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鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

T164 B83(E) W55 H82

 

09/21(月)

  • ソープ求人
  • 男子求人

オゴトガイド見たとお電話ください!

電話 050-5448-9022

営業時間 11:00-24:00

  • 09/19 09:30

    夜2

      今日を終えるだけでいい夜 生きることは大変だ。 ? 昨日まで平気だったことが今日は苦しくて、理由もなく寂しくなって、何も解決しないままそれでも明日はやってくる。 ? いつかは上手に生きられるようになると思っていた。迷わなくなって、傷つかなくなって、自分を励ます言葉も、すぐに見つかるようになるのだと。 ? でもそうならない日もある。前に進む気力がなくても、お腹は空くし、夜は更ける。 眠る前になっても明日を楽しみに思えないことだってある。 ? だからきっと生きることに慣れなくてもいい。 上手に生きられない日を抱えながら、答えが出ないまま、今日を終えていく。 ? 何かを乗り越えたと言えなくてもいい。 それだけで十分な夜もある。 ? 鳳条 暦

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  • 09/18 17:15

    夜1

      生き方に迷うこともあれば、世界中から自分だけが嫌われているような気がする日もある。 ? 誰かにそう言われたわけではない。 それでも何気ない返事やすれ違った視線にまで、自分がここにいてはいけない理由を探してしまう。 ? ただ疲れているだけだと言い聞かせても、心に空いた穴は正しさだけでは埋まってくれない。 ? 忘れたつもりの悲しみは弱った心を見つけるのが上手で、そんな日に限って昔の傷まで連れてくる。 ? もう終わったことなのに、どうして今も苦しいのだろう。そう思うたび、傷ついた自分を責めてしまう。 ? けれど思い出して痛むのは、あのとき確かに悲しかったからだ。今夜くらいはその悲しみをなかったことにしなくていい。 ? 鳳条 暦

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  • 09/18 09:15

    幸福2 楽しみにできない夜にも

     ただ、明日を楽しみにできない夜もある。未来を思い描く力すら残っていないとき、無理に希望を探さなくてもいい。 ? そんな日は、「明日が楽しみ」ではなくても、 明日になれば、今日とは少し違うかもしれない くらいでいい。 ? 幸福とは立派な未来を信じることではなく、まだ知らない明日のために、今日ですべてを決めてしまわないことなのかも。 ? そしていつかまた、眠ることが今日から逃げるためではなく、楽しみな明日へ近づくためのものになったなら。 そのとき人はきっと、幸せになったのではなく、幸せを感じられる自分のところへ静かに戻ってきたの。 ? 鳳条 暦

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  • 09/16 20:01

    幸福1 明日が楽しみな状態

      幸福とは、明日が楽しみな状態のこと ? 幸せとは、今日が満たされていることだと思っていた。好きな人がそばにいること。 欲しかったものを手に入れること。 悲しいことが何も起きないこと。 ? けれど本当は今日がどんな一日だったかよりも、眠りにつく前に明日をどう思えるかのほうが、その人の幸福をよく表しているのかもしれない。 ? 明日、読みたい本がある。食べたいものがある。会いたい人がいる。続きを見たい物語がある。 そんな小さな「明日」がひとつあるだけで、人は今日の終わりを絶望ではなく区切りとして受け入れられる。 ? 幸福とはずっと笑っていられることではない。 今日が雨でも、明日は少し晴れるかもしれないと、心のどこかに余白を残しておけることなのだと思う。 鳳条 暦 ? 鳳条 暦

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  • 09/16 09:45

    短話

     人魚の肉を食べて不老長寿を得たとされる「八百比丘尼」生誕の地。 ? 映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』の原作「島編」に登場する人魚 の元ネタと噂されています。 ? 八百比丘尼は人魚の肉を食べて不老不死になり、最後は洞窟に身を隠したみたいです? ? …………………………………………… ? 春日井市『円福寺』 ? ああ。もう一回映画観たい?? ? 鳳条 暦

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  • 09/15 18:45

    踊り場にて3

     物語の最後、舞子は学校の踊り場で小さくバレエを踊る。 それは捨てたはずの夢へ戻ろうとする姿ではない。 バレエを叶わなかった夢から、確かに自分をつくってくれた大切なもの へと置き直すための踊りだったように感じる。 ? 夢を手放すことと夢を嫌いになることは違う。 続けられなくなったとしても、好きだった気持ちまで否定する必要はないのです。 ? そしてこの作品の題名にある「踊り場」という言葉も とても象徴的。 踊り場は、階段の途中にある場所。 上っているわけでも、下りているわけでもありません。一見すると前へ進んでいないように見えるけれど、そこで息を整え、来た道を振り返り、これから進む方向を考えることができる。 ? 人生にも、そんな時間があるのだと思います。 何者にもなれていない気がするとき。 昨日までの目標を見失い、次に向かう場所も分からないとき。 周りだけが前へ進み、自分だけが取り残されたように感じるとき。 ? けれどそれは人生から脱落した時間ではない。 次の道へ進むために必要な、人生の踊り場です。 諦めるとは夢をなかったことにすることではない。 叶わなかった現実と、それでも確かに好きだった自分の両方を受け入れて、その夢を自分の人生の中に置き直すこと。 叶わなかった夢は消さなくていい。 抱えたままでも人は別の階段を上っていける。 人生の踊り場は、ただ立ち止まるためだけの場所ではない。そこで息を整えてもいい。泣いてもいい。来た道を振り返ってもいい。 ? そしてそこでもう一度だけ、好きだった踊りを踊ってもいいのです。 ? 鳳条 暦

