来の約束ではなく、判断の透明性 なのだろう。 ? ウォーシュ流のコミュニケーションは、「中央銀行は未来を約束する機関ではない」という原点に立ち返ろうとしているようにも見える。ただ、その姿勢が市場との対話まで失ってしまえば、不確実性だけが増し、余計な混乱を招く可能性もある。 ? 中央銀行が示すべきなのは、未来の答えではなく、未来を判断するための物差しである。 その物差しさえ共有されていれば、市場は「何が起きるか」は分からなくても、「なぜそうなったのか」は理解できる。それこそが、これからのFRBに求められるコミュニケーションなのではないだろう。 鳳条 暦

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  • 08/07 09:06

    短話:今見える景色

    ? 運命なんて言葉で片付けてしまえば楽だけど、現実は自分の手で選んだ選択の積み重ねに過ぎない ? 最近は「正しいか?」より「自分は納得できるか?」を大切にしている ? 自分を見失うのは、間違った選択をした時じゃなくて、自分の気持ちを置き去りにする選択を続けた時。運命に見えるものも振り返れば小さな選択がつくった道。 大きな決断より何を選び続けたかが残ります。 ? 鳳条 暦

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  • 08/06 09:45

    短話:変わらない

    人が変わるためには、今の自分を全否定するほどの大きなきっかけが必要になることがある ? 人は簡単には変われないからこそ、人生を揺さぶるような出来事が必要なこともあるんですね。 ? 変わる瞬間はいつも、素の自分の全否定して新しい自分を上書きしています。 ? 鳳条 暦

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  • 08/06 09:30

    貴方を守って

    眠ることはただ身体を休ませることではない。 ? 一日を生きる中で、人はたくさんの言葉や感情に触れる。誰かの悪意、雑音、期待、評価。自分では気づかないうちに、それらは少しずつ心に降り積もっていく。 ? 十分な睡眠をとると、心には薄くて丈夫な膜ができる。 嫌な言葉はその膜に当たって跳ね返り、本当に大切なものだけを静かに受け止められるようになる。 だから感情に飲み込まれず、自分らしさを保っていられる。 ? 反対に睡眠が足りない日はその膜が薄くなる。 普段なら気にも留めない一言が胸に刺さり、小さな出来事まで大きなストレスとして感じてしまう。 世界が急に冷たく見える日があるのは、世界が変わったからではなく、自分を守る膜が弱っているからなのかもしれない。 ? だから、眠ることは怠けることではない。 明日の自分を守るための準備であり、心の免疫を育てる時間だ。 ? いい睡眠は、体力だけでなく、優しさも、余裕も、前向きさも育ててくれる。 人に優しくなれない日、何もかも悪く思える日は、自分を責める前に、まず眠ってみる。 ? 人は眠るたびに明日を生きるための 自分らしさ をもう一度まとい直しているのだから。 ? 睡眠とは、今日傷ついた心を修復する時間ではない。明日また世界を愛せるように、自分を包む透明な膜を編み直す時間なのだ。 ? 鳳条 暦

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  • 08/05 09:30

    思考の選択

    人は、現実そのものではなく、現実をどう受け取るかによって苦しみも幸せも決まる。 ? 変えられないもの と 変えられるもの ? 人は過去を変えられない。他人も変えられない。出来事そのものも変えられない。でも出来事に意味を与えるのは自分。 ? だから人生は、何が起きたかよりも、 それをどう解釈したかの積み重ねになる。 ? ? 苦しみの正体 ? 苦しみの多くは、出来事そのものではなく こうあるべき、理解されたい、認められたい、変わってほしい。という執着とのズレから生まれる。 ? だから苦しみを消そうとするより、苦しみが生まれる仕組みを知る方が人は楽になる。 ? 人は理解より共感で救われる ? 人は正論では動かない。アドバイスよりも、 「それは苦しかったね」と言われた時の方が涙が出る。 ? なぜなら人は問題を解決してほしいのではなく、自分の世界を一緒に見てもらえたと感じたい生き物だから。 共感とは同意ではない。相手の景色を相手の目線で一度見ようとすること。 ? ? 心は受け入れられた時に変わる ? 人は否定されると守りに入る。受け入れられると初めて変われる。 だから変化は責められた時ではなく、安心できた時に起こる。 植物が日光で育つように、心は安心で育つ。 ? ? 他人との関係は、自分との関係の映し鏡 ? 自分を責め続ける人は他人にも厳しくなる。 自分を許せる人は他人も許しやすくなる。 結局、人間関係とは相手との問題というより、 自分自身との対話が外側に映っているだけなのかもしれない。 ? ? 人生は自分や他人を変えることではなく、理解しようとする姿勢を育てる旅なのだ。 結局は『自分で選ぶ』ことが人生を変える。 ? 鳳条 暦

