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鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

T164 B83(E) W55 H82

 

11:00 ~ 17:30

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営業時間 11:00-24:00

  • 07/16 16:30

    短話:教養

    ただの日常が娯楽になっていく。 ? 散歩、図書館、夕焼け、古本屋、寺の庭、雲の名前、月の満ち欠け、夏の星座、季節の移り変わり、何気なく通り過ぎる駅の歴史、 ? ささいな日常で喜べる。 ? 世界を楽しめる視点が増える ? ドーパミンに左右されないような ? そんな生き方の人を勝ち組と呼びたい。 ? 鳳条 暦

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  • 07/16 09:45

    短話:誰の胸で泣く

    私は自分で引いた道を まっすぐに進む。 自分が勝手に 選んだ道だからこそ、 その道の奴隷になる。 私は、自分で選んだ道を正解にできる人になりたい。 迷うし、立ち止まるし、本当は涙が出るほど弱い。 それでも、自分で決めた人生だけは最後まで自分で引き受けたい。 強さとは、弱さがないことじゃない。弱さを抱えたまま、それでも歩き続ける覚悟なのだと思う。 鳳条 暦

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  • 07/15 16:15

    ココシャネルの言葉2

    仕事とは、自分の存在を世界に刻むこと シャネルにとって仕事は、生活費を得るための手段ではなかった。 ? 日曜日は大嫌い。誰も働かないから ? これらの言葉から分かるのは、彼女にとって創造することそのものが、生きている実感だったということだ。 仕事は彼女を自由にした。 お金を与え、社会的な地位を与え、男性に依存せずに生きる力を与えた。しかし同時に仕事は彼女を孤独にし、多くのものを犠牲にさせた。 シャネルの仕事観を単純に美化することはできない。 仕事に人生のすべてを注ぐことは、そこにしか自分の居場所を見つけられなかった悲しさも感じる。 それでも彼女は、作ることをやめなかった。 批判されても、時代遅れだと笑われても、最後には自分が全力を尽くしたかを基準にした。 他人に褒められることは嬉しい。 けれど自分の価値をすべて他人の評価に預けてしまえば、人は簡単に自分を失う。 自分の中に評価基準を持っていた。 ? 私は全力を尽くした ? その感覚がある限り、外の声に揺れながらも完全には折れない。 本当の自信とは迷いや批判の中でも自分のした仕事に責任を持てることなのかもしれない。 ? ? お金は、自由を買うためのもの シャネルにとってお金は、単に贅沢をするためのものではなかった。 ? 物をあれこれ買うなんて考えもしなかった。自分の自由を買わなくてはならなかったから ? この言葉がとても印象に残った。 お金があれば、嫌な場所から出ていくことができる。お金は自分の人生の主導権を守るための力だった。 自由は美しい言葉だけれど、現実にはお金が必要になる。 選択肢を持つこと。 感情や理想だけでは足りない。 ? ? 強い女性とは弱さを失った人ではない シャネルの言葉には、強さを求める姿勢が何度も現れる。 この本を読んで感じたのは、彼女の強さは弱くないこと ではなかったということだ。 彼女は孤独を感じた。愛する人を失って深く傷ついた。人を怖いと思い、自分の不幸を知られたくないと思った。他人の言葉に影響されやすい自分を知っていた。 強い人とは傷つき、迷い、誰かを求めながらも、そのたびに自分の人生を選び直す人なのだと思う。 ? 女性は強さではなく、弱さを楽しまなくてはならない ? これもおそらく、女性は弱くあるべきという意味ではないだろう。 強さだけを鎧のように身につけなくていい ということなのだと思いたい。 何でも一人でできるふりをしなくてもいい 傷つかないふりをしなくてもいい 頼りたい気持ちや、寂しさや、揺らぎまで、自分の一部として認めたい。 弱さを隠すために強くなるのではなく、弱い自分も抱えたまま立っていられること。 それが本当の強さなのかもしれない。 シャネルの強さには、そうした人間らしい弱さがあったからこそ、ただ冷たいだけではない魅力が宿ったのだろう。 ? ? 何によって記憶されるのか この本の終わりに近づくにつれて、シャネルの言葉は、成功や仕事、美しさの話から、人生そのものへの問いへ変わっていく。 ? 人が何を残せるのかといえば、人生のなかで何を考え、何を愛してきたかということだけ ? 私はこの言葉が、この本全体の結論のように感じた。 私たちは誰かがどれほどお金を持っていたか、どれほど高価なものを身につけていたかを、いつまでも覚えているわけではない。 けれど人がどんな信念を持っていたか。 何を許せなかったか。何に心を動かされ、何を愛したか。 そうしたものは、その人がいなくなったあともきっと周りの人の中に残り続ける。 人間は思想や愛し方によって記憶される存在なのかもしれない。 シャネルが残したものは、服やバッグ、香水だけではない。 彼女が残した最大のものは、ひとつの生き方だった。   ? 女性としての自分を考えた 私はこれまで、人としてどうありたいか を考えることはあっても、 女性としてどうなりたいか を深く考えたことはあまりなかった。 女性であることを、外見や恋愛、結婚といった枠組みの中だけで考えたくなかったからかもしれない。 けれどこの本を読んで、女性として生きることは誰かに好かれるための形に自分を整えることではないのだと思った。 女性として美しくあることは、弱く見せることでも、若さにしがみつくことでも、男性に選ばれることでもない。 誰かを深く愛しても、自分の人生まで明け渡さないこと。 助けられたことを恥じず、受け取ったものを自分の力へ変えること。 自分の弱さまで否定しないこと。 誰も必要としない女性になってはいけない。 誰かを愛し、必要とし、支えられることがあっても、自分の足で立ち続けられる女性になりたい。 自分で自分を選べる女性になりたい。弱さを持ちながらも、その弱さを理由に自分を諦めない女性でありたい。 私は以前、 自分の選んだ道を正解にできるくらい強い女になりたい。本当は、涙が出るくらい弱いのに と思ったことがある。 この本を読み終えて、その強い女 という言葉の意味が少し変わった。 強い女とは本当は弱く、泣き、間違い、誰かを必要としながらも、自分の人生を何度でも選び直す人なのだと思う。 誰かの期待どおりではなく、自分の感性に誠実に生きること。 それが自分の選んだ道を正解にしていくということなのだと思う。 シャネルは、一度も私はいつも正しかった  と証明しているようには見えなかった むしろ選び続けた と語っていたのか 愛することを選び、別れることを選び、働くことを選び、孤独を選び、再び立ち上がることを選んだ。 人生とは選んだ道を自分の思想と覚悟によって生き切ることなのかもしれない。 ? ? おわりに 彼女は生まれながらに完成された女性ではなかった。 気に入らない人生から逃げず、何度も壊し、選び直し、自分自身を作り続けた女性だった。 大切なのは自分の人生における嫌いを知ること。 与えられた人生をそのまま受け入れるだけではなく、自分の手で作り直していくこと。 シャネルが服を作ったように、私たちもまた、自分という作品を毎日少しずつ作っている。 そして私にとっては初めて、人としてどう生きたいかだけではなく、 一人の女性として、どのように美しく、強く生きたいかを考えるきっかけを与えてくれた本だ 素敵な本を紹介してくれて、本をプレゼントしてくれてありがとう?? 勧めてくださった貴方は男性だけど、 貴方が惹かれた気持ちがほんの少しだけ理解できた気がします? いつかまた貴方と話せますように ? 鳳条 暦