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  • 09/15 09:45

    短話

    愛情は、 もっと温かくて、 柔らかいものであっていい ? 鳳条 暦

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  • 09/14 17:30

    踊り場にて2

     この作品が優しいのは、夢は最後まで追い続けるべきだ とも、無理なら早く諦めたほうがいい とも言わないところ。 ? 諦められないうちは無理に諦めなくてもいい。まだ好きなのに。まだ悔しいのに。 本当はもう少し続けたいのに。 周囲の正しさや現実的な判断だけで手放そうとすると、置き去りにされた気持ちはいつまでも自分の中をさまよい続ける。 ? 諦めとは誰かに説得されてするものではなく、自分の気持ちが、自分の中に静かに着地するまで待つことなのかもしれない。 ? あきらめる という言葉には、もともと明らかに見る という意味があるといわれている。 だとすれば、本当の意味で諦めることは可能性を雑に捨てることではない。 自分は何を望んでいたのか。何を失うのが、こんなにも悲しいのか。 どこまでなら続けられるのか。 そして今、本当に進みたいのはどこなのか。 ? それらを曖昧なままにせず、最後まで見つめたうえで、自分の答えを引き受けることなのだと思う。 投げ出すは、見ないまま離れること。 諦めるは、最後まで見つめた末に手放すこと。 ? だから諦めることには痛みがあっても、必ずしも後悔が残るとは限らない。 叶わなかった夢も、そこに費やした時間も、自分の中から消えてしまうわけではない。その経験は次に何を選ぶかを決める感覚となり、その後の人生を支えるものへと姿を変えていきます。 ? 夢は、叶ったときにだけ意味を持つものではありません。 届かなかった場所を目指して歩いた時間もまた、その人を形づくっているのだろう。 ? 鳳条 暦

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  • 09/14 09:45

    踊り場にて1

     美園舞子は、プロのバレエダンサーを目指して海外で活動していた29歳。 けれどその夢を諦めて帰国し、以前勤めていた高校で国語教師として働き始める。 夢や希望について語ることを求められる学校は、夢を失ったばかりの舞子にとって、少し居心地の悪い場所。 未来の可能性に満ちている生徒たちを前にしても真っ直ぐに「夢を持ちなさい」とは言えない。夢を追うことの美しさだけではなく、その苦しさや努力しても届かないことがある現実を、舞子は知ってしまっているから。 ? けれど生徒たちもまた、それぞれの場所で「諦められないもの」を抱えていた。 ? 舞子は彼らと向き合ううちに、「諦めるとは何なのか」を考え始める。 そんな舞子に、母は小学校の卒業文集を見せます。そこに書かれていたのは、舞子自身も忘れていた「教師になりたい」という夢。 バレエダンサーにはなれなかった。 けれどひとつの夢を失った人生の中で、彼女はいつの間にかもうひとつの夢を叶えていた。 ? 人生はひとつの夢が叶わなかっただけで、すべてが失敗になるほど単純ではないのかもしれない。 ? 鳳条 暦

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  • 09/13 19:30

    愛3

     ただしここにも危うさがある。 不安定な場所から離れたいとき、人は安定を愛と見誤ることがある。 疲れているときの安堵はとても魅力的に見える。 だからどこかへ逃げたい気持ちと、どこかへ行きたい気持ちは分けて考えなければならない。 ? ある場所が苦しいからといって、別の場所が正しいわけではない。 違和感のある関係が間違いだからといって、穏やかな関係が答えになるわけでもない。 ? そこにあるのは人と人の選択というより、どのような時間の中で自分は生きたいのかという問題なのだと思う。 ? 恋のために、小さな違和感を何度も飲み込む人生。安心のために大きな感情を手放す人生。 あるいは、そのどちらでもない第三の形。 安定と成長は本来は反対語ではない。 ? 穏やかな場所でも、人は変わる。 激しい場所にいても、何ひとつ育たないことがある。 だから、成長させてくれる人を選べばいいとも思わない。 成長という言葉はときどき苦しさを正当化する。傷ついたことを、必要な経験だったと言い換える。我慢したこと成熟だったと呼び変える。けれど苦しいことすべてに意味があるわけではない。人を成長させるのは必ずしも痛みではない。安心の中で初めて伸びるものもある。 ? だから私はどちらが正しいのかではなく、どちらの場所にいるとき自分の人生が自分のものとして残るのかを考えたい。 今を選ぶか。未来を選ぶか。 その問いさえ少し違うのかもしれない。 ? 今を壊し続けなければ成立しない未来なら、それは本当に未来なのだろうか。 未来を想像できないほど違和感のある現在を、 今を大切にしていると呼べるのだろうか。 反対に、未来が安全そうだという理由だけで、 心が向いていない場所を選ぶことは生きることになるのだろうか。 ? 結局、人を選ぶのではなく、その人の隣にいる自分を選ぶのだと思う。 どちらが優れているかではない。どちらが正しいかでもない。 そこで何を我慢し、何を失い、何を育て、 どんな自分になっていくのか。 その総体がたぶん選択と呼ばれる。 ? 愛は感情だけではない。けれど理屈だけでもない。愛とは理屈を超えることなのではなく、理屈を通り抜けても、なお残ってしまうものなのかもしれない。 条件を並べても。未来を考えても。 違和感を数えても。不安を取り除いても。 それでもなお、その人であることに意味が残る。 そこまでいって初めて、私は愛という言葉を使えるのかもしれない。 ? だから、急いで答えを出すつもりはない。 迷っていること自体が、まだ見るべきものがあるということでもある。 ただ、ひとつだけ決めている。 違和感を、恋の代償として処理し続けないこと。安定を、愛の証明として利用しないこと。 そして苦しさを成長と呼んで誤魔化さないこと。 人を選ぶより先に、自分がどんな生き方を選ぼうとしているのかをもう少し見ていたい。 ? 愛とはたぶん、誰かを選ぶことより先にどのような自分でその人のそばに存在したいのかを選ぶこと。 ? 鳳条 暦

