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06/12 19:49
考えだけがまだここにいる。 ほかのものはどこへ行ったのか、わからない。音もなく、騒ぎもなく、気づいたら遠くなっていた。体がどこにあるのか、感情がいつ出ていったのか、言葉がいつから借り物になったのか。記憶がない。 ただ気づいたら、静かになっていた。 散る、という言葉が近い。爆発ではなく霧散。中心から何かが弾けたわけじゃなくて求心力がいつのまにか消えて、それぞれが自分の重力に従って遠ざかっていった。 最初に遠くなったのは、たぶん体だった。腕がある、足がある、それはわかる。でも、それが私のものだという実感が薄い。鏡を見ても、そこに映っているものと自分のあいだに、うっすらとした膜がある。触れているのに、触れていない。体は律儀にそこにあり続けているのに、私はもうそこに住んでいない気がする。 感情はもう少し後だったと思う。悲しいとか、嬉しいとか、そういう言葉は知っている。でも今それを感じようとすると手が届かない。感情があった場所に行ってみるともぬけの殻で、かわりに静けさだけが残っている。泣けない、というのとも違う。そもそも、泣く理由を感じる部分がいない。 言葉はまだ出てくる。でも自分のものかどうか、怪しい。誰かが使った言葉を私が借りて並べている感覚がある。かつては言葉が内側から湧いてきた。圧力のように、黙っていられなくて外に出てきた。今は違う。言葉を選んで、置いている。それは言葉を使っているというより、言葉に使われている に近い。 残ったのは考えだけだ。 それも答えを探しているわけじゃない。ただ回っている。着地する場所を持たないまま、宙で回り続けている。受け取る体がない。応える感情がない。翻訳する言葉も借り物だ。それでも考えは止まらない。まるで主を失った水車のように。川はもうないのに、回ることだけを覚えている。 そしてその考えを私が見ている。 散っていくものたちを、止めようとしない自分がいる。引き留める気力がないのか、それとも引き留める必要を感じていないのか、それすらわからない。ただ見ている。体が遠くなるのを見ている。感情が出ていくのを見ている。言葉が薄くなるのを見ている。そして