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  • 07/15 10:02

    ココシャネルの言葉1

    嫌いなことに忠実に生きる ? この本は単なる名言集でも、ファッションや成功について書かれた本でもなかったのだと思う。 これは、自分に与えられた人生が気に入らなかった一人の女性が、自分自身をひとつの作品として作り上げていった記録 ? ? シャネルの言葉はときに鋭く傲慢で、冷たくさえ聞こえた。 ? かけがえのない人間であるためには、人と違っていなければならない ? 私は私の人生を作り上げた。なぜなら、私の人生が気に入らなかったからだ ? 私は確かな嫌悪の精神をもっている ? これらの言葉はただ前向きに生きることを勧める、優しい励ましに感じられなかったけれど、 人と違うことを恐れず、自分の人生に責任を持ちなさいと迫ってくる。 シャネルの言葉には少し怖さを感じた。 憧れるだけなら簡単だけれど、その生き方を本当に自分のものにしようとすると、嫌われることも、失敗することも、孤独になることも引き受けなければならないからだ。 その厳しさこそがこの本の魅力なのだと思う。 ? 好きではなく、嫌いに忠実に生きる ? 姿勢はシャネルの人生と仕事の根に流れている。 普通、人生を豊かにするためにはおそらく好きなものを見つけよう と言われる。 しかしシャネルは、自分が何を嫌うのかをはっきり知っていた。 女性の身体を締めつけるコルセットが嫌いだった。ものの値段によって自分の価値を証明しようとする態度が嫌いだった。 流行に従うだけの服も、若さだけを価値とする考え方も、女性が男性に養われることを当然とする社会も嫌った。 その嫌悪を彼女は愚痴のままにしなかった。 嫌いだから、捨てた。別のものを作った。 自分の美意識を形にした。 黒を喪服の色から洗練の色へ変え、女性が自由に歩き、働き、呼吸できる服を作った。 嫌悪とは他人を否定するための感情ではなく、 これは違う と言えること。 皆が選んでいるから という理由だけで、自分の感覚を裏切らないこと。 嫌いなものを知ることは、自分が何を守りたいのかを知ることでもある。 嫌悪を破壊だけで終わらせず、創造へ変えた。そこに彼女の本当の強さがあるのだ   ? 美とは自分を粗末にしないことだった この本の中で語られる美は顔立ちや若さ、身体の細さといった表面的なものではなかった。 美とは自分をどう扱うかという問題 ? 醜さは許せるけれど、だらしなさは許せない  ? この言葉には、シャネルの美意識が凝縮されている。 生まれ持った顔や身体は選べない。年齢も重ねていく。人には欠点があり、弱くなる日もある。しかし自分をどうでもいいものとして扱うかどうかは、自分で選ぶことができる。 香水もまた、シャネルにとって目に見えない美しさだった。 服や宝石は目に見えるが、香りは近づいた人にしか届かない。 人が去ったあとにもわずかな余韻として残る。 美しさとは近づいた人の記憶に静かに残るものなのかもしれない。 何かを際限なく足していくことではなかった。 余計なものを削り、自分に必要なものだけを残すことだった。 それは単なる禁欲ではない。 自分にとって何が本当に必要なのかを知っていることが美しいのだと思う。 本物の贅沢とは、物や流行に自分の価値を保証してもらわなくても立っていられることなのだろう。 ? ? 愛されても、自分を手放さない この本の恋愛についての章を読んで感じたのは、シャネルは愛を必要としなかった強い女性 では決してなかったということだ。 彼女は深く愛し、深く傷つき、愛する人に父や兄や家族のようなものまで求めた人だ アーサー・カペルを亡くしたとき、シャネルはすべてを失った と語った。 その言葉からも彼が恋人というだけでなく、理解者であり、彼女の人生を支える土台のような存在だったことが分かる。 シャネルは男性たちから多くのものを受け取った。愛、支援、知性、階級社会の文化、芸術、美意識、世界へ出るための機会。 与えられたものの上に座り込んで生きることはせず努力した。 受け取ったものを自分の感性で分解し、服にし、スタイルにし、自分自身の名前で世界に返していった。 シャネルの自立は誰にも頼らないこと ではなかったのだと思う。 人に愛され、助けられてもいい。誰かを必要としてもいい。 ただしその人の所有物にはならないこと。 支えてもらった場所にとどまり続けるのではなく、受け取ったものを自分の力へ変え、最後には自分の足で立つこと。 ? あなたを愛しているかどうかは、私が独立できたときにわかる ? この言葉はとても残酷で同時に誠実だ。 依存しているとき、人は相手を愛しているのか、それとも必要としているだけなのか分からなくなる。 寂しさを埋めてくれるから一緒にいるのか。生活を守ってくれるから離れられないのか。自分に価値を与えてくれるから求めているのか。 それともひとりでも生きられる状態になってなお、その人を選びたいのか。 自立したあとにも残る感情こそが、愛なのかもしれない。 シャネルの強さは、男性を必要としなかったことではない。必要とし、影響され、傷つきながらも、自分の人生を決める権利だけは渡さなかったことにある。 誰かと一緒にいるために、自分の才能や仕事を諦めない。 愛を檻から翼に変える。 彼女にとって本物の愛とはその人の可能性を外へ押し出すものだったのだと思う。

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  • 07/14 19:30

    短話:好きで嫌い

    誰にでもわかりやすい魅力をもっている人じゃなくて、ほとんどの人からは気づかれない独特の、奥にすごい魅力のある人。 ? 魅力って何だろう ? 人は結局、魅力そのものに惹かれるんじゃなくて、自分の感性に触れるものに惹かれるのかもしれない。 同じ人を見ても、ある人は何も感じず、ある人は忘れられない存在になる。それくらい、人と人は合う、合わないが大きい。 ? だから人にがっかりすることもある。期待して、気を遣って、わかってもらえると思ってしまう。でもその期待は相手の中には最初から存在していなかったのかもしれない。 ? 気を遣った分だけ見返りを求めてしまうと、人間関係は途端に苦しくなる。優しさが取引みたいになってしまうから。 ? 人と人はどれだけこねくり回しても交わらないような、お互いに違う世界を生きている。だからこそ、無理に理解されようとするより、そのままの自分でいても自然と心地いいと思える相手に出会えたら、それだけで十分なのかもしれない。 ? 魅力って、たくさんの人に愛されることじゃなくて、たった一人の感性に深く届くことなのかもしれない。 ? 鳳条 暦

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  • 07/14 09:15

    短話:夜間飛行について

    サン=テグジュペリ作品 ? 彼は飛行機乗りの作家だそうで、 空の表現に惹かれました。 小説内で天候が悪くなっていくことがよくある それを夜が果肉のように腐り始める と書き、 飛行機乗りの夫の帰りを待つ妻を慰める存在として、月が羊飼いのように散歩している  と書く まだ全然読めていませんが、 鳳条 暦

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  • 07/13 09:45

    レベル999.9

    また楽しみが増えてしまって?? また約束が増えました? 毒気を抜かれるような貴方の癒しっぷりには私の頬にも自然に笑みが宿ります 20の質問の答えも気になるし、東京には仕事で行くのに貴方に話すためウロウロしたいな ? と思っていたらこの日記は東京から帰ってからの投稿となりました。 ----- 合わせ鏡と山びこ この世は合わせ鏡か山びこか 我になき理はうつることなし 目は、目そのものを見ることができない。まぶたの裏側に隠れた小さな器官は、外界のあらゆるものを映しながら、自分自身の姿だけは決して捉えられない。見るためには鏡という他者が要る。ガラスの表面に銀を貼りつけただけの、ただの物質が要る。 私という現象も、 同じ構造を持っているのではないか。 私は私を直接見ることができない。だから世界がある。現実という名の鏡が、私を映し返すために置かれている。目の前に広がる山も、街も、すれ違う他人の顔も、雨の匂いも──それらすべてが、実は私の裏側なのかもしれない。 世界=私を映す鏡。世界=私の現れ。 そう思った瞬間、目眩がした。私が世界を見ているのではない。宇宙が、自分自身を私 という一点を通して見ている。 私は観測者ではなく、宇宙が自分を確認するための、無数にある覗き穴のひとつにすぎない。 これがこの世界がつくられた理由だとしたら。世界の目的は、 ただ一つ──「私」を「私」自身に見せること。 --- 鏡という比喩には、ひとつの?が混じっている。 鏡は対称だ。私が右手を挙げれば、鏡の中の私は左手を挙げる。時間差はない。呼応は即座で、完全で、そこに遅れはない。だが実際の私と世界の関係は、そんなに行儀がいいものだろうか。 冒頭に置いた歌が、鏡だけでなく山びこを呼び出したのには理由がある。山びこは鏡ではない。声を発してからそれが谷にぶつかり、質量を持った空気を震わせ、遅れて、少し歪んで、こちらへ還ってくる。合わせ鏡が即時の相似だとすれば、山びこは遅延した反響だ。 だとすればこう考え直せる。私は世界を見て、その場で自分を知るのではない。私は世界に向かって、何かを投げかけている──声にならない声、行い、選択、傷、愛し方の癖。 それが世界という谷にぶつかり、少し時間を置いて、少し形を変えて、私のもとへ谺として還ってくる。他人の反応、起きた出来事、繰り返される人間関係のパターン。それらはすべて、 かつて私が投げたものの、遅れた木霊なのかもしれない。 私の内に無い道理は、決して映らない。鏡であれば、これは静的な真実だ。私に無いものは、この一瞬、映りようがない。だが山びこであれば、これは動的な真実になる。私の内に無い理は、いつまで待っても谺として還ってこない。逆に言えば、還ってきたものはすべて、かつて確かに私の内にあった何かの痕跡だということになる。 --- 西田幾多郎は、自己が自己を知るということそのものが、自己を自己から分離させ、映し合わせる運動によってしか成立しないと考えた。 見る者と見られる者が同一でありながら、同一であるがゆえに直接には出会えない──その矛盾を彼は自覚と呼んだ。 華厳仏教が説く因陀羅網もまた、無数の宝珠が互いを映し合い、一つの珠の中に全宇宙が映り込むという世界像を描いている。 ライプニッツのモナドも、窓を持たないまま、内側に宇宙の全体を畳み込んでいるとされた。 洋の東西を問わず、優れた知性たちは同じ場所に別々の道から辿り着いていたのかもしれない。 私と世界は、向かい合う二つの実体ではなく、ひとつの運動が二つの名前を持っているだけなのだ と。 --- 私は宇宙そのものであり、同時に宇宙にとってはまだ聞き終えていない反響でもある。世界は私を映す鏡であり、同時に、私がかつて放った声がまだ谷を渡っている途中の、山びこでもある。 宇宙は私を通して自分を見ているのではなく──おそらく、まだ自分を聞き終えていない。私という一点から放たれた谺は、今もどこかの谷にぶつかり続けていて、還ってくるたびに、少しずつ形を変えながら、宇宙にお前はこういうものだったのか と教えている。 私が世界を見ているのではない。世界が、私を通して、まだ鳴り終わらない自分自身の声を、聞いている途中なのだ。 鳳条 暦 ?

