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09/11 17:32
釣りに行く彼氏を心配している声が聞こえた。 ? 「死なんといてな!」 ? 冗談と本音の狭間にあるような声だった。 ? 「俺は泳げるから大丈夫。海でもバタフライするし。 まぁでも溺れたら、背泳ぎか平泳ぎやな。 息さえ吸って、肺に空気があれば浮くって」 ? 彼は彼なりに、彼女を安心させようとしているらしい。 ? けれど彼女が知りたいのは、海でどの泳法を選ぶのかではなく、無事に帰ってきてくれるかどうか。 ? 「死なんといてな」 ? たったそれだけの言葉だったけれど、その人がいる明日を当たり前に願う、小さな愛が詰まっていた。 ? 心配する彼女と、バタフライで乗り切ろうとする彼。 ? なんだか可愛くて、私はその小さな愛に、少しときめいた。 ? 鳳条 暦 ?
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09/11 09:30
愛について考えるとき、私はいつも感情より先に構造を見ようとしてしまう。 好きかどうかではなく、なぜそこに留まっているのか。なぜ離れられないのか。 なぜ別の場所に安堵を感じるのか。 そういうことばかり考える。 たぶん、感情というものを、そのまま信じることが少し怖いのだと思う。 心は、その瞬間に最も強く動いたものを真実だと思い込む。 けれど、強度と真実は同じではない。 激しいことと深いことも、不安定であることと特別であることも必ずしも一致しない。それでも人はときどき、心を乱すものの方に意味があると思ってしまう。 波立つことを、生きている証拠のように感じてしまう。 反対に、穏やかなものには理由を求める。 なぜ安心するのか。なぜ疲れないのか。 なぜここでは自分を守ろうとしなくていいのか。 そして理由を探し始めた瞬間、愛は少しずつ理屈に似てくる。 理屈は愛を否定するのか ここで厄介なのは、理屈が愛を否定するものではないということだ。 むしろ人は誰かを本当に自分の人生の内部へ置こうとしたとき、初めて理屈を必要とするのかもしれない。 一時の感情で済むなら、未来など考えなくていい。 今日会いたい。今そばにいてほしい。 それだけで成立する。しかしその人の存在を、明日や来年やもっと遠い時間にまで連れていこうとした瞬間、感情だけでは足りなくなる。 そこに生活が生まれ、時間が生まれ、責任が生まれる。 つまり、愛には現実が混ざる。 だから私は理屈が前に出てくることを、 愛がない証拠だとは思わない。 ただときどき分からなくなる。 理屈が愛を支えているのか。それとも、 愛と呼べるものが足りないから理屈でそこを補強しようとしているのか。 この二つは、外から見るとよく似ている。 優しい。安心できる。穏やかである。未来を想像できる。 それらはすべて、ひとつの関係を選ぶ理由になりうる。けれど理由は必ずしも欲望ではない。 正しいことと望んでいることは違う。 安全な場所と帰りたい場所も違う。 だから、自分がどこかに安堵するとき、その安堵を無条件に愛と呼ぶことには慎重でいたい。 鳳条 暦
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