フォーナイン

鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

T164 B83(E) W55 H82

 

11:00 ~ 15:00

  • ソープ求人
  • 男子求人

オゴトガイド見たとお電話ください!

電話 050-5448-9022

営業時間 11:00-24:00

錦繍

06/27 09:15

錦繍

宮本輝『錦繍』を読んで
強く感じたのは、この小説が単なる別れた夫婦の再会の物語ではないということ

物語は、蔵王のゴンドラの中で、十年前に別れた亜紀と泰明が偶然再会するところから始まる。紅葉に染まる蔵王という舞台は、あまりにも美しく、同時にあまりにも残酷だ。
かつて愛し合い、しかし激烈な出来事によって別れざるをえなかった二人が、十年という歳月を隔てて再び向き合う。
その再会はやり直しの始まりというより、長いあいだ心の奥に沈んでいたものが、ようやく言葉として浮かび上がるきっかけだったのだと思う。

錦繍という題名がとても美しい。錦繍とは、錦と刺繍、つまり色鮮やかで美しい織物を意味し、そこから紅葉や花の美しさの比喩にも使われる言葉だという。けれどこの小説における錦繍は、ただ紅葉の美しさだけを指しているのではないと思う。
そこには、人間の人生そのものが織り込まれている。愛、裏切り、後悔、死、喪失、赦し、そしてそれでも生きていくということ。ひとつひとつは痛ましく、醜くさえ見える出来事も、歳月を経て振り返ると、まるで複雑な刺繍のように、人生の模様を形づくっている。

この小説の大きな魅力は、全編が手紙のやりとりだけで構成されているところにある。現代のメールやメッセージとは違い、手紙には独特の時間が流れている。すぐに返事が来るわけではない。
書いた言葉は相手に届くまでに時間を持つ。相手の返事を待つような待たないような、その空白の中で感情は熟していく。

手紙は自分の言葉を相手に差し出す行為だ。
しかも一度送ってしまえば、送り手の手元には残らない。現代のように送信履歴を何度も読み返すこともできない。
だからこそそこには一発勝負の切実さがある。書きながら人は自分の本心に近づいていく。書く前にはまだ曖昧だった感情が、文章になった瞬間に輪郭を持ち始める。『錦繍』における手紙は単なる情報伝達ではなく、二人がそれぞれの十年をもう一度生き直すための場所だったのだと思う。

亜紀と泰明の手紙には愛情だけでなく、恨み、疑問、怒り、諦め、懐かしさ、見栄、沈黙が入り混じっている。
人間は愛しているからといって綺麗な感情だけを持てるわけではない。むしろ愛していたからこそ傷は深くなる。忘れられなかったからこそ、責めたくもなる。責めたいのに、どこかで赦したい。赦したいのにすべてをなかったことにはできない。その矛盾が手紙という形式によってとても生々しく浮かび上がっていた。

泰明という男については、正直、不快に感じる部分も多かった。不倫や生活のだらしなさ、「自分と関わる女は不幸になる」というような言葉には、自分に酔っているような甘さも感じる。男は女性に弱い、というより自分の弱さを女性の存在に預けてしまうところがあるのかもしれない。わかっているのにやめられない。その情けなさが、泰明という人物の魅力であり、同時に読者を苛立たせる部分でもある。

けれどこの小説は泰明を単純に断罪する物語ではない。
人間は間違える。取り返しのつかないことをする。自分でも理解しきれない衝動に流される。そしてその後悔を抱えたまま、それでも生きていかなければならない。泰明の臨死体験や、死の淵を彷徨ったときの感覚は、この物語に死生観の深さを与えている。生きることと死ぬことは完全に別々のものではなく、どこかで地続きなのかもしれない。喫茶店「モーツァルト」の全焼や、モーツァルトの音楽から感じられる生と死の近さもその感覚と重なっている。

一方で亜紀は清高という存在によって、泰明は令子という存在によって、それぞれ生の側へ引き戻されていく。誰かを救うというより、誰かに引っ張られて生きていく。
そこがとても人間らしい。人は自分ひとりの意志だけで立ち直れるわけではない。けれど誰かの存在があることで、どうにか今日を生きることができる。清高や令子は、単なる脇役ではなく、二人が過去に閉じ込められたままにならないための現実そのものだったのだと思う。