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  • 07/12 21:29

    短話

    ちょっと寂しい。 それぐらいの人間関係を続けられるのが大切っていってましたよね。 そもそも私たちって自分がすごく寂しいんだってことも分かってないんだろうね。 読み始めます?? 鳳条 暦

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  • 07/12 09:00

    短話:蜜

    どんなにつまらない本でも必ず何か言いたいことがあり、何かしらの真実がある。 一見つまらないものの中にも、誰かが伝えたかった芯がある 本は人の人生が詰まっている。それはきっと蜜の味。 その全部が、その人が生きた証で。 つまらない本にさえ、どこかに一滴くらいは、その人だけの蜜が残っている。 そう思うと、本を読むことってすごく贅沢だね。 人生を一冊分、こっそり味見する。 鳳条 暦

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  • 07/11 16:20

    短話とお知らせ

    先にお知らせです? 普段は出勤しない日曜日に1枠ですが、出勤することにしました? ? 19(日) 11-13 ? たまたまですが、お時間が合えば嬉しいです?? ? ? キルアは「ゴン お前にあえて 本当によかった」と思ってるけど ? イカルゴは似た感情をキルアに抱いていて、 ? でもゴンもキルアもすごく特別な何かを相手にしてあげたつもりはないだろう。 ? その人の当たり前に救われる誰かがいて、 その誰かもまた別の誰かの光になってるっていうのがね、 素敵だなって思うんです?? ? 鳳条 暦

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  • 07/11 09:30

    大切な何かが壊れた夜

    台風様が人生で初めて良い仕事をしてくれた気がします。 でも貴方様曰く、今日会うことは地球が始まる前から、この宇宙ができる瞬間から決まっていたと なんとまあロマンチック?私はこういう考えができるところ大好きです。 きっと次ももう貴方様の中でも決まっている出来事なんでしょうか? 貴方の1ページに私の名前が残りますように。 ----- 雨の日の1日中夜のような雰囲気が好きです。 雨の日、世界は一日中夜になる。 夜という時間の本質は、誰にも見られていないという感覚にある。昼の間、わたしたちは社会という舞台の上で、期待された役を演じている。生産的であるべき自分、機能しているべき自分。その視線から逃れられるのが夜だ。誰も見ていない。だから、素のままでいい。 雨はその夜的な許可を、昼の領域にまで持ち込んでくる。空が閉じ、光が沈み、外に出る理由が消える。世界そのものが縮小し、静かになる。 そしてそこにひとつの言い訳が生まれる??今日は雨だから 怠惰ではない。それは、罪悪感という裁きの声から自分を守るためのひとつの技術。怠けている自分を、自分自身の性質のせいにせず、外側にある雨という現象のせいにする。これは弱さではなく、生き延びるための知恵に近い。天候を盾にすることで、わたしたちは自己嫌悪の刃から、そっと身をかわす。 夜にこそ本領を発揮できる人間にとって、雨の日は特別な意味を持つ。 それは普段なら夜まで待たなければ現れない本来の自分が、日中から堂々と存在を許される日だ。怠惰の免罪符であると同時に、ずっと隠れていた素の自分が、昼の光の下でも生きていられる、一種の解放の日。 鳳条 暦

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  • 07/10 13:43

    短話:?

    数学を頑張ってたら数学脳になってくるし、 短歌に触れてたら短歌脳になってくるので、 嫌なことを考えたり自分はダメだと思わずに、 楽しいことや好きなことに触れ続けて幸せ脳になった方がいい 鳳条 暦

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  • 07/10 09:15

    短話

    どうか、神様。 いや、神様なんかにお願いするのはやめよう。 どうかどうか、私。これから先の人生、 他人を愛しすぎないように。 愛しすぎて、相手も自分もがんじがらめにしないように 鳳条 暦

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  • 07/09 09:06

    短話

    本を開いてるときだけは、 心配事を閉じられるからね ? 本を開いたら 穏やかにいれるかな ? いただいた本まだ半分です? ? 鳳条 暦

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  • 07/08 09:15

    短話

    色んな人が「良い」と言ってても自分には刺さらない、 自分には新しさがない、美しいと感じない、 みたいな感覚をとても大事にしてる そんな自分も大切にする 鳳条 暦

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  • 07/07 09:30

    短話:脳裏

    ?命は勝手に始まって、勝手に終わるもの。だから好きにやればいい。 ? 人も、言葉も、景色も。愛せるものは、できるだけ愛していたい。一つも取りこぼしたくない。 ? もし天国がないなら、この世界が最後の居場所だ。この世界ごと愛して、誰かの手を握ったまま、静かに息を止めたい。 ? 一人に一つ与えられてしまった命だから。 ? その温度を知ったまま、この人生を終えたい 鳳条 暦

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  • 07/06 17:30

    大罪の魔女

    満たされなかった願いは やがて祈りではなく呪いになった。 誰かに愛されたかった。 誰かに認められたかった。 誰かの輝きが、どうしても憎かった。 その小さな願いは最初から罪だったわけではない。叶わないまま胸の奥に沈み続けた願いは、いつしか黒く濁り、形を持ち、彼女たちのもとへ聖遺物として現れた。 それは救いではなかった。 彼女たちにとっては確かに祝福だった。 傲慢は、自分を見下した世界に跪くことをやめた者の王冠。 色欲は、愛されなかった身体が愛を支配しようとした果ての香り。 強欲は、奪われ続けた者がもう二度と失わないために伸ばした手。 彼女たちは恐ろしくも美しい。 その罪の奥にはかつて確かに傷ついた少女がいるから。 怪物になったのではない。 禁忌の祝福を受けた彼女たちはもう誰にも救われない。もう誰にも壊されない。 黒い聖遺物とは、救済されなかった願いの成れの果て。 彼女たちの美しさは清らかさではなくて、壊れたものが最後に放つ光 鳳条 暦

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  • 07/05 18:02

    短話:その日その日に、必ず1人天使がいる

    きっとそれはコンビニの店員であったり、タクシーの運転手だったり、道ですれ違うような人であったり、画面の中のアイドルだったり、もう二度と会えない誰かだったりするのだろうけど、 そうやって生き繋がせてもらった一日があったこと、忘れたくないなと思う 天使はいる 鳳条 暦

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  • 07/05 12:32

    この時代の夜明け

    間に合った?間に合ってない?笑 いいえ、結果オーライです??間に合ってます?? いつの間にか貴方様の誕生日?ケーキは1人で食べるよりもほんのり甘く感じたんです?? これからなんて曖昧な未来よりも貴方と過ごす今度が今は楽しみなんです。 ----- 幸せって悲しいの? 宮沢賢治は暗闇の中で、夜と死の世界で、一生懸命に幸せを描こうとして泣いている。そんな気がした。 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない 幸せとは明るいものだけなのだろうか。 宮沢賢治の描く幸福には、どこか悲しみが滲んでいる気がする。 それは満たされた人が穏やかに微笑む幸福ではなく、暗闇の中で夜と死の気配に包まれながら、 それでも誰かの幸いを願おうとする幸福 銀河鉄道の夜 の世界は美しい。 けれどその美しさはただ綺麗なだけではない。星は遠く、夜は深く、汽車はどこか死の国へ向かっているようでもある。 その中でジョバンニたちはほんとうの幸いとは何かを探している。 その答えは簡単には出てこない。 誰かのために生きること。誰かを救うこと。自分を差し出すこと。 それらは美しいけれど、同時にとても悲しい。 だから幸福を描こうとして泣いているように感じる。 幸せを信じたいのに世界にはあまりにも悲しみが多い。 誰かの幸福のそばには誰かの孤独がある。 誰かの救いのそばには、誰かの犠牲がある。 そのことを知ってしまった人にとって、 幸福はただ明るい言葉ではなくなる。 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない 自分だけ幸せになることを責めているのではないと思う。 自分の幸せは自分ひとりの中だけで完結しないということなのだ 自分が笑っていても、大切な人が泣いていたら、その笑顔は完全なものではなくなる。 人は自分ひとりで幸せになることができない。私たちの心は誰かとつながってしまっているからだ。 それはきっと誰かの悲しみを自分には関係ない と切り捨てない世界のことだ。 誰かの痛みに気づいたとき、ほんの少しでも手を伸ばそうとする世界のことだ。 完全な救済ではなくても見捨てないこと。 その小さな祈りの集まりが、世界ぜんたいの幸福に近いのかもしれない。 銀河鉄道の夜では、ほんとうの幸いとは何かがずっと問われている。 ジョバンニもカムパネルラも、誰かのために自分を差し出すような思いを語るけれど、同時に ほんとうのさいわいは一体何だろう とはっきり分からないまま進んでいく。幸福を断言するのではなく、暗い夜の中で涙をこらえながら探している。? 幸せとは悲しみを知らないことではなく、悲しみを知ってもなお、誰かの幸いを願える心 鳳条 暦

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  • 07/04 17:04

    短話:すごい

    Samantha Frenchによる油絵。 水中でしか体験できない静かで深い内面の時間をキャンバスに精巧に捉えて表現するアメリカの画家。 ? 美術には疎い。言葉にはできないがすごい ? 鳳条 暦

