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05/11 09:30
余計なお世話?
マイルドで落ち着いた貴方様。暦の湯はいかがでしたか?
まさか仕事と仕事の間に来てくださっていたとは思いませんでした。
何食わぬ顔をして戻る貴方を想像していました。
きっと誰よりも真面目に働いておられるのでしょうね?
勢いのまま撮影されたケーキ?そう。この時の私は急いでいたのです。ケーキを目の前にお茶を用意してゆっくりできないようでは、私はまだまだ子供なんでしょうね?
-----?
ちょっとだけ日記では頭の整理してるんです?
でも貴方が読んでくれるから、少しだけ読み手のことも考えるようになりました。
読んでいたら貴方の意見も聞きたいのです??
??書いて覚える、思い出す、そして忘れていく。日記に書いたことはうる覚えになることがある。
書くという行為と記憶・忘却の関係は、プラトンから現代まで繰り返し問われてきた問い。
書くことは、記憶の補助か、記憶の代替か。
プラトンのパイドロスで、ソクラテスはこう言った。文字を発明したトートに対し、神タモスは言う??それは記憶の薬ではなく、想起の薬に過ぎない と。書かれたものは、魂の内側に刻まれた知ではなく、外部に預けられた影だ、と。
日記がうろ覚えになるのは、失敗ではないかもしれない。書いた瞬間、脳はもう外にあると判断して手放す。これをデリダは代補と呼んだ。書くことは補うのではなく、置き換える。
では忘れることは何か。ニーチェは逆説的に言う??忘却こそが生の条件だ と。すべてを覚えている者は過去の重みに潰されて現在を生きられない。忘れることは欠如ではなく能動的な消化だ。
日記に書いたことがうろ覚えになるのは、魂がそれを処理した証かもしれない。
書く、忘れる、そして残るもの。では書く意味は何か。おそらく書いた事実ではなく書いた行為が自分を変える。内容は忘れてもその思考の痕跡は人格に沈殿する。川の水は流れ去っても、川床の形は残る。
自己とは、語られることで生まれる。サルトルは言った??人間には、石や木と違ってあらかじめ決まった本質がない。存在が本質に先立つ。つまり自己とは、生きながら事後的に作られるものだ。
日記を書くとき人は出来事を選び、並べ、意味づける。その編集行為そのものが自己の輪郭を彫っていく。書かれた内容ではなく何を選び何を捨てたか??その痕跡が私を形成する。
しかし、書く自己は本当に私か。
ポール・リクールは物語的自己同一性を提唱した。自己とは固定した実体ではなく、自分について語り続ける物語の一貫性だ、と。
ここに亀裂が入る。日記を書くとき、私たちは無意識に読まれる自分を想定する。誰にも見せない日記でさえ、未来の自分という読者に向けて書く。つまり書く自己はすでに他者の視線を内包している。純粋な私だけの自己など書いた瞬間に消える。
書くことは自己発見か、自己発明か。
ミシェル・フーコーは晩年、自己への配慮として古代の書く実践??日記や手紙??を再評価した。書くことは自己を見つけるのではなく、自己を鍛錬する技術だ と。
発見ではなく発明。すでにある何かを掘り出すのではなく書くたびに少しずつ異なる自己が立ち上がってくる。
忘却との接続。ここで最初の問いに戻る。書いたことを忘れるのは、その内容が自己から脱落したのではなくむしろ物語に溶け込んで見えなくなったのかもしれない。骨格は記憶されない。しかし姿勢を作っている。
書くことで自己は完成しない。書くたびに、昨日の自己がわずかにずれる。その連続したずれの軌跡が、自己と呼ばれるものの正体ではないか。
自分は探すものではなく、作り上げるもの。
きっと余計なことの中にしか未来はないのです。
鳳条 暦
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