フォーナイン

鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

T164 B83(E) W55 H82

 

09/21(月)

  • ソープ求人
  • 男子求人

オゴトガイド見たとお電話ください!

電話 050-5448-9022

営業時間 11:00-24:00

  • 08/21 09:30

    誰がための自分

    誰も見ていない所でも、常にどういう人間でありたいか。 ? 最近、この問いが頭から離れない。 人は誰かに見られているときよりも、誰も見ていないときに本当の姿が表れると言われる。 だからこそ自分を律するためには罰や評価ではなく、もっと静かな支えが必要なのだと思う。 私はそれを信仰心 のようなものと呼びたい。 ? 宗教を信じるという意味ではない。 もっと小さくてもっと個人的なもの。 「こういう人間でありたい」という、自分だけが知っている約束。 それがある人は、誰も見ていない場所でも、自分を裏切らない。 ? 今はあまりにも情報が多い時代だ。 SNSを開けば誰かの成功が流れ、誰かの正しさが流れ、誰かの幸せが流れてくる。 何が正しいのか、何が美しいのか、何を選ぶべきなのか。 世界は絶えず答えを差し出してくる。 便利になった反面、人は自分の答えを持つ前に他人の答えを浴び続けるようになった。 すると知らないうちに、自分が何を信じていたのかさえ分からなくなる。 昨日まで大切だった価値観が、誰かの一言で揺らぐ。 誰かの評価一つで、自分の価値まで変わったような気がしてしまう。 情報が多いということは、選択肢が増えたということでもある。 しかし同時に、自分という軸を失いやすくなったということでもある。 ? だから私は人には何か一つ、自分だけの信仰 が必要なのだと思う。 それは神様でなくてもいい。 哲学でも、本でも、一人の作家でも、一つの言葉でもいい。 この考え方だけは最後まで手放したくない。 そんな小さな灯火があるだけで、人は迷いながらも歩いていける。 信仰とは世界の正しさを信じることではない。 自分がどう生きたいかを、忘れないための装置なのかもしれない。 ? 人生には誰も褒めてくれない選択がある。 落ちているゴミを拾うこと。 陰で誰かを悪く言わないこと。 約束を守ること。 嘘をつかないこと。 感謝を口にすること。 そんな行動は、拍手も賞賛も生まない。 けれどその積み重ねが人格になる。 人格とは誰かに見せるためのものではなく、誰も見ていない場所で繰り返した選択の総和なのだと思う。 だから私は、見られているから正しくある のではなく、見られていなくても、この人でありたい と思える自分でいたい。 ? 海が誰も見ていなくても波を打ち、星が誰も見ていなくても夜空を照らすように、人もまた誰かの視線ではなく、自分の信じるものによって生きられたら美しい。 結局、人を最後まで支えるのは他人の評価ではない。 「私はこういう人間でありたい。」 その静かな祈りだけが、人生のあらゆる雑音を越えて、自分を前へ運んでくれるのだと思う。 ? 鳳条 暦

    続きを読む

1~1件 / 1

  • 1
福原ガイド