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  • 07/04 09:15

    誰も彼も最初に抱いた気持ちを忘れてしまう

    貴方の好きは重くない。大好きも重くない。 普段なら違和感を感じる場面がスムーズに流れる時間に私の頭にもハテナが浮かぶのです。 貴方の言葉には温かい気持ちが沢山こもっているのに、どうしてか負担に感じない。 いつまで続けるの?なんて聞く貴方に 私は具体的な数字を答えたのだけれど、 貴方が飽きるまでって答えるべきだったのかな?笑 来月は時間無制限でよろです?? ----- 当たり前は、何気なく繰り返される日々の中に静かに隠れている。 朝が来ること。 誰かとおはよう と言葉を交わせること。 帰る場所があること。 食事をして、眠って、また明日を迎えられること。 そういうものはあまりにも自然にそばにあるから、私たちはいつの間にかそれを当たり前 と呼ぶようになる。 けれど本当は、当たり前なんてものはきっとひとつもないのだと思う。 今ある景色も、今そばにいる人も、今の自分でいられる時間も、永遠に同じ形で続くわけではない。 変わらないように見える日々も少しずつ形を変えている。 昨日と同じように見える今日でさえ、本当は二度と戻らない一日で、今ここにあるものは、いつか必ず「思い出」と呼ばれる場所へ移っていく。 忘れてしまう。 そばにあるものほど見えにくくなる。 近くにいる人ほど、いてくれることに慣れてしまう。 続いている日々ほど、これからも続いていくような気がしてしまう。 何気ない会話も、いつもの笑い声も、同じ道を歩く時間も、見慣れた後ろ姿も。 その最中にいるときはそれがどれほど大切なものなのか、なかなか気づけない。 人はきっと、失いそうになって初めて当たり前の尊さを知るのだと思う。 あれは幸せだったのだと。 何でもないと思っていた時間こそ、人生の中でとても大きな幸福の粒だったのだと。 派手な出来事ではなくても、誰かに誇れるような特別な瞬間でなくても、日々の中に何度も何度も繰り返されていたものこそ、本当は自分を支えていたのだと。 幸せはいつも大きな音を立ててやってくるわけではない。 むしろ幸せはとても静かだ。 当たり前の顔をして日常の中に座る 気づかれなくても怒らず、見過ごされてもそこにいて、私たちがふと立ち止まったときにだけ、そっとその存在を知らせてくれる。 「足るを知る」は何かを諦めることでも、欲を持たないことでもないと思う。 もっと上を目指すことも、何かを望むことも、決して悪いことではない。 人は願うから進めるし、足りないと思うから変わっていける。 けれどまだ足りないものばかりを数えていると、すでに与えられているものの光を見落としてしまう。 足るを知るは今あるものをちゃんと見ること 足りないものを追いかける前に、すでに自分の手の中にあるものを丁寧に見つめること。 誰かの優しさ。 自分を待ってくれる場所。 何度も乗り越えてきた過去。 まだ動いてくれる身体。 今日を終えられるだけの心。 そういうものを、当たり前の箱にしまい込まずに、これはありがたいことなのだと、何度でも思い出すこと。 もちろん、普通に生きていたら忘れてしまう。 毎日は忙しくて、心はすぐに不安や不足の方へ引っ張られる。 もっとこうだったら。 あれがあれば。 あの人みたいになれたら。 まだ足りない、まだ届かない、まだ満たされないと、知らないうちに今を置き去りにしてしまう。 人はいつも感謝だけで生きられるほど、きれいにはできていない。 慣れてしまうこともある。 雑に扱ってしまう日もある。 近くにありすぎて、大切さがわからなくなることもある。 でも、ふとした瞬間に思い出せたらいい。 ああ、これは当たり前ではなかったのだと。 今日も無事に帰ってこられたこと。 誰かの声を聞けたこと。 小さく笑えたこと。 痛みや不安を抱えながらでも、なんとか一日を越えられたこと。 その一つひとつが、人生の中で確かに光っているのだと。 今あるものに感謝できる人は、きっと人生を貧しくしない。 幸せとは、いつも手に入れるものではなく、気づき直すものなのかもしれない。 すでにそばにあったもの。 ずっと支えてくれていたもの。 あまりにも自然で、名前をつけることさえ忘れていたもの。 それらをもう一度見つめたとき、当たり前だった日々は、突然かけがえのないものとして輝き出す。 貴方の人生に、これからも足るを知る 心が在りますように。 足りないものを求める強さと、今あるものを愛せる優しさ。 そのどちらも失わずにいられますように。 何気なく過ぎていく日々の中にある美しさを、見失わずにいられますように。 当たり前とは幸せが日常の顔をして そばにいてくれること 鳳条 暦

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  • 07/03 19:23

    短話

    最近食べた中で1番美味しいポテトチップス? 弱点はこの後甘味が欲しくなること? 鳳条 暦

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  • 07/03 09:15

    よく喋る子だね

    ※現時点での予約可能日時は 8(水).9(木)11:00-、13:15-になります。 会える方に届きますように? ----- ? 貴方は優しい。不器用な優しさで、 この場で最も優れた優しさの形です。異論は認めます。 朗らかに肩の力を抜く貴方の隣に入れることが何より嬉しい?? 貴方とベットの上でゴロゴロしていると、家のリビングのような安心感を覚えてしまいました笑 わたしは私自身を大切にしつつ、貴方との時間を大切にできる余裕を身につけなくては… 生き急ぐ私をどうか抱きしめて、引き留めてくださいね ----- 「みんなに優しいって、結局誰にも優しくないよ」 そう言われたことがある。確かに偽善かもしれない。 でもそのときはなんだこいつ と思った。 簡単に言うなよ 人の優しさをそんな一言で裁けるほど、あなたは何を知っているのだろう と。 けれどそう思えたことに少し安心した。 ああ、私はちゃんと腹を立てられる。 聖人なんかじゃない。 誰にでも優しくできるほど、きれいな人間ではない。 そう思えるほど、自分が優しくなくて良かった。 なんて、優しくない理由を探して安心するほど、きっと優しかったのかもしれない。 優しさというものは、思っているよりずっと難しい。 誰かに手を差し伸べることが優しさになるときもあれば、 手を出さないことが、その人を尊重する優しさになるときもある。 本当のことを言うのが優しさになるときもあれば、 黙って隣にいることだけが救いになるときもある。 だから、正しい優しさを述べることは、 同時に、誰かの生き方や誰かがどうにか生き延びてきた術を否定してしまうことにもなるのではないかと思う。 その人は、その人なりの仕方でしか、 人に触れられなかったのかもしれない。 その優しさは不器用で、偏っていて、時には相手を傷つけたかもしれない。 それでも、それがその人にとって精一杯の愛し方だったなら、 他人のものさしだけで それは優しさではない と決めてしまうことは、ものすごく難しい。 誰かがもう優しくなくていいよ と言ってくれたら、 少し楽になれたのだろうか。 肩の荷がおりたような顔をして、 ようやく自分を許せたのだろうか。 嘘つけ。 そういう自分から逃れられない。 荷物を下ろせないんじゃない。 本当はもう、下ろしたくないのだ。 その優しさが重いことも知っている。 時々、自分を削ることも知っている。 勝手に傷ついて、勝手に期待して、 勝手に報われなかった気持ちになってしまうこともある。 それでも、その優しさがなければ、 自分でいられないのだと思う。 ふふ。よく喋る子だ でもね、優しくするって、 誰かのためだけにしているようでいて、 実は自分の生き方を肯定することでもあると思う こういうふうに世界と関わりたい。 こういうふうに人を見ていたい。 まだ冷たくなりきりたくない。 そういう、自分への誓いみたいなものが、 優しさの中には少し混ざっている。 優しさが好きだ。 きれいごとだけじゃないところも、 面倒くさくて、重たくて、時々ひねくれていて、それでも結局、誰かの痛みに気づいてしまうところも。 自分の優しさを好きでいてほしい。 でも、優しさに呪われないで。 優しくできなかった日まで、罪にしなくていい。 誰かを救えなかったことまで、自分の失敗にしなくていい。 優しさを持っていることと、 すべてを背負わなければならないことは違う。 優しさが縛るものになってしまうなら、 それはもう優しさではなく、呪いに近い。 それでも、優しさの中にはエゴもある。 「優しい自分でいたい」 「誰かに必要とされたい」 「傷つける側になりたくない」 そういう気持ちが混ざることもある。 それは悪いことではない。 人間の優しさなんて、たぶん最初から少し濁っている。 完全に純粋な優しさだけで人に触れられる人なんて、きっとどこにもいない。 ただ、そのエゴに対してはちゃんと責任を持てばいい。 優しさのふりをして誰かを縛らないこと。 救いたい気持ちで、相手の自由を奪わないこと。 自分の寂しさを、相手への献身にすり替えないこと。 優しくすることは、素敵なことだと思う。 でも、優しさに気づくこともまた、 同じくらい素敵なことだと思う 誰かが差し出してくれた小さな気遣い。 言葉にしなかった我慢。 見返りを求めずに整えてくれた場。 何でもない顔で、こちらを傷つけないように選んでくれた沈黙。 そういうものに気づける人でありたい。 優しさはする側だけのものではない。 受け取る側にも、見つける側にも、ちゃんと優しさがある。 優しくする人間でありたいと願うだけではなく、優しさに気づく側の人間の、その優しさにもちゃんと気づけるようになりたい。 優しさを背負うだけではなく、 優しさを見つけられる人でいたい。 誰かの優しさを、当たり前にしない人でいたい。 そしてその厄介で愛しい優しさを、 呪いにしないまま、ちゃんと生き方として抱きしめていけたらいい。 鳳条 暦

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  • 07/02 09:30

    とっても涼しい

    施術者として人気が出ると生霊がつく?学校の更衣室で先輩たちが彼女たちの友人について談笑? 幽霊とかダメなんですが、この手の話は大好きです。 生霊は、なぜ人気者に憑くのか 幽霊より怖いものがある。それは今この瞬間も生きている誰かの念だ。 生霊とは、強い感情が肉体を離れて漂うものとされる。嫉妬、執着、羨望??死者の怨念と違うのは、送り主が今日もどこかで笑って生活しているという点だ。 本人に自覚がないケースも多い と言われている。 無意識に放たれた念ほど、きっと質が悪い。 では、なぜ施術者に集まるのか。 施術者という存在は特殊。予約が取れない、あの人だけ贔屓されている、なぜ自分じゃなくて??そういう感情の的になりやすい構造を、職業として持っている。人気が出れば出るほど、見えない矢が増える。 民間伝承的な語りでは、強く意識を向けられた人間の気は乱れ始めるという。原因不明の体調不良、なんとなく重い感覚、妙な疲労感。施術者に多い と噂されるのはそのためだろう。 ここで少し背筋が冷えることを言う。 心理学的に見ても、強い感情を向けられ続けた人間が消耗するのは事実だ。? ただそれを疲れた と片付けるか憑かれた と呼ぶかの違いにすぎない。生霊という概念は、目に見えない人間関係の暴力に、古い時代の人々が付けた名前なのかもしれない。 怖いのは幽霊じゃない。 貴方のことを、名前も知らずに憎んでいる誰かが存在しうる という事実。 今日は上手に眠れるかしら笑 鳳条 暦 ?