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  • 09/13 09:30

    短話

    言葉にしないことで守られる気持ちがあり、 ? 問い詰めないことで保たれる関係があり、 ? 曖昧さに救われる人も、たくさんいる。 鳳条 暦

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  • 09/12 19:30

    短話

    死亡率100%の人生で、 ? 何にためらうことがあるのだろう。 ? 鳳条 暦

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  • 09/12 09:45

    愛2

     穏やかさには、信頼から生まれるものもあれば、諦めから生まれるものもある。 期待しないことでも、心は静かになる。 何も求めなければ、傷つくことも減る。 それを平穏と呼ぶこともできる。 ? しかし、平穏と幸福は同じではない。 では、何を見ればいいのだろう。 ? たぶん私は、感情の大きさよりも自分の輪郭の変化を見るしかないのだと思う。 ? その場所にいると、私は言葉を飲み込むことが増えるのか。それとも言葉にしなくてもなお理解されるのか。 未来を想像したとき、自分が少しずつ薄くなっていくのか。まだ知らない自分に近づいていけるのか。 ? 違和感というものも案外そういうところに現れる。 大きな不幸ではない。決定的な破綻でもない。 むしろ、説明しようとすると些細に見える。 ? 一つひとつを切り取れば、我慢できる程度のことばかりだ。だから、人は違和感を過小評価する。 これくらい普通だ。誰にでもある。完璧な関係なんてない。そうやって処理する。 でも本当に怖いのは違和感そのものではなく、それが反復される未来をすでにどこかで想像できてしまうことなのだと思う。 ? 今だけなら耐えられる。けれどこの先もずっと同じ場所で、同じことに立ち止まるのだとしたら。 その想像が好きという感情より先に立ち上がってしまうとき、恋は少し違うものに見えてくる。 ? もしかすると、私は安定を求めているのではない。安心して愛せる場所を求めているのかもしれない。   鳳条 暦

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  • 09/11 17:32

    短話

    釣りに行く彼氏を心配している声が聞こえた。 ? 「死なんといてな!」 ? 冗談と本音の狭間にあるような声だった。 ? 「俺は泳げるから大丈夫。海でもバタフライするし。 まぁでも溺れたら、背泳ぎか平泳ぎやな。 息さえ吸って、肺に空気があれば浮くって」 ? 彼は彼なりに、彼女を安心させようとしているらしい。 ? けれど彼女が知りたいのは、海でどの泳法を選ぶのかではなく、無事に帰ってきてくれるかどうか。 ? 「死なんといてな」 ? たったそれだけの言葉だったけれど、その人がいる明日を当たり前に願う、小さな愛が詰まっていた。 ? 心配する彼女と、バタフライで乗り切ろうとする彼。 ? なんだか可愛くて、私はその小さな愛に、少しときめいた。 ? 鳳条 暦 ?

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  • 09/11 09:30

    愛1

     愛について考えるとき、私はいつも感情より先に構造を見ようとしてしまう。 好きかどうかではなく、なぜそこに留まっているのか。なぜ離れられないのか。 なぜ別の場所に安堵を感じるのか。 そういうことばかり考える。 たぶん、感情というものを、そのまま信じることが少し怖いのだと思う。 心は、その瞬間に最も強く動いたものを真実だと思い込む。 けれど、強度と真実は同じではない。 激しいことと深いことも、不安定であることと特別であることも必ずしも一致しない。それでも人はときどき、心を乱すものの方に意味があると思ってしまう。 波立つことを、生きている証拠のように感じてしまう。 反対に、穏やかなものには理由を求める。 なぜ安心するのか。なぜ疲れないのか。 なぜここでは自分を守ろうとしなくていいのか。 そして理由を探し始めた瞬間、愛は少しずつ理屈に似てくる。 理屈は愛を否定するのか ここで厄介なのは、理屈が愛を否定するものではないということだ。 むしろ人は誰かを本当に自分の人生の内部へ置こうとしたとき、初めて理屈を必要とするのかもしれない。 一時の感情で済むなら、未来など考えなくていい。 今日会いたい。今そばにいてほしい。 それだけで成立する。しかしその人の存在を、明日や来年やもっと遠い時間にまで連れていこうとした瞬間、感情だけでは足りなくなる。 そこに生活が生まれ、時間が生まれ、責任が生まれる。 つまり、愛には現実が混ざる。 だから私は理屈が前に出てくることを、 愛がない証拠だとは思わない。 ただときどき分からなくなる。 理屈が愛を支えているのか。それとも、 愛と呼べるものが足りないから理屈でそこを補強しようとしているのか。 この二つは、外から見るとよく似ている。 優しい。安心できる。穏やかである。未来を想像できる。 それらはすべて、ひとつの関係を選ぶ理由になりうる。けれど理由は必ずしも欲望ではない。 正しいことと望んでいることは違う。 安全な場所と帰りたい場所も違う。 だから、自分がどこかに安堵するとき、その安堵を無条件に愛と呼ぶことには慎重でいたい。   鳳条 暦

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  • 09/10 18:16

    短話

    わかってほしいんじゃなくてわかろうとしてくれることにめちゃくちゃ愛を感じるの ? わかり合えないからこそ、寄り添い合おうとしてほしいの ? 鳳条 暦

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  • 09/10 09:45

    短話

      自分のすべてを包み隠さず話すことが、素直とは限らない。何でも明かす奥には、深入りされる前に距離を埋め、安心を得たい気持ちがある。 すぐ言葉にできる思いが、いつも本心に近いわけではない。まだ言葉にならない思いを急いで形にせず、内側で確かめる時間も、相手に本心で向き合う素直さになる。 鳳条 暦