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  • 08/04 09:30

    傷を愛す

    あわいとは、どちらか一方ではない場所のこと。 ? 海と川が混ざり合う汽水域のように、夜が朝へ溶けていく明け方のように、「これが答えです」と言い切れない境界には、いつも少しの不安と、少しの美しさが共存しています。 ? 私たちは曖昧さに落ち着かなさを覚えます。 好きか嫌いか。正しいか間違っているか。 続いているのか終わったのか。 白黒つけたくなるのは、答えがあれば安心できるからです。 ? けれど人生を振り返ると、本当に大きな出来事は、いつも あわい の中で起きています。 子どもから大人になる時間。誰かを好きになり始める瞬間。別れを受け入れていく日々。新しい土地で生き始める心細さ。 ? どれも「もうこちら側ではない。でも、まだあちら側でもない」という宙ぶらりんな時間です。 ? あわいにあるものを傷 と重ねます。 ? 傷とは、血が流れている状態だけではありません。 ? 時間が経ってから突然痛み出す記憶も、もう忘れたはずなのに胸が締めつけられる感情も、人には説明できない寂しさも、傷が癒えていく途中のかすかな違和感も、すべて傷と傷ではないものの あわい にあります。 ? だから傷は、ある・ないでは語れません。 悲しみの隣には希望があり、後悔の隣には優しさがあり、孤独の隣には誰かを求める気持ちがあります。 人の心は、一つの言葉では決して括れないほど複雑なのです。 ? 傷だけを見れば、人は弱く見えるかもしれない。 けれど、その傷を抱えながら今日も誰かを愛し、笑い、迷い、前へ進もうとする姿を見れば、それは弱さではなく、生きる力そのものになります。 ? あわい は完成していない場所です。 だから不安で、居心地が悪い。 けれど同時に、人はその場所でしか変われません。 蝶はさなぎのあわい を通り、朝は夜のあわい  から生まれます。 ? 人生もまた、何者でもない時間を経ることで、新しい自分へと姿を変えていきます。 ? だから今もし、自分がどこにも属していないような感覚や、答えの出ない迷いの中にいるなら、それは立ち止まっているのではなく、変化の途中なのかもしれません。 ? あわい とは、終わりでも始まりでもない場所。 けれど、人が最も深く生き、人間らしくなれる場所でもあるのでしょう。 ? 傷を愛せるか ? 人は「はっきりしないもの」に耐えられない生き物だけれど、本当に大切なものほど、その曖昧な場所に宿っている ? 鳳条 暦

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  • 08/03 09:45

    海を見たいと思う心

    ? 海を見に行く人は、海を見たいわけじゃない気がする。海は、ただそこにある。 ? 波は誰かのために寄せては返すわけでもなく、水平線は何かを語るわけでもない。それでも、人は疲れたときや迷ったとき、嬉しいことがあったときでさえ、海へ向かう。 ? ハーマン・メルヴィルはこう言った。 「海、それは自分の心をありのまま映し出す鏡だ。」 ? 同じ景色を見ても、美しいと思う日もあれば、寂しいと思う日もある。穏やかだと感じる日もあれば、果てしなく遠く感じる日もある。 ? 変わっているのは海ではない。 その海を見つめる、自分の心だ。 だから私たちは、海を見に行くというより、自分自身に会いに行っているのかもしれない。 ? 波の音は不思議だ。 何かを教えてくれるわけではないのに、考えごとを少しずつさらっていく。答えを与えるのではなく、「まだ答えを出さなくてもいい」と教えてくれる。 ? 広い海を前にすると、自分が抱えていた悩みは急に小さく見える。 もちろん、問題がなくなるわけではない。 でも、自分だけが世界の中心ではないと気づける。その小ささは、決して惨めさではなく、心を軽くしてくれる小ささだ。 ? だから海へ行く時間は、「何かを決める時間」ではない。 「何も決めなくていい時間」なのだ。 ? もう一つ見てしまうものは隣にいる人だ。 ? ふと横を見ると、風で前髪を揺らしながら海を眺めるその横顔がある。 ? その人は何を考えているのだろう。 波の音に何を預けているのだろう。 私は、その答えを知りたいわけではない。 ただ、その人が静かに海を見つめている姿を見ていたい。 だから本当は、海そのものを見たいわけじゃない。 海が映し出すその人の心を、そして海を見つめるその横顔を見たいのだ。 ? 海は何も語らない。 けれど、何も語らないからこそ、人は自分の心の声を聞くことができる。 だから今日も誰かは海へ向かう。 景色を見に行くためではない。 ? 言葉にならない感情を、潮風に預けるために。 ? 私は実は海のことまだ怖いと思うんです。貴方様は海を見る時何を考えますか? ? 鳳条 暦

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  • 08/02 09:45

    寸謝:偶然

    偶然が、偶然と偶然を呼んだような出来事に胸の高鳴りを隠せません? ? 人生は自分次第だなんて、きっと大嘘なんじゃないでしょうか? ? コントロールしていない、でもきっとあらゆることに影響を与え合っているのでしょう? ? 早めに栞には絵を描けたらいいなと思っています。 ? テストは無事に乗り切って8月を迎えられそうです。 ? 頑張りたいな〜 ? 美味しそうだったので、食いかけ? ? 鳳条 暦

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  • 08/01 09:45

    寸謝

    広島の鹿さんもびっくりの暑さの中、会いにきてくれてありがとう?? ? 今日は新しいことに挑戦笑 ? うっとりする貴方を焦らしすぎてしまいましたね? ? 自分は貴方とまったりできて、過程も楽しめて幸せな気分でいっぱいです? ? お盆は今年は帰れなさそうなので、貴方に遊んでもらおうかなと思います! ? これは奈良の鹿さん? ? 鳳条 暦 ?

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福原ガイド