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  • 07/01 09:45

    暦は甘やかす攻撃を放った

    今日はいっぱい貴方を撫でたかったんです。 頑張りすぎる貴方の上にも傘をさしたかった。 守りたいと思ったんです。 他愛もない話も面白い愚痴もたくさん話して欲しい?? 肩までお風呂に浸かるんだよ〜といつも甘やかしてくださるから笑 たまには私にも甘やかし役をやらせてくださいね。 来月も楽しみにしています。 ----- 眠れない夜が はじまったら 心が もつれる前ぶれです 眠れない夜が はじまったら 日傘を買って あたまにかざし 日の射すほうに あるきましょう? 眠れない夜はただの不調とか孤独としてではなく、心が次の形に変わろうとしている前ぶれとして見る 眠れない夜は何かが起きている夜 身体は眠ろうとしているのに、心だけがまだ起きていて、昼間は見ないようにしていたもの、気づかないふりをしていたもの、言葉にならなかった違和感が、静かな時間にほどけ始める。 ほどけるというよりもつれる 考えが整理される前にまず絡まる。 不安、期待、後悔、願い、怒り、寂しさ、これから変わりたい気持ち。 一気に出てくるから眠れない夜は苦しい。 だけどその苦しさは、必ずしも悪いものではなくて、心が今の場所に収まりきらなくなっている合図 苦しいからなんとかしてよって私は思う時もあるけど 眠れない自分を責めない優しさがある。 眠れないなんてだめだ ではなく、 心が何かを知らせようとしているんだ と受け止める感じ。 光は救いだけど、同時に眩しすぎるものでもある。明るい方へ行くことは、簡単な前向きさではない。 変化すること、希望を持つこと、現実を見ること、朝を迎えること。 それらはたしかに救いだけど、心が弱っているときには光がね、痛い。 だから日傘をかざす。 全部の光を浴びなくていい。急に元気にならなくていい。眩しすぎる希望から自分を少し守りながら、それでも日の射す方へ歩く。 無理やりのポジティブじゃなくて、 頭を守りながら、心を守りながら、少しずつ歩く。 闇を経験した人は自分を守りながら光へ向かう 鳳条 暦

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  • 06/30 17:02

    短話

    湖の端の方に降り立ちました ? 元々田舎出身ですので、とても落ち着きます。 ? きっと自然は生きているのだからか、周りが静かに感じてもあまり淋しくはないのですよ?? ? 近くの学校では水泳の授業をしている様子。 ? もうそんな季節だったんですね? ? 鳳条 暦

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  • 06/29 09:30

    暗闇を切り裂いて

    夢への第一歩は貴方と?? いつもいつも貴方には1番お世話になってるから、 貴方には一番に全てお伝えしたいのです? 大変なこともあったけど、その間に見つけたこともあります。 あまり心配はかけたくないけど、どうかここにいる間は、貴方に会うために出勤させてくださいね//// ラーメンかな?ラーメンなのかな?京都にはラーメン屋さんが数え方によっては500-700店舗ほどあるそうですよ? ______ 寝れない夜に見る夢は 寝れない夜に見る夢ってそれ自体が言葉としてもすごく意味深。 夢は眠ったあとに勝手に見るものだと思っています。 私は実は寝るのが下手くそなんですよね 日本語として?って感じですが、こちらの日記ではこの表現にさせていただきます? 眠れない夜にも確かに夢みたいなものはある気はしますが、 それは映像としてはっきり見える夢ではなく、考えごとと、記憶と、願いと、不安が混ざったものでしょうか? 眠っているわけではない。 でも完全に起きているとも言い切れない。 現実の部屋にいるのに、心だけがどこか遠くまで歩いてしまうような時間。 寝れない夜は昼間みたいに自分をごまかせない…普段は見ないようにしていた気持ちが、夜の静けさの中で浮かび上がってくる。 問いは眠れない夜は夢みたいに現れる。 寝れない夜に見る夢は、眠って見る夢よりも少しだけ意識に近い。 昼間の思考よりはずっと曖昧で、やわらかくて本音に近い。 起きているのに夢を見ている。 未来の自分を想像している時間なのかもしれないし、過去の自分をもう一度抱きしめ直している時間なのかもしれない。 眠れない夜は私にとっては辛い時間、考えすぎて苦しくなることもある。 でもその夜にしか見えないものもあると信じたい。 昼間の光では強すぎて見えないもの。 誰かの前では言葉にできないもの。夜の中で夢の形を借りて現れる。 眠れない夜、正直なところ身体は休めていない でも心は、静かにどこかへ散歩している。 現実に戻るために、いったん別の景色を見に行っている。 その夢はただの夜更かしではなく、心が変わる前ぶれなのかもしれない。 夜明け前が1番暗いのですよね? 鳳条 暦

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  • 06/28 13:15

    短話

    川の水草?? しっかり雨に降られて、茶蕎麦のように見えます? 今回の台風により、貴方様や皆様に被害が出ていないことを祈ります? 鳳条 暦

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  • 06/28 09:30

    愚痴は現状維持の接着剤

    お友達3人に声をかけられる貴方を初めてお目にかかりましたが笑 慕われて、ほんのり揶揄われる貴方がとても可愛らしく見えました。 大人っぽい顔も少しだけ私の前で見せてくれるようになったからか、大声で笑う貴方が懐かしい。 今後貴方が歩む道がどんなものであったとしても、見守りたいと思うばかりです? 久しぶりのふりふりするタイプのシャーペン? お土産をもらうとディズニーランドに、 なんだか行きたくなるのは気のせいなのかな?笑 ディズニー行くぞー!って意気込んで行ったことはないので、沢山人がいるとわかっていてもいつか行ってみたい?? ----- 変わりゆくことの第一歩は今を把握すること。 変わりたい、これからの自分を整えていきたい。 そう思う時、私たちはつい未来の理想ばかりを見ようとする。 でも本当に変わるためには、まず今の自分を知らなければいけない。 今の自分が何を感じているのか。 そこを見ないままでは、変化はどこか宙に浮いてしまう。 だいすきだった人の最後の記憶に、どんな自分を残したいですか という問いは、まさにそのこととつながっている気がする。 相手の中にどう残りたいかという問いでありながら、本当は 私は私のどんな姿を本物だと思いたいのかを問われているようでもある。 大切な人の最後の記憶に残したい自分。 それは、完璧な自分ではないのかもしれない。 いつも綺麗で強くて、余裕があって間違えない自分ではなくて、その人の前でだけはちゃんと心を持っていた自分。 ちゃんと好きで、不器用でも、誠実であろうとした自分。 その問いに答えるのが難しいのは、そもそも自分というものが本当にわかりにくいからだ。 人に合わせることができると自分がわからなくなる。 相手の空気を読んで、傷つけないように、嫌われないように、その場が壊れないように自分を差し出してしまう。 それは嘘というより防御そして優しさでもある。 だけど、それを続けているうちに、ふと、 誰にも合わせていない私はどこにいるんだろう 本当の自分がわからない。 本当の自分が存在しないのか、本当の自分を守るために、いろんな自分を使い分けてきたということなのかもしれない。 大切な人には一番の自分を見せたい。 最後の記憶にできるだけ美しい自分を焼き付けたい。 その気持ちは祈りのようでもある。 その一番の自分は飾り立てた自分ではない 好きなものを好きと言える自分。 寂しい時に寂しいと言える自分。 自分も含めた大切なものを、ちゃんと大切に扱える自分。 相手に合わせて消えてしまうのではなく、相手を大切にしながら自分の温度も失わない自分。 そんな自分を残したい 変わるということはきっと別人になることとかなりきることではなく、今まで守るために隠してきた自分を少しずつ外へ出していくことなのかもしれない。 完璧ではなくてもいい。 強くなくてもいい。 ちゃんと大切にしようとしたこと。 そんな自分を残したいと思えるなら、 その願いの中にもう本当の自分は少し見えているのかもしれないですね 鳳条 暦 ?