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  • 09/09 09:45

    儚い世界で優しく笑って4+お知らせ

    9/14(月)、15(火) 13:15-に空き枠があります。お時間があればお会いしたいです?  失う怖さをなくす必要はない。 ? 大切なものを失うのが怖いのは当たり前だ。 人を好きになれば別れを想像して怖くなる。 幸せであればこの幸せが終わることが怖くなる。 ? それは弱さだけではない。 まだここにいてほしい と願えるほど、何かを愛せたということでもある。 ? だから怖がっていい。寂しがっていい。 別れたなら、泣いていい。 どうしても手放せない夜があってもいい。 ただその恐怖のために、まだ失っていない今日まで失わないこと。 ? それだけは覚えておきたい。 ? いつか別れるかもしれない人と、今日笑えるなら笑っておく。 いつか動かなくなる身体で、行きたい場所へ行く。 いつか価値を失うかもしれないお金で、自分の人生に必要な経験を買う。 いつか終わる仕事なら、そこでしか学べないものを受け取る。 いつか離れる家なら、そこで過ごす夜をきちんと味わう。 ? いつか終わる人生なら今日という一日を、 なくさないための一日ではなく、生きるための一日にする。 ? 本当に手放せる人とは、何にも執着しない人ではない。 ? むしろとても深く愛せる人なのだと思う。 それでも終わったからといって、愛したことまで消えるわけではない と知っている。 ? だから永遠を約束してもらわなくても、今日を愛せる。 ずっと自分のものでなくても、大切にできる。 いつか失うと知りながら、それでも手を伸ばせる。 ? 諦めではなく、永遠でなければ愛せないという条件を、愛から外してあげることなのだと思う。 ? 私たちは何も持たずに生まれ、何も持たずに帰っていく。 その間にだけ、たくさんのものが掌に乗る。 人。物。お金。若さ。才能。仕事。場所。季節。時間。 ? どれもいつかは掌からこぼれていく。 だからといって痛いほど強く握りしめなくていい。 どうせなくなるからと、最初から触れない必要もない。掌を開いて、今そこにあるものの温度を感じればいい。 ? そして去っていくものがあれば、寂しさごと見送ればいい。 ? きっと人生とは、何も失わないように生きることではない。 ? いつか手放すものを、それでも愛することなのだ。 ? 目指すのは、失うことが怖くない人生ではなく、失うことが怖くても十分に愛せる人生。 ? 鳳条 暦

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  • 09/08 09:15

    儚い世界で優しく笑って3

     花は散るから偽物なのではない。 夏が終わるから、夏が存在しなかったことになるわけでもない。旅行から帰ってくるから、旅が無意味になるわけでもない。 ? 小説には最後のページがある。映画にはエンドロールがある。音楽は最後の音で終わる。 それでも私たちは終わるものに心を動かされる。 むしろ終わりがあるからこそ、その途中を大切にできることさえある。 ? もし何も終わらないのなら、私たちは今日をこれほど大切にできるだろうか。 またいつでも会える が永遠に保証されていたら、今日会うことにどれほどの意味を感じるだろう。 時間が無限にあるのなら、今度やろう は永遠に今度のままだろう。 ? 終わりは人生から意味を奪うものではない。 終わりがあるという事実が今この瞬間に輪郭を与えている。 ? そう考えると、失いたくない という気持ちの中には、二つの感情が混ざっているのかもしれない。 ? ひとつは、 「大切だから、もう少し一緒にいたい」 という愛。 ? もうひとつは、 「これがなくなったあとの自分を想像できない」 という恐怖。 ? この二つはとてもよく似ている。 だから私たちはときどき間違える。 恐怖から相手を引き止めているのに、愛だからだと思う。 不安から物を抱え込んでいるのに、大切だからだと思う。過去の自分を失いたくなくて続けているのに、まだ好きだからだと思う。 ? そんなときは自分に尋ねてみてもいい。 答えはきっと、綺麗にどちらかではない。 ? 愛もある。恐怖もある。執着もある。寂しさもある。 ? それでいい。 考えてみれば、私たちはこの身体さえ永久には持っていられない。 名前も、財産も、容姿も、肩書きも、人間関係も、いつかは手放していく。 「自分のもの」と呼んでいるものの多くは、返す日を知らされていない借り物のようなものなのかもしれない。 ? けれどいつか返さなければならないからといって、借りている時間まで虚しくなるわけではない。 むしろ返す日が来るからこそ、借りているあいだに何をするのかがその人の人生になる。 ? 人生は所有するための旅ではないのだと思う。 何かを集め、最後まで守り切り、最も多く持っていた人が勝つゲームではない。 ? 人生とは、自分のものを増やしていく旅ではなく、自分のところを通り過ぎていくものをきちんと味わう旅なのかもしれない。 「これは私のもの」ではなく、 「今、私のところにいてくれているもの」 そう思えたとき、大切にしなくなるのではない。 ? きっと逆だ。所有していると思えば、明日もあるような気がする。 けれど預かっていると思えば、今日触れられることが少し奇跡に思えてくる。 ? 鳳条 暦