巻末解説では『錦繍』はいわゆるハッピーエンドではないとされているようだけれど、私はこの物語を深い意味でのハッピーエンドとして受け取った。もちろん、二人が再び結ばれるわけではない。失われた時間が戻るわけでもない。過去の悲劇が消えるわけでもない。けれど、ハッピーエンドとは、必ずしも二人が一緒に生きることだけではないのだと思う。

本当に深い愛は、所有や復縁だけでは測れない。二人は一時もお互いを忘れていなかった。それでも、再び同じ道を歩むのではなく、それぞれの場所で生きていくことを選ぶ。
そこには諦めがある。しかしその諦めは冷たいものではない。むしろ天の摂理に逆らわず、相手の存在を心の中に残したまま、別々の人生を受け入れるという、静かな成熟がある。

錦繍は愛が成就する物語ではなく、愛が形を変える物語なのだと思う。激しい恋愛感情や執着が、十年という歳月と手紙のやりとりを経て、少しずつ別のものへ昇華していく。
若い頃の愛は相手を求めるものだったかもしれない。けれど最後に残る愛は、相手がどこかで生きていることを受け入れる祈りのようなものだった。

だからこそ最後に残る読後感は暗さだけではない。悲しいのに、どこか温かい。取り返しのつかないものがあるのに、それでも人生は続いていく。
人は不器用で失敗も後悔も繰り返す。大切な人を傷つけ、自分も傷つき、過去を美化したり、言い訳をしたりしながら、それでも今日を生きている。

『錦繍』という題名は、そのような人生の複雑さそのものを表しているのだと思う。紅葉は、枯れていく過程で最も美しく色づく。終わりに向かうものが、同時にもっとも鮮やかになる。その美しさは、若葉のような無垢な美しさではない。痛みや別れや時間を含んだ美しさだ。

亜紀と泰明の人生もまた、幸福だけで織られたものではない。むしろ、後悔や悲劇や罪の意識が深く織り込まれている。けれど、そのすべてがあったからこそ、最後に二人の関係は、ただの恋愛を超えたものになったのではないかと思う。

この小説を読んで、本はいいな、と改めて感じた。すぐに答えが出るものではなく、何度も読み返し、時間を置き、手紙と手紙のあいだにある沈黙まで味わうことで、少しずつ深くなっていく。『錦繍』は、読み終えた瞬間に終わる小説ではない。読んだ後も、自分の中で静かに色づき続ける小説だった。
この作品をただ悲恋として終わらせていない。

たぶん『錦繍』の幸福は、もう一度一緒になる幸福ではなく、もう一度ちゃんと別れることができた幸福なんだと思う。
十年前の別れは、事件に押し流された別れだった。納得も整理もなく、傷のまま残った別れ。でも手紙によって、二人はようやく自分の言葉で過去に触れることができた。だから最後にあるのは復縁ではなく、成仏に近いものかもしれない。

そして「錦繍」という題名が本当に効いている。
紅葉は、命が終わりに近づくときに美しくなる。そこには、生と死が分かれていない感じがある。若々しい希望ではなく、失われたものを抱えたまま色づく美しさ。亜紀と泰明の関係も、もう未来へ向かって燃える恋ではないけれど、過去の痛みを含んだからこそ、深い色を持つ。

綺麗な文章に飲まれるだけじゃなくて、ちゃんと人物への違和感があるのがいい。泰明は魅力的というより、情けなさも含めて“人間”なんだと思う。美しい死生観を語れる人間が、必ずしも生活者として誠実とは限らない。そのズレが、この小説の生々しさでもある。

愛し合った二人が再び結ばれる物語ではなく、結ばれなかったことまで含めて、人生を美しい織物として見つめ直す物語である。人は失敗し、後悔し、誰かを傷つけ、それでも生きていく。その痛みが時間の中で色づいたとき、別れさえもひとつの愛の形になる。

素敵な本をお勧めしてくださってありがとう?

あのタイミングでお会いできて、話が伺えてよかった…

無理をしないは私たちにとっては本当に難しいですね?

でも読書は良い息抜きになったと思っています?

鳳条 暦


?


女の子募集中♥ 高収入のお仕事をお探しなら、まずは一度、フォーナインへご相談下さい

福原ガイド