
オゴトガイド見たとお電話ください!
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05/12 17:15
夏ぶりの貴方。逢瀬がひと夏の思い出になってしまわないかハラハラ。 覚えていてもらえて嬉しかったです。 世界中を飛び回って仕事をするのに、どこか自信なさげに、ふわふわ浮いて見えます。 どうか変わらず貴方のままでいてください。 普段はあまり飲まないジャンキーなお味? でもみかんもぶどうも大好きなフルーツではあります?炭酸にも慣れはあるのでしょうか? ----- ??愛嬌があって論理的な思考ができる人ってほんとに最強 優しい支配力。愛嬌がある人は得をする。 論理的な人は正しい。でもその両方を持つ人間は??なぜかほとんどいない。 考えてみると不思議だ。愛嬌と論理は鍛える場所が違う。 愛嬌は相手を見る力だ。この人は今何を感じているか。どんな言葉なら心が開くか。それを瞬時に読んで自然に動ける?それは高度な他者への感度だ。 論理は構造を見る力だ。感情に流されず前提を疑い、矛盾を見つけ、筋道を立てる。それは世界への冷静な解像度だ。 人はたいていどちらかに偏る。感じすぎて考えが甘くなる。考えすぎて届け方を忘れる。 アリストテレスは説得には三つの柱があると言った。ロゴス、エトス、パトス。 ロゴスは論理だ。筋道が通っているか。前提は正しいか。結論は導けるか。これが崩れると話はただの感情論になる。 エトスは信頼だ。語る人間そのものへの信用。 どれだけ正しいことを言っても、信頼されていない人間の言葉は空気を震わせるだけで誰の胸にも届かない。 パトスは感情だ。人間は感情が動いたときにしか本当には動かない。データを見て泣く人はいない。物語を見て泣く。論理は理解させるが感情は人を動かす。 アリストテレスがこれを書いたのは2400年前のことだ。 それだけの時間が経っても、人間の説得の構造は何も変わっていない。 面白いのは、この三つが、それぞれ別の人間に宿りやすいことだ。ロゴスに長けた人間は、正確だが冷たく見える。 パトスに長けた人間は、熱いが信用されにくい。 エトスに長けた人間は、慕われるが中身が薄いと看破される。 どれかひとつでは必ず穴が開く。愛嬌と論理を両方持つ人間が希少なのはこの三つを同時に満たすことが構造的に難しいからだ。 愛嬌はエトスとパトスを同時に動かす。人に安心感を与えながら感情を揺らす。そこに論理??ロゴスが加わったとき、三つの柱がはじめて揃う。 アリストテレスが言った説得の条件を、ひとりで自然に無意識に満たしている。それが愛嬌と論理を持つ人間の正体だ。 正しさはそれだけでは武器にならない。相手が受け取れる形に変換されてはじめて機能する。 愛嬌はその変換装置だ。硬い真実を人が飲み込める温度に変える。支配という言葉は少し物騒に聞こえる。でも人の心を動かす力を支配と呼ぶなら?それを暴力ではなく、温かさでやってのける人間が結局一番遠くまで行く。 愛嬌は人の心をほどく力。論理は世界をほどく力。その両方を持つ人は、正しいことをやさしく確実に届ける。それは才能というより?どちらも諦めなかった という選択の結果かもしれない。 魅力は正しさの量よりどこで人間らしく崩れているかに宿る ? そうなりたい具体的な姿は私にはないのですが、これにも一票入れたいですね。 鳳条 暦
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05/12 09:30
今日の貴方と私はビジネスパートナーのよう 膨らむ話に全く時間が足りません。 貴方が頼って、甘えてくれるのが嬉しい?? 執着が消えきらないうちもその後も、また私のところへ来てくれますか? -----? ??偶然はどのようにあなたをつくるのか 偶然の堆積 生まれた場所を選ばなかった。 最初に出会った言葉を選ばなかった。 信じている価値観は、いつ、誰から受け取ったものだろう。 怖い、と思う出来事も。 美しい、と感じる景色も。 あの人のことが好きだ、という感覚でさえ?? 本当に自分が選んだと言えるのか。 偶然の堆積が、私という形をしている。 ヘラクレイトスは言った。 同じ川に二度入ることはできない、と。 川は絶えず流れ、昨日の水はもうそこにない。 人もまた同じで、昨日の私と今日の私は、厳密には別の存在だ。 では私とは何か。 流れの中の、どの断面のことを指すのか。 記憶か。習慣か。他者からの呼びかけか。 どれも、自分で選んだものではない。 気がついたら、そうなっていた?? それが、私たちの自分の正体ではないか。 カオス理論にバタフライ効果という概念がある。 蝶が羽ばたく。 その微細な振動が、大気を揺らし、 遠い場所でハリケーンを生むかもしれない。 あなたが今日たまたま選んだ道。 たまたま目に留まった一行。 たまたま誰かに放った言葉。 それが見知らぬ誰かの人生の偶然になっている。 その人がまた別の誰かの偶然をつくり、 連鎖は、終わらない。 私たちは偶然を受け取りながら、 気づかないまま、誰かの偶然を渡し続けている。 世界はそういう、途方もない絡まりでできている。 それでも人間は意味を探す。 なぜあのときあの人と出会ったのか。 なぜあの失敗が後になって転機になったのか。 物語をつくらずにはいられない生き物だ。 だがその物語は後から貼りつけたラベルに過ぎないかもしれない。 偶然に意味という衣を着せているだけかもしれない。 それを知っても人は変われるのだろうか。 コントロールできないものに気づいたとき、 人は絶望するか、あるいは?? 奇妙な軽さを感じるか。 私がつくった私などというものは、 最初から存在しなかったのだとしたら。 その問い自体も?? 偶然、生まれただけなのか。 そう言えば川の話は前も少し触れたような?これもまた偶然? 鳳条 暦
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