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  • 09/07 17:45

    儚い世界で優しく笑って2

    ?  では傷つかないためには、何も愛さないほうがいいのだろうか。 ? 誰にも期待しない。何にも依存しない。 人を好きになりすぎない。失って困るほど大切なものを作らない。 そうすれば、確かに失う苦しみは少なくなるのかもしれない。 ? けれどそれは苦しみを乗り越えたというより、幸福まで一緒に遠ざけてしまっただけではないだろうか。 誰かを深く愛したから、別れが苦しい。 何かに夢中になったから、終わることが寂しい。幸せな時間だったから、過去になることが悲しい。 ? 喪失の痛みはときにそれほど大切なものが私の人生に存在した という証でもある。 悲しみを完全になくそうとすれば、愛まで薄くなってしまう。だから目指すべきなのは何も失わない人生でも、何にも執着しない人間でもない。 ? もっと難しいところに答えがある。深く愛することと、いつか手放すこと。その二つを、同じ心の中に持つことなのだと思う。 ? 手放す という言葉は、どこか冷たく聞こえる。諦める。捨てる。忘れる。もう必要としない。そんな意味のように感じてしまう。 けれど本当の意味で手放すことは、もう大切ではありません と言うことではない。 むしろ、大切だけれど、永遠に私のものである必要はない と認めることなのではないだろうか。 ? それは簡単なことではない。人生は私たちの願いとは関係なく進んでいく。 昨日まで絶対に必要だと思っていたものが、ある日それほど重要ではなくなることさえある。 私たちは人生の中で何かになり、何かを手に入れ、そしてそれを少しずつ卒業していく。 ? 考えてみれば子どもの頃からそうだった。 お気に入りのおもちゃがあった。毎日一緒にいた友達がいた。大好きだった先生がいた。 けれど今、そのすべてを毎日思い出しているわけではない。それでもなくなったわけではない。あの頃に好きだったものは、今の自分のどこかに混ざっている。 愛した人から教えてもらった言葉。 仕事を通して身についた癖。昔読んだ本からもらった考え方。誰かに優しくされた記憶。 傷ついたことで知った痛み。それらは所有物 という形では残らない。 ? けれど、自分という人間の一部に姿を変えて残っている。だから手元からなくなることと、人生から消えることは違う。残る ということを少し狭く考えすぎているのかもしれない。 ? ずっと付き合っていれば、その恋は本物だった。別れたなら失敗だった。 続けていれば、その仕事には意味があった。 辞めたなら途中で投げ出した。 持ち続けていれば、大切にしていた。 手放したならもういらなくなった。 本当にそうだろうか。 十年間一緒にいた二人が別れたとして、その十年間まで消えてしまうのだろうか。 夢中になった仕事を辞めたとして、そこで身につけたものは無意味になるのだろうか。 大切だった物を手放したら、それを愛していた時間まで失われるのだろうか。 ? そんなはずはない。 終わることと、無意味になることは違う。 鳳条 暦

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  • 09/06 19:30

    儚い世界で優しく笑って1

    大好きな『まどマギ』の新作映画が、現在公開されています。 早く観に行きたい?? 今回はアニメの具体的な内容には触れていませんが、その大まかな物語から着想を得て、この文章を書きました。  失いたくない と思えるものがある。 そういうものがあるのは一見すると、とても幸福なことだ。 けれど私たちは何かを手に入れた瞬間、幸福だけを得るわけではない。同時にそれを失う可能性まで手に入れてしまう。 ? 何も持っていなかった頃には存在しなかった恐怖が、手に入れた途端に生まれる。 若さを自分の価値だと思わなければ、老いていくことにこれほど怯えずに済むのかもしれない。 大切なものが増えるほど人生は豊かになる。 けれど同時に、失うことを恐れる場所も増えていく。 ? 人生が難しくなるのは、きっとここからなのだと思う。 人は自分のそばに長くあるものを、ただの持ち物 としては見られなくなっていく。 はじめは私が持っているもの だったはずなのにいつの間にか、 「これがあるから、私は私でいられる」 というものへ変わっていく。 だから本当に怖いのは、何かがなくなることだけではない。 それを失ったあとの自分が、誰なのかわからなくなることなのかもしれない。 ? 例えば、大切な人との別れを想像したとき、私たちは「この人がいなくなるのが怖い」と思う。もちろん、それも本当だ。 けれどその恐怖をもう少し丁寧にほどいてみると、失いたくないものはその人ひとりではないことに気づく。 ? 誰かを失うということは、その人ひとりが人生から抜け落ちるだけではない。 その人と一緒にいることで存在していた、ひとつの自分まで失うことなのだ。 ? だから別れは、あんなにも苦しい。 人をひとり失っただけなのに、世界そのものが少し違って見える。 いつもの駅も、いつもの店も、いつもの曲も、同じ季節さえも、以前と同じ意味を持たなくなる。 ? 私たちは人を所有していたわけではない。 それでもその人と結びついた自分の世界を、確かに持っていた。 その世界が壊れるから、私たちは必死になる。 離れないでほしい。私を必要としていてほしい。どれも、愛する人に抱く自然な願いだ。 ? けれどその願いを突き詰めていくと、少し怖い場所へ辿り着く。 あなたを愛している という気持ちと、 あなたに変わってほしくない という願いは、 本当に同じものなのだろうか。 愛しているから、そばにいてほしい。 その気持ちはきっと嘘ではない。 けれど 愛しているから、ずっと私の知っているあなたでいてほしい。 愛しているから、私を選び続けてほしい。 ? そう願い始めると、愛は少しずつ所有に近づいていく。 大切にすることと、変わらないように固定することは違う。 人は変わる。自分も変わる。 昨日好きだったものを、十年後にも好きでいる保証はない。 ? すべては少しずつ動いている。 それなのに私たちは、変わり続ける世界に向かって、 「これだけは変わらないで」 と願ってしまう。 執着とはもしかすると、変化するものに、永遠であることを求めてしまう心なのかもしれない。 鳳条 暦

