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05/17 09:15
どんな私を見ているの?
貴方との出会いは衝撃的であまりにも時間があっという間に過ぎてしまいました?
貴方はどの角度から切り取っても知的でとても面白い?
伊藤潤二の恐怖の重層を思い立たせるあらゆる物事に対する深さ、広さ
すごいが怖い領域に私はワクワクが止まりません。
ナッツのハーモニーが堪りません。濃いカカオによく合います?
夏場は特に食べ過ぎには気をつけないと?
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??他者と生きることの哲学
会話が生きたり死んだりするという感覚がすごくリアルだ。
会話が生きているとき言葉が届いている。相手の言葉が自分の中で何かを動かす。沈黙にも重さがある。
会話が死んでいるとき言葉は交わされているのに何も起きない。情報は伝達されているのに存在に触れていない。
会話とはそもそも何か。
言葉を交わすことと会話することは違う。情報を渡すだけならメモでいい。でも人は顔を見て、声を聞いて、沈黙を共有しようとする。それはおそらく人は言葉の内容だけじゃなく、言葉を通じて相手の存在を確認したいのだと思う。会話の本質は、情報伝達ではなく存在の相互承認かもしれない。
ブーバーの 我と汝
20世紀の哲学者マルティン・ブーバーは人間の関わり方を二種類に分けた。
・我?それ の関係
相手を道具や情報として扱う。目的のために会話する。これは効率的だが存在に触れない。
・我?汝 の関係
相手をそのままの存在として向き合う。目的がない。ただそこにいる。このとき初めて本当の出会いが起きる。
ブーバーは言う?すべての本当の人生は出会いであると。
現代のSNSや効率重視のコミュニケーションは、ほとんどが我?それ になっている。だから何千のいいねをもらっても孤独が消えない。
相手をそれ(It)として扱う対話と、汝(You)として向き合う対話ではまったく別の現実が生まれると言った。
ここで面白いのは会話は私だけでは成立しないということ。どんなに良い言葉を用意しても相手次第で死ぬ。逆にたどたどしい言葉でも相手によって生きる。会話はどちらかが所有できるものではない。
他者がいて初めて私が生まれる
私という感覚は生まれつきあるように感じる。でも私は他者との関係の中で初めて形を持つ。鏡がなければ自分の顔を知れないように他者という鏡がなければ自分が何者かわからない。
孤独の中で私だけで完結しようとするとある
時点で私がぼやけてくる。それは単なる寂しさではなく存在を失う感覚に近い。
会話があれば生きていける、というのはこういうことかもしれない?
会話は情報交換ではなく自分の存在を確かめる行為だから。
会話への深い信頼と同時に会話への怖れが両方あるように見える。
それは本当に会話したことがある人だけが持つ感覚だと思う。
会話は生き物のようだ。
鳳条 暦
<< 2026年5月

