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  • 06/27 09:15

    錦繍

    宮本輝『錦繍』を読んで 強く感じたのは、この小説が単なる別れた夫婦の再会の物語ではないということ 物語は、蔵王のゴンドラの中で、十年前に別れた亜紀と泰明が偶然再会するところから始まる。紅葉に染まる蔵王という舞台は、あまりにも美しく、同時にあまりにも残酷だ。 かつて愛し合い、しかし激烈な出来事によって別れざるをえなかった二人が、十年という歳月を隔てて再び向き合う。 その再会はやり直しの始まりというより、長いあいだ心の奥に沈んでいたものが、ようやく言葉として浮かび上がるきっかけだったのだと思う。 錦繍という題名がとても美しい。錦繍とは、錦と刺繍、つまり色鮮やかで美しい織物を意味し、そこから紅葉や花の美しさの比喩にも使われる言葉だという。けれどこの小説における錦繍は、ただ紅葉の美しさだけを指しているのではないと思う。 そこには、人間の人生そのものが織り込まれている。愛、裏切り、後悔、死、喪失、赦し、そしてそれでも生きていくということ。ひとつひとつは痛ましく、醜くさえ見える出来事も、歳月を経て振り返ると、まるで複雑な刺繍のように、人生の模様を形づくっている。 この小説の大きな魅力は、全編が手紙のやりとりだけで構成されているところにある。現代のメールやメッセージとは違い、手紙には独特の時間が流れている。すぐに返事が来るわけではない。 書いた言葉は相手に届くまでに時間を持つ。相手の返事を待つような待たないような、その空白の中で感情は熟していく。 手紙は自分の言葉を相手に差し出す行為だ。 しかも一度送ってしまえば、送り手の手元には残らない。現代のように送信履歴を何度も読み返すこともできない。 だからこそそこには一発勝負の切実さがある。書きながら人は自分の本心に近づいていく。書く前にはまだ曖昧だった感情が、文章になった瞬間に輪郭を持ち始める。『錦繍』における手紙は単なる情報伝達ではなく、二人がそれぞれの十年をもう一度生き直すための場所だったのだと思う。 亜紀と泰明の手紙には愛情だけでなく、恨み、疑問、怒り、諦め、懐かしさ、見栄、沈黙が入り混じっている。 人間は愛しているからといって綺麗な感情だけを持てるわけではない。むしろ愛していたからこそ傷は深くなる。忘れられなかったからこそ、責めたくもなる。責めたいのに、どこかで赦したい。赦したいのにすべてをなかったことにはできない。その矛盾が手紙という形式によってとても生々しく浮かび上がっていた。 泰明という男については、正直、不快に感じる部分も多かった。不倫や生活のだらしなさ、「自分と関わる女は不幸になる」というような言葉には、自分に酔っているような甘さも感じる。男は女性に弱い、というより自分の弱さを女性の存在に預けてしまうところがあるのかもしれない。わかっているのにやめられない。その情けなさが、泰明という人物の魅力であり、同時に読者を苛立たせる部分でもある。 けれどこの小説は泰明を単純に断罪する物語ではない。 人間は間違える。取り返しのつかないことをする。自分でも理解しきれない衝動に流される。そしてその後悔を抱えたまま、それでも生きていかなければならない。泰明の臨死体験や、死の淵を彷徨ったときの感覚は、この物語に死生観の深さを与えている。生きることと死ぬことは完全に別々のものではなく、どこかで地続きなのかもしれない。喫茶店「モーツァルト」の全焼や、モーツァルトの音楽から感じられる生と死の近さもその感覚と重なっている。 一方で亜紀は清高という存在によって、泰明は令子という存在によって、それぞれ生の側へ引き戻されていく。誰かを救うというより、誰かに引っ張られて生きていく。 そこがとても人間らしい。人は自分ひとりの意志だけで立ち直れるわけではない。けれど誰かの存在があることで、どうにか今日を生きることができる。清高や令子は、単なる脇役ではなく、二人が過去に閉じ込められたままにならないための現実そのものだったのだと思う。 巻末解説では『錦繍』はいわゆるハッピーエンドではないとされているようだけれど、私はこの物語を深い意味でのハッピーエンドとして受け取った。もちろん、二人が再び結ばれるわけではない。失われた時間が戻るわけでもない。過去の悲劇が消えるわけでもない。けれど、ハッピーエンドとは、必ずしも二人が一緒に生きることだけではないのだと思う。 本当に深い愛は、所有や復縁だけでは測れない。二人は一時もお互いを忘れていなかった。それでも、再び同じ道を歩むのではなく、それぞれの場所で生きていくことを選ぶ。 そこには諦めがある。しかしその諦めは冷たいものではない。むしろ天の摂理に逆らわず、相手の存在を心の中に残したまま、別々の人生を受け入れるという、静かな成熟がある。 錦繍は愛が成就する物語ではなく、愛が形を変える物語なのだと思う。激しい恋愛感情や執着が、十年という歳月と手紙のやりとりを経て、少しずつ別のものへ昇華していく。 若い頃の愛は相手を求めるものだったかもしれない。けれど最後に残る愛は、相手がどこかで生きていることを受け入れる祈りのようなものだった。 だからこそ最後に残る読後感は暗さだけではない。悲しいのに、どこか温かい。取り返しのつかないものがあるのに、それでも人生は続いていく。 人は不器用で失敗も後悔も繰り返す。大切な人を傷つけ、自分も傷つき、過去を美化したり、言い訳をしたりしながら、それでも今日を生きている。 『錦繍』という題名は、そのような人生の複雑さそのものを表しているのだと思う。紅葉は、枯れていく過程で最も美しく色づく。終わりに向かうものが、同時にもっとも鮮やかになる。その美しさは、若葉のような無垢な美しさではない。痛みや別れや時間を含んだ美しさだ。 亜紀と泰明の人生もまた、幸福だけで織られたものではない。むしろ、後悔や悲劇や罪の意識が深く織り込まれている。けれど、そのすべてがあったからこそ、最後に二人の関係は、ただの恋愛を超えたものになったのではないかと思う。 この小説を読んで、本はいいな、と改めて感じた。すぐに答えが出るものではなく、何度も読み返し、時間を置き、手紙と手紙のあいだにある沈黙まで味わうことで、少しずつ深くなっていく。『錦繍』は、読み終えた瞬間に終わる小説ではない。読んだ後も、自分の中で静かに色づき続ける小説だった。 この作品をただ悲恋として終わらせていない。 たぶん『錦繍』の幸福は、もう一度一緒になる幸福ではなく、もう一度ちゃんと別れることができた幸福なんだと思う。 十年前の別れは、事件に押し流された別れだった。納得も整理もなく、傷のまま残った別れ。でも手紙によって、二人はようやく自分の言葉で過去に触れることができた。だから最後にあるのは復縁ではなく、成仏に近いものかもしれない。 そして「錦繍」という題名が本当に効いている。 紅葉は、命が終わりに近づくときに美しくなる。そこには、生と死が分かれていない感じがある。若々しい希望ではなく、失われたものを抱えたまま色づく美しさ。亜紀と泰明の関係も、もう未来へ向かって燃える恋ではないけれど、過去の痛みを含んだからこそ、深い色を持つ。 綺麗な文章に飲まれるだけじゃなくて、ちゃんと人物への違和感があるのがいい。泰明は魅力的というより、情けなさも含めて“人間”なんだと思う。美しい死生観を語れる人間が、必ずしも生活者として誠実とは限らない。そのズレが、この小説の生々しさでもある。 愛し合った二人が再び結ばれる物語ではなく、結ばれなかったことまで含めて、人生を美しい織物として見つめ直す物語である。人は失敗し、後悔し、誰かを傷つけ、それでも生きていく。その痛みが時間の中で色づいたとき、別れさえもひとつの愛の形になる。 素敵な本をお勧めしてくださってありがとう? あのタイミングでお会いできて、話が伺えてよかった… 無理をしないは私たちにとっては本当に難しいですね? でも読書は良い息抜きになったと思っています? 鳳条 暦 ?

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  • 06/26 09:30

    クルビット

    時計で測れる時間だけを生きているのではなく心の内側で流れ続ける生きた時間を生きている 心の内側を流れる時間は、単に思考している時間だけではないと思う。 広義であれば、記憶、感情、予感、後悔、願い、痛み、夢、愛着、喪失感が混ざり合って流れている時間。 外側の時間が何時何分、何日、何年 と進んでいくものだとしたら、内側の時間は、 その人が何を感じ、何を抱え、何をまだ終わらせられずにいるかによって伸び縮みする時間 なのだと思う。 同じ時間でも、心の中ではまったく違う重さを持つ。 私たちは物理的な時間の中にいるようで、実際には意味の濃度によって変化する時間を生きている。 心の内側を流れる時間は、思考の時間でもあるけれど、おそらく思考だけでは足りていない。 思考よりもっと前にある、 感じてしまうような、忘れられない時間 まだ癒えていない、何度も心の中で再生される時間に近い。 誰かに言われた一言が、何年経っても心の中で響き続けることがある。 外側の時間では過去なのに、内側ではまだ現在として生きている。 傷ついた記憶も、憧れも後悔もそう。 時計の上では終わった出来事なのに、心の中ではまだ終わらない。 私たちの内側には、過去がただ保管されているのではなく、今も動いている過去がある。 フランスの哲学者ベルクソンは、時計で区切られる時間とは別に持続 という考え方を語る。 これは、時間を一秒、一分、一時間のように切り刻むのではなく、心の中で途切れずに流れているものとして捉える考え方。 音楽は一音一音をバラバラに聞いているわけではなく、前の音の余韻が次の音に重なり、全体としてひとつの流れになる。 私たちの心の時間もきっとそれに似ている。 今の自分は今この瞬間だけでできているわけではない。 幼い頃の記憶、昨日の疲れ、誰かへの思い、未来への不安、まだ言葉にできない願いが全部うっすら混ざって今 を作っている。 今とは本当は一点ではない。 過去の余韻と未来への予感を含んだ、厚みのある現在。 時計で測れる時間は誰にとっても同じように進む。でも心の時間は人によってまったく違う。 傷ついた人の時間は何度も過去へ戻り、希望を持つ人の時間は未来へ伸びていく。 内側の時間は時計の時間より長い のかというと、少し違う。長い場合もあるし短く感じる場合もある。 けれど確かなのは時計の時間よりも深いこと。 一瞬なのに人生を変える時間があれば、十年経っても何も変わらない時間もある。 逆にたった一言で、自分の中の何年分もの孤独がほどけることもある。 心の時間は量ではなく密度。 人間を年齢や経過時間だけで見てはいけない。 外側から見れば何もしていない時間でも、内側では何かが熟していることがある。 悩んで、迷っている時間。何度も同じことを考えて、それでも答えが出ない時間。 一見、停滞に見える。しかし心の深いところで何かを消化し育てている時間なのかもしれない。 出来事が心の中で意味へと変わっていく時間。 時計は時間の長さを測る。けれど心は時間の重さを覚えてくれているのだろう。 ヨーソロー 鳳条 暦

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  • 06/25 09:30

    繰り返す

    現在の市場は、イラン戦争によって生じた戦争プレミアムの巻き戻し局面に入っているように見える。 戦争中、市場ではドルと原油が買われやすかった。原油は供給不安、特にホルムズ海峡をめぐるリスクによって押し上げられ、ドルは地政学リスクが高まる局面で安全資産として選好された。その一方で、多くのリスク資産は、原油高によるインフレ懸念、金利高止まりへの警戒、世界経済への不安を背景に重くなっていた。 ただし株式だけは、やや特殊な動きをしていた。戦争の悪影響がなかったわけではないが、AI、テック、大型株、企業業績、流動性といった戦争とは別の強い支援材料が存在し、その悪影響をかなりの部分で相殺していた。だから株式市場全体は崩れず、むしろ一部の強い銘柄は戦争下でも買われ続けた。 和平合意、あるいは停戦延長への期待が出たことで、最も素直に起きているのはこの関係性の反転である。 これまで戦争によって割高に押し上げられていた原油とドルから、少しずつプレミアムが剥がれ始めている。 原油は供給不安の後退によって下がり、ドルも安全資産需要の後退によって上値が重くなる。一方で、これまで戦争リスクによって抑えられていたリスク資産には買い戻しの余地が生まれる。 株式の中でもその動きは二層に分かれる。すでにAIやテック、大型成長株のように強い支援材料を持っていた銘柄は、和平によってさらに買われるというより、もともとの強さを維持する。一方で、戦争リスク、原油高、金利高、景気不安によって抑えられていた小型株、中型株、景気敏感株、消費関連株、金融株などには、キャッチアップの余地が生まれやすい。 つまり和平合意の市場への影響は、単純な株高・原油安・ドル安ではなく、より正確には戦争によって歪められていた価格関係の修正である。 ただし、この巻き戻しはまだ完成していない。ホルムズ海峡の管理や通航条件、イランの原油輸出再開、地域紛争の再燃、そして和平交渉そのものの持続性によって、原油とドルには再び上振れ余地が残っている。市場はすでに和平を織り込み始めているが、完全な平和を織り込んでいるわけではない。 だから現在の相場を一言で言えば、戦争プレミアムの解消を織り込み始めたが、まだ和平の確度を試している局面 大きな構図としては、 これまでのドル・原油 vs その他リスク資産 という対立がほどけ始めている。けれどそのほどけ方は一様ではない。最初に動くのは原油とドルの割高さの修正であり、次に起きるのは、株式市場内部での物色の広がりである。強かった株が崩れるというより、強くなれなかった株がようやく息を吹き返す。 その意味で、今の市場は単なるリスクオンではなく、戦争によって歪んでいた資金の流れが、少しずつ本来の場所へ戻ろうとしている局面なのだと思う。 鳳条 暦

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  • 06/24 09:45

    考えるを考える

    私先走りました。 月初に1度キャンセルがあったのにまた会いに来てくれたから。 貴方のことをたくさん知りたくて、わたしのことも知って欲しくて… そんなことをしていたら全然時間が足りなくなってしまいました… 穏やかな貴方の雰囲気に飲まれ、ソファやベットに私の身体は沈み込んでしまったのです また会えたら今度は私ももっと強く手を引きます? ----- 思考の技術 思考の技術を具体的な操作として分解する 思考すること自体の存在論的な性質。なぜ思考は思考自身を完全には捉えられないのか  実はこの二つ、別々の問題というより後者が前者を作っている という構造になっているような気がします。 操作として思考を分解すると、いくつかの層が見えてくる。 一番下の層は保持、つまり思考の対象を意識の中に留めておく力。 次が分節、漠然とした感覚や直感を言葉や概念の単位に切り分ける作業。 その上に比較・対置、があって、ある対象を別の対象や過去の自分の考えと並べて差異を見る。 さらに上に再帰、つまり自分が今考えたことをもう一度対象として捉え直す層がある。 そして最後に統合、これらの断片を一つの構造や物語に組み直す層。 技術として鍛えられるのはほぼこの全部で、 書くこと自体がこの操作を外部化する装置だとも言える気がします? 書き続けてきた日記たちは、再帰と統合を板状で繰り返すことだったのかも ここで存在論的な問題が顔を出す。 再帰の層、考えたことを考え直す行為は、無限に遡ることができない。 今この瞬間に考えている私を捉えようとすると、捉えた瞬間にそれはもう捉えられた対象になっていて、 捉えている主体自身は常に一歩後ろに退いている。 サルトルがこれを対自と対他の分裂として論じたのもこの構造、 場所という概念で、主体と客体が分かれる前の経験の地平を持ち出したのも、まさにこの遡りの果てに何があるかという問いへの応答だったのでは。 思考は自分の根を完全に照らすことができない。照らそうとするライトそのものが影を作ってしまうから。 技術としての思考操作――保持、分節、比較、再帰、統合――は、実はこの自分の根を照らせないという限界を補うための装置だったとも言える。 書くことで再帰を外部に固定し、過去の自分の言葉を対象として置き直すことで、 本来内側からは見えない自分の思考の形を外側から間接的に掴み直す。技術は限界の代替であって、限界を超える手段ではない。 観察者は観察されない は、思考の技術論そのものの核心を突いている。 観察者であることそのものが、思考が自分自身を完全には捕まえられないという存在論的事実の、人間関係における現れ方だったのかもしれません。 鳳条 暦

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  • 06/23 16:31

    今月

    6月の残りの空き枠についてのお知らせです? ? 26(土) 13:15- ? 30(火) 11:00-.13:15- ? 30は明日予約開始ですが、先のお知らせとなってしまいました?今月もあと少しですが、よろしくお願いします??♀? ? ? 余裕を持ったペースとはとても作りづらいですね。 一人暮らしもちょうど良い量の料理を作るのは難しいし、 外食で食べすぎてしまうのも それ、なんでしょうね。 適当 が理解できて適当で生きていけることを私の中では世渡り上手だと思っています? 人生にも事故防止のブレーキが欲しい。 脳にはリミッターが付いているはずなのにブレーキを踏むことは難しい。 おばさまたちは笑う。 ぶたのみみに念仏? 馬や? (わはは??) これくらいの力感を羨ましいと感じます? ? 以上。また日記で書きます。 ? 鳳条 暦 ?

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  • 06/22 09:45

    レーザービーム

    事前の約束に間に合ってよかった? 手紙が間に合わなかったのが残念で、今度は渡せるように私はドキドキしながら待ちます。 毎回少しずつ、成長した姿を見せたい。 貴方の心が醒める前に。 ----- 最近は本屋カフェ見たいな場所がお気に入りです? 1日居たいなと思うのですが、落ち着きすぎて眠たくなる時があります。 こんな女性でいたいが詰まった本たちです。 ----- ──私は彼に墜落した。そして今も炎上している。 宗教的な愛は毒でしかない。それでも落ちて堕ちて。 綺麗で、憧れて、近づくけれど、近づきすぎると焼かれて身を滅ぼす。星は呑み込んだことさえ無自覚。(星へ落ちる|金原ひとみ) かなり崇高に近い感覚だと思って、参照。 ただの好きではなくて、 遠すぎるもの、大きすぎるものに触れてしまったときの、憧れと恐怖が同時に来る。 もう少し危険なものになっている。 星、神、火、信仰、重力、毒。 近づけば照らされるけれど、近づきすぎると焼かれる。 悪意を持って壊しているわけではない。 無自覚であることがいちばん残酷なのかもしれない。 意図的な支配ならまだ怒れる。裏切りなら憎める。存在しているだけで、自分の内側が燃えてしまう。 だから炎は外ではなく、自分の中で燃え続ける。 星は近づく者を選ばない。ただ輝いているだけ。 でもその光に救われる人もいれば、目を焼かれる人もいる。 その重力に美しさを見る人もいれば、軌道を失って墜ちていく人もいる。 人を神聖化してしまうと、相手は人間ではなくなる。欠点も、沈黙も、気まぐれも、冷たさも、すべて意味に見えてしまう。 返事がないことすら啓示のように感じてしまう。 優しさは救済に見え、距離は試練に見え、傷つけられることさえ殉教。 宗教的な愛は、相手を愛しているようで、実は相手を通して見ている絶対的な何かに取り憑かれていることがある。 それらが混ざって、ひとつの祭壇になる。 この退屈な世界の外へ連れ出されたい。 自分の存在に、決定的な意味を与えてほしい。 願いに触れる相手は危険なほど魅力的になる。 これは失われた神話の入口。 鳳条 暦

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  • 06/21 09:30

    ケーキ屋さんの焼き菓子が好きです

    プルーストのマドレーヌとは、フランスの作家マルセル・プルーストの小説 失われた時を求めて に出てくる有名な場面のこと。 主人公が、紅茶に浸したマドレーヌを口にした瞬間、その味と香りによって、幼い頃の記憶が一気によみがえる。 頭で思い出そうとした記憶ではなく、身体が勝手に連れてきてしまう記憶の象徴だと思いました。 ある匂いを嗅いだ瞬間に昔の部屋を思い出す。 夏の夕方の湿った空気で、子どもの頃の帰り道が戻ってくる。誰かの声の温度で、もう会えない人の気配が蘇る。 理屈ではなく感覚に保存されていた記憶。 単に懐かしいものではなくて、忘れていたはずの自分が、味や匂いや触感によって、突然今の自分の中に帰ってくることに近い。 記憶は頭の中だけにあるのではなく、 舌にも、皮膚にも、鼻にも、季節にも、場所にも眠っているのでしょうね。 そしてある日、何気ない一口が、時間の底に沈んでいた自分を引き上げてしまう。 過去を思い出す話というより、過去に触れられてしまう話 私にとっては少々残酷に感じるのです。 鳳条 暦 ?

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  • 06/20 09:00

    貴方は星

    似合う女性に近づいてますか? 全てを肯定してくれる貴方の前でだけでも、私は輝けるでしょうか? 私も貴方の星でありたい。 ----- 崇高としての女性美 カントの崇高 カントは美と崇高を明確に区別した。 美しいもの??心地よい、調和している、近づきたい。崇高なもの??圧倒される、理解を超えている、でも目が離せない。 嵐の海を見る人間は恐怖を感じながら、それでも見続けてしまう。 ここに崇高の本質があるのではないでしょうか。 感覚が逃げろ と言い、でも何かもっと深いところが見ていろ と命じる。 この矛盾した引力こそが崇高。 なぜ美しい女性は崇高になりえるのか 美人を見て綺麗だな と感じる??これは美の体験です。でもファム・ファタールたちを見るとき、人間はそれ以上の何かを感じます。 それは自分の小ささの自覚 カルメンの前に立つホセは、自分の意志が、倫理が、理性が、何ひとつ機能しないことを思い知らされる。 これはまさに崇高の構造 嵐の前に立つ人間が自然の巨大さの前に己の矮小さを知るように??ファム・ファタールの前に立つ男は自分という存在の限界を知らされる。 そしてここが逆説的に美しい。限界を知らされるその瞬間に、人間はかえって生きている実感を得るからです。 崇高には二種類ある カントは崇高を二つに分けています。 数学的崇高??大きさが理解を超えるもの。満天の星空、大海原。力学的崇高??力が理解を超えるもの。嵐、火山、雷。 ファム・ファタールたちはどちらでしょうか。 リリスは力学的崇高。彼女の意志の強さ、欲望の純粋さ、その圧倒的な自分であること の力??男たちの理性をことごとく無効化する。 東洋、日本には物の哀れという概念がある。 本居宣長が言う??美しいものは必ず滅びる。その滅びゆく美しさの前に胸が締め付けられる感覚こそが物の哀れです。 ここにも崇高と同じ構造 美しいから愛おしい、のではなく。壊れるから、失われるから、届かないから??美しい。 届かないとわかっていた。それでも近づいた。だから美しい。 崇高な存在に近づくことは破滅なのかそれとも完成なのか… 鳳条 暦

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  • 06/19 09:15

    醜い心も愛には必要だわ

    生もみじ?期限までに食べれないものを最近はなんでも冷蔵もしくは冷蔵する癖がつきました? できるだけ早く食べないと…と思いつつも、美味しいものは最後まで取っておきたい気持ちもあるのです? ? ----- ? オペラのファム・ファタール × リリスの魅力 オペラの系譜 カルメン(1875年) 魅力の核心は無関心の美学 ホセが狂おしく愛せば愛すほど、カルメンは冷めていく。これは意地悪ではない??彼女にとって、縛られた愛はもはや愛ではないのです。 愛は自由な鳥 というアリアは有名ですが、本当に怖いのはその続きの意味 捕まえようとした瞬間に、愛は死ぬ。 サロメ(1905年) サロメはカルメンより純粋で、だからより残酷です。 ヨカナーンに拒絶されたサロメは、彼の首を求める??手に入らないなら、せめて所有したい。 拒絶への応答としての破壊は、愛と支配の境界がいかに曖昧かを示している マノン(1884年) マノンは最も人間的なファム・ファタール 贅沢を愛し、真剣に愛した男を捨て、最後は砂漠で死ぬ。 彼女の残酷さは意図していない。ただ自分に正直に生きただけで、男たちが勝手に破滅した。 愛されない美とは何か ファム・ファタールは愛されたい と思っていない。だから愛されてしまう。 愛されたいという欲望が透けて見える人間は、どこか隙があり、どこか哀れで、どこか軽くなる。 でも彼女たちは違う。自分の欲望だけを見つめている。男の視線など、景色の一部に過ぎない。 その見ていない という姿勢が、男たちを狂わせる。 リリス??神話の彼女が体現するもの リリスがエデンを出たのは、アダムへの復讐ではありません。ただ対等でない関係に耐えられなかった。 これはカルメンと同じ構造です。 そして彼女が去った後、アダムには従順なイヴが与えられた??これを神話は解決 として描いていますが、リリスの系譜を受け継ぐ物語たちは問い返す 愛されない美 の哲学的な核心 美学的に言うなら、これはカントの崇高に近いもの。 美しいものは近づきたいという感情を呼ぶ。でも崇高なものは近づきたい、でも恐ろしい という矛盾した感情を同時に呼ぶ。 嵐の海、断崖絶壁??そしてリリスたちのような女性。 彼女たちの魅力は美ではなく崇高なのかもしれない。だから近づいた男は骨になる。それでもまた次の男が近づいてくる。 崇高なものの前では、人間は理性より先に足が動いてしまうから。 崇高としての女性の美とは一体どのようなものなのでしょうか。 鳳条 暦

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  • 06/18 16:30

    へそ天ねこ

    あなたに会いたくて今日まで頑張ったんです。 元気に見えたなら、今度会う時はもっともっと褒めてください? 頼もしい貴方にもっと頼りたい。行動できなくて足踏みする私の手を優しい引いてほしい。 貴方を虜にできる私になりたいから、今日はまだ貴方をチラチラ眺めるのです。 ----- 女性は強さではなく、弱さを楽しまなくては。 弱くなれ、という意味ではないと思うけれど 強くあることに慣れすぎた人は別の強さの存在を認識しても良いのかもしれません。 強さを隠す というのは能力を下げることでも、自分を小さく見せることでもない。 私は一人でできます!大丈夫です!迷惑をかけません??♀? といつも先に鎧を着てしまう自分を少しだけゆるめること。   本当は頼りたいのに頼った瞬間申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 本当は甘えたいのに甘え方がわからない。 私にとって弱さは可愛げではなく、恐怖に近いものなのかもしれない。 弱さを見せたら、相手に負担をかける気がする。軽く見られてしまう気がする。 人と人が近づく隙間は、完璧さの中には生まれない。少し欠けている人は優しく触れてもらえるのでは。 それは媚びることとは違う。依存することとも違う。 私は私で立っている。でも貴方の手を借りてもいい。 そのくらいの柔らかさ。 たぶん責任感が強い。 誰かに迷惑をかけたくないし、自分のことは自分で処理しなければいけないと思っている。 ずっとそれだけで生きていると、人から差し出された優しさまで現に拒んでしまうことがある。 人に頼るというのは、相手の優しさが入ってこられる場所をつくることなのかもしれない。 甘えるのが上手な人は、自分の弱さを必要以上に恥じていない人なのだと思う。 私にとって 頼るは 世界の終わりみたいに重いのかもしれない 自分の中の小さな扉を開けるようで怖い。 弱さを楽しむという表現がいいのだと感じた。 少し困っている自分、少し甘えたい自分、少し誰かに委ねたい自分を、惨めなものとして扱わないこと。 自分の価値を下げることではなく、人間らしさを取り戻すことに近いのかもしれない。 強さはきっと一人で磨いてきた。 努力すれば、耐えれば、積み重ねれば、ある程度は身につく。 でも弱さは、ひとりでは練習できていなかったのだ。誰かとの関係の中でしか弱くなることはできない。 そういう隙間も空虚も魅力。 もう少し、誰かの優しさを受け取れる自分になりたい。 強いだけではなく、柔らかく在れる自分になりたい。 その感覚はとても自然でとても人間らしいと少し誇らしくも思う。 しかしまぁへそ天できる猫さまの例え話に尽きます。 鳳条 暦

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  • 06/18 09:01

    愛の積もったベットで眠る

    こんなに長い休みで私はとっても不安だったんです? 顔には出さなくても、日記にはダダ漏れのようでしたが、不安で不安でたまらなかったのです。 でも貴方と会えて、少しだけ私の日常が戻った気がしたんです。大袈裟かもしれないですが本当に救われた。 約束絶対ですからね????久しぶりにこんなに笑った気がします! _____ リリスカーペット 体調不良や流行り病、元気になってからすぐに仕事や学校に行ける場合もあれば、○日は休まなくてはいけない…なんてことがあれば、 貴方様は何をしますか? 私はアニメも見てたんですよ?? 今回は、まいりました入間くん というアニメでリリスカーペットというワードが出ましたのでそちらについて? リリスカーペットは是非アニメで見てほしいところです? 日記では麗しい女性像として描かれるリリスにはどんな女性がモデルだったのか考察してみようと思います?? リリスというキャラクターの魅力の核心 選ばせる女 という特異性 ファム・ファタールの多くは男を破滅させる存在ですが、彼女たちの魅力の本質は支配 ではなく選択の強制にある。 カルメンがホセに言う?? 「私を愛するか、諦めるか。どちらかを選べ」 サロメも、マノンも、リリスも同じ構造 彼女たちは誘惑していない。ただそこに存在するだけで、男が勝手に選択を迫られる。 これが運命の女の本質的な魅力です。 オペラのファム・ファタール系譜 カルメン(ビゼー) 自由を愛し、縛られることを死より嫌う。魅力は「自分が一番好き」という揺るぎない自己肯定。 サロメ(R.シュトラウス) 欲しいものを手に入れるためなら何でもする純粋さ。残酷さと純粋さが同居している チョウチョウ(蝶々夫人) 一途に愛した結果破滅する女。リリスとは対極だが愛の純粋さという点で繋がる。 現代的な「美しい女の残酷さ」の系譜 クレオパトラ: 知性と美貌で二人の英雄(カエサル・アントニウス)を動かした。骨のカーペットのような「歴史を踏みしめる女」 マルキーズ・ド・メルトゥイユ(危険な関係):知性で男を操る。感情ではなく「論理」で破滅させる 源氏物語の六条御息所:愛が深すぎて「生霊」になる。執念と美の融合 リリスの魅力の本質をひとことで言うなら 愛されることを求めない美しさ 彼女は骨のカーペットを歩く。でもその骨の持ち主たちは、自ら進んで骨になることを選んだ。 これがファム・ファタールの永遠のテーマです??破滅するとわかっていても、近づかずにはいられない美。 ちょっとこれここからが長くなりそうなので明日書くことにします笑 彼女たちの存在は 穏やかな日常に波紋を投げかけるのでしょう 鳳条 暦

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