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  • 09/05 17:15

    貴方と見る後編

     そして、ここには少し皮肉な逆転がある。 ベンヤミンは、複製技術によって芸術作品のアウラが失われていくことを論じた。 しかしAIによって「複製できるもの」が極限まで増えていった先で、私たちは再び「複製できないもの」に価値を感じるようになるのかもしれない。 実際にその場所にいたこと。 誰かと同じ時間を過ごしたこと。 自分自身が経験したこと。 長い時間をかけて築いた信頼関係。 身体感覚。 記憶。 人生そのもの。 これらは、似たものを生成することはできても、完全に複製することはできない。 AI時代とは、すべてが人工物になっていく時代ではなく、むしろ「何が人間にしか持てないのか」が、これまで以上にはっきりしていく時代なのかもしれない。 複製技術の時代に価値が「礼拝」から「展示」へ移ったのだとすれば、 AI時代には、価値はさらにその先へ進み、 何をつくったか から なぜそれをつくったのか へ。 何を知っているか から どう捉えるか へ。 どれだけ見られたか から 誰と、どのような関係を築いたか へ。 移っていくのではないだろうか。 具体的なものが簡単につくれる世界だからこそ、本質を見抜く力が価値になる。 そして無限に生成できる世界だからこそ、 有限で、一回限りで、文脈を持った人間の人生そのものが、再び最も強い「アウラ」を持つようになる。 そんな時代が、これから訪れるのではないかと思う。 旅行 に通ずるものを感じます。 流石です? 鳳条 暦

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  • 09/05 09:45

    貴方と見る前編

     20世紀、ライカのような小型カメラの普及によって、人はそれまで以上に手軽に「一瞬」を切り取れるようになった。 ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』の中で、複製技術が発達することで、芸術作品が持っていた固有の「アウラ」が失われていくと論じた。 ここでいうアウラとは、単なる希少価値ではない。 「その場所に、その時、その作品そのものが存在している」という、一回性や歴史性を含んだ特別な存在感である。 かつて芸術は、宗教儀式や祭祀などと結びついた「礼拝価値」を強く持っていた。 しかし写真や映画など、作品を大量に複製し、多くの人へ届けられる技術が生まれたことで、芸術は次第に「どれだけ多くの人に見られるか」という「展示価値」を持つようになった。 そして現代を見ると、この変化はさらに先へ進んでいるように思う。 Web2.0によって、誰もが自分の写真や文章、生活、思想を発信できるようになった。 すると展示される対象は芸術作品だけではなく、「自分自身」にまで広がった。 SNSのフォロワー数、再生数、「いいね」の数。 私たちは知らないうちに、自分という存在の展示価値を競う時代を生きるようになったのかもしれない。 しかしAIが急速に発達した今、その展示価値さえも大きく変わろうとしている。 美しい写真も、上手な文章も、音楽も、映像も、ある程度まではAIによって大量に生み出せるようになった。 つまり、「上手につくること」や「具体的な成果物をつくること」そのものの希少性は、これからますます低下していく可能性がある。 さらに情報やコンテンツが一人ひとりに最適化されていけば、私たちは同じテレビ番組を見たり、同じ雑誌を読んだり、同じ流行を共有したりする社会から、それぞれが自分専用の情報世界を生きる社会へ移っていく。 「大衆の時代」から「個の時代」へ。 そしてその先には、「究極の個別最適化の時代」があるのかもしれない。 そこで興味深いのは、AIによって具体的なものが簡単につくれるようになるほど、人間には逆に「抽象的に考える力」が求められるようになることである。 具体的な答えはAIが出してくれる。 文章も書ける。 画像もつくれる。 情報も整理できる。 だからこそ重要になるのは、 「そもそも、なぜそれをするのか」 「この出来事の背景には何があるのか」 「一見別々に見えるものには、どんな共通構造があるのか」 と問い続ける力なのだと思う。 つまり、概念、本質、構造、関係性を捉える抽象的思考である。 さらに言えば、人間を理解するときにも、目の前に現れている行動 だけを見るのでは不十分になっていく。 その人が何を経験してきたのか。 どのような人間関係の中で生きてきたのか。 何を恐れ、何を大切にしているのか。 同じ言葉であっても、その人の過去や価値観によって意味は変わる。 だからこれから重要になるのは、情報そのものよりも、その情報の背後にある「コンテキスト」を読む力なのではないだろうか。 鳳条 暦

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  • 09/04 09:30

    信じなくてもいい後編

     考えてみれば私たちは、いつから 生きるためには意味が必要だ と思うようになったのだろう。 何のために生きるのか。何者になりたいのか。 人生で何を成し遂げたいのか。 そういう問いに答えられる人はきっと強い。 でも答えられない人の人生に意味がないわけではない。 ? むしろ人生の大部分は、そんな大きな意味とは関係のない時間でできている。 今日食べたものがおいしかった。 帰り道の風が少し気持ちよかった。 眠る前に布団の中が暖かかった。 ? そんなことは、人生を劇的には変えない。 明日を生きる壮大な理由にもならない。 でもその瞬間だけは確かに、 「今日、生きていて悪くなかった」と思わせてくれる。 ? 人生には、それくらいの理由しかない日があってもいいのではないだろうか。 もしかすると私たちは、「生きる意味」と「生きる理由」を混同している。 意味は分からなくても、理由なら今日の中にいくつかある。 一日が終わる。翌朝になったら、また一日だけ生きる。 そうして意味も分からないまま何年か生きたあと、ある日振り返って、 あの時間があったから、今ここにいるのかもしれない と思うことがある。 ? 人生の意味というものは、最初から用意されていて、それを見つけた人だけが生きられるものではないのだと思う。 生きている途中では意味の分からなかった時間に、後から意味が宿ることがある。 ? だとしたら意味があるから生きるのではなく、生きてしまった時間にあとから意味を与えていく。 そんな順番でもいい。 ? 現実と向き合う という言葉についても、少し考えたい。 向き合う と聞くと、何かを克服しなければならないような気がする。 ? 考えたところで答えの出ないことだってある。 それなら解決しないまま一緒に生きることも、ひとつの向き合う なのではないだろうか。 ? そう認めたまま、それでもご飯を食べ、お風呂に入り、仕事をして、眠る。 傷を克服した立派な自分にならなくても、傷を持ったまま生活している。 ? それは敗北ではない。 むしろ現実というものはたぶん、そうやって生きることなのだと思う。 そしてここまで考えると、幸せになる ということさえ、人生の最終目的でなくてもいいような気がしてくる。 ? 幸せになりたい。それは自然な願い けれど人生には、自分では選べないことがあまりにも多い。 生まれる場所も、出会う人も、誰かの気持ちも、突然起きる出来事も、完全には選べない。 幸せだけを人生の成功条件にすると、人生の評価を自分では支配できないものに預けることになってしまう。 ? だから幸せになることより先に、 自分の人生を自分へ返していくこと。 それがあるのかもしれない。過去は選べない。 でも今日、誰と会うかは少し選べる。 そんな小さな選択を、自分の手元へ取り戻していく。 ? 人生を取り戻すというと、大きな決断を想像するけれど、本当はそういう些細な選択の積み重ねなのだと思う。 過去に人生を壊されたと思う日があったとしても、今日のすべてまで過去のものにする必要はない。 ? 過去に囚われていてもいい。 未来に希望がなくてもいい。 無理に前向きにならなくてもいい。 ? ただ、 過去だけに今日を決めさせないこと。 未来だけに今日の価値を預けないこと。 ? それだけは忘れたくない。 人生を長い物語として眺めると、苦しくなることがある。 私は何者になるのだろう。この先どうなるのだろう。最後には幸せになれるのだろうか。 ? そんなときは一度、人生を物語として考えることをやめてもいい。 ? 今日は今日だけでいい。 そして明日になったら、また明日のことを考える。 ? それは逃げているように見えるかもしれない。 でも人間の一生を最後まで細かく分解していけば、結局そこに残るのはそういう名前もつかない一日一日なのだ ? だから、希望があるから今日を生きる という順番でなくてもいい。 ? 今日を生きていたら、いつか希望と呼びたくなる何かに出会うかもしれない。 ? それくらいでいい。 ? 未来を信じなくてもいい。 未来に期待できなくてもいい。 ただ未来の自分が何を好きになり、誰に出会い、何を大切にしているのかを、今の自分が全部決めてしまわないこと。 ? 今の悲しみだけを材料にして、まだ存在していない日々に判決を下さないこと。 ? 希望というのは、もしかすると きっと幸せになれる と信じることではない。 ? まだ分からないものを、分からないまま残しておく力なのかもしれない。 ? だからせめて、知らないものを知らないままにしておく。 ? ただ 未来を諦めることと、未来を知らないことは、同じではない。 知らないなら、まだ決めなくていい。 その小さな余白だけを残して、今日を生きていけばいいのだと思う。 鳳条 暦

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  • 09/03 17:45

    信じなくてもいい前編+空き枠のお知らせ

    9/9(水)11:00-、13:15-空いております??♀?お時間が合えばお会いしたいです?? ?  過去に囚われている。未来にも希望がない。それでも生きていかなければならない。 こういう言葉を聞くと、ついその人を未来へ連れていこうとする。 前を向こう。いつかきっと良いことがあるよ。 生きていれば何かが変わるよ。 どれも間違った言葉ではない。 ? ただ本当に過去から抜け出せず、未来を楽しみにする力まで失っているとき、 未来を信じて という言葉は、思っている以上に難しい要求なのだと思う。 ? そもそも、過去というものは本当に「過ぎ去ったもの」なのだろうか。 出来事そのものは終わっている。 けれど、そこで傷ついたこと、失ったこと、選ばれなかったこと、間違えたことは、ときどき現在の自分の中に残り続ける。 ? 過去は記憶として残るだけではない。 いつの間にか、現在を見るための物差しになっている。 だから過去を忘れればいい と言われても、そんなに簡単ではない。 忘れたい出来事によって形作られた自分が、今ここにいるからだ。 ? たぶん必要なのは、過去を消すことではない。 過去の意味を変えることでも、無理に美しい思い出にすることでもない。 「あれは確かに私の人生に起きた。今の私にも影響している。でも、これから起きることまで、あの出来事に決めさせる必要はない」 そうやって少しずつ、過去に渡してしまった決定権を自分へ返していくことなのだと思う。 過去から自由になるというのは、忘れることではなく、過去を自分の人生の一部にまで小さくしていくことなのかもしれない。 ? そしてもうひとつ、私は 未来に希望を持つこと が生きるための絶対条件だとも思っていない。 ? 未来に希望がないと言うと、とても暗い状態のように聞こえる。 けれど何度か期待して、そのたびに傷ついた人にとって、希望を持たないことは自分を守る方法でもある。 期待しなければ、失望しなくて済む。 信じなければ、裏切られなくて済む。 「きっと良くなる」と思わなければ、良くならなかったときの落差も小さい。 ? だから未来を信じられない自分を、無理に変えなくてもいいのだと思う。 「いつか幸せになる」 「絶対に人生は良くなる」 そんなことを言い聞かせなくてもいい。 ? 未来なんて、本当は誰にも分からない。 良くなる保証もなければ、悪くなると決まったわけでもない。 ? だったら未来に対して持つべきものは、強い希望ではなく、もっと小さな余白なのかもしれない。 分からないから、とりあえず決めないでおこう。それくらいでいい。 未来を信じられなくてもいい。 ただ、まだ会ったことのない人を嫌いだと決めないように、まだ訪れていない日々まで不幸だと決めつけない。 ? 今の自分には想像できない何かを、未来の自分が好きになるかもしれない。 今なら選ばないものを選ぶかもしれない。 知らない街を好きになるかもしれない。 どうでもよかった人が大切になるかもしれない。 逆に今すべてだと思っているものを、いつか平気で手放しているかもしれない。 人は、自分が思っているほど自分の未来を知らない。 だから未来を信じる必要はなくても、未来を決めつけないことくらいはできる。 私はそれを希望より少し弱くて、でも希望より誠実なものだと思う。 鳳条 暦

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  • 09/03 09:45

    短話:好きな考え

     他人と、過ぎてしまった結果は変えられない。 ? 変えられるのは、それをどう受け取り、これからどう生きるかだけ。 ? 誰かに理解されることを求める前に、まずその人を理解する。 誰かを満たそうとする前に、まず自の心を満たす。 ? 幸せを他人の手に預けなければ、嫌われることも少し怖くなくなる。 ? 自由とは、誰にも嫌われないことではなく、 誰かに嫌われても、自分の心で幸せを選べることなのだ。 ? 鳳条 暦

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  • 09/02 09:30

    継続ではないのかもしれない

    ?  何かを続けられる人は自分以外は意志の強い人なのだと思っている。 毎日決まった時間に起きて、運動をして、本を読んで、勉強をして。決めたことを淡々と積み重ねられる人。 私がそうだし、そういう人だけが何かを長く続けられるのだと思っていた。 けれど自分の人生を振り返ってみると、長く続いているものほど、案外きれいには続いていない。 夢中になっていた時期があって、忙しくなってしばらく触れなくなって、それでもある日、何事もなかったようにまた始めている。 そう考えると、続ける という言葉を私は少し勘違いしていたのかもしれない。 継続とは、一度も立ち止まらないことではない。 立ち止まったあと、また戻ってこられることなのだと思う。 ? 多くの人は何かを始めるとすぐに 続けなければ! と思う。 そして一日できなくなる。気づけば一週間が経っている。 できなかった一週間よりも、また続かなかった という事実のほうが重くなってしまう。 本当は一週間休んだだけなのに、そこで自分の中に失敗 という名前をつけてしまう。 そして不思議なことに、人は一度失敗した と思ったものには戻りづらくなる。 また始める という大袈裟な決意が必要になってしまう。 だから、もしかすると継続を難しくしているのは、休んでしまうことではない。 休んだ自分を許せないことなのかもしれない。 ? そもそも、モチベーションというものは、あまり信用できるものではない。 昨日はあんなに頑張ろうと思っていたのに、今日は何もしたくない。 誰かに褒められただけで何時間でも頑張れたり、些細なことで傷ついただけで、全部どうでもよくなったりする。 そんな不安定なものに、自分の人生を任せて、 「これから毎日、私をやる気にさせてください」とお願いするほうが、少し無理がある。 続けられる人というのは、ずっとモチベーションが高い人ではないのだと思う。 むしろ、 モチベーションがなくなる日が来ることを、最初から知っている人なのだと思う。 一度全部放り出してしまう自分もいる。 それを 想定外の自分 にしない。 今日の私は頑張れる。 でも、来月の私は頑張れないかもしれない。 そのときに、「こんなはずじゃなかった」と責めるのではなく、「まあ、そういう時期もある」と言える余白を残しておく。 自分という人間を長い目で扱うということ。 ? だから私は、何かを続けるためには、 頑張れる環境より、戻ってこられる環境を残しておくこと のほうが大切。 それは単なる物の話ではない。未来の自分のために、入口を残しておくということだ。 いつかまた、「ちょっとやろうかな」と思った自分が、何の決意もなく帰ってこられるように。 「再挑戦」にしてしまうから重たくなる。 本当はただ、 久しぶりに帰ってきただけ なのだ。 ? そしてここまで考えていると、継続というのは習慣の問題だけではないような気がしてくる。 もっと根っこのところでは、 自分と自分との関係の話なのではないか。 自分を信用していないと、人は自分を厳しく管理したくなる。 今日やらなかったら、明日もやらないかもしれない。一度休んだら、このまま全部投げ出してしまうかもしれない。 だから自分に約束させる。 ? 自分を信頼できている人は、 今日はできなくてもいい。今は離れてもいい。 だって私は、本当に必要なものなら、また戻ってくるから。そう思える。だから休める。 だから離れられる。 そして皮肉なことに、離れることを許されたものほど、長く続いたりする。 自分との関係も、きっと同じなのだと思う。 四六時中自分を監視して問い詰め続けるより、少しくらい好きにさせて、 それでも帰ってくる自分を待っていられるほうがいい。 ? 人生もきっと、そういうものなのだと思う。 いつでも前向きでいられるわけではない。 自分自身を好きでいられない時期だってある。 それでも、そのたびに人生そのものを 失敗 にしなくていい。 人生の中には、途中で置いてきたものがたくさんある。 それらすべてを続かなかったもの と呼ばなくてもいいのかもしれない。 もしかすると、 まだ続きを始めていないだけなのかもしれない。 長く続くということは、一度も途切れない一本の線を引くことではなく、 途切れ途切れになりながらも、何度も同じ場所を選び直していくこと。 そして最後に振り返ったとき、たくさんの空白まで含めて一本の線に見えたものを、私たちはきっと、 「続けてきた」と呼ぶのだろう。 ? 鳳条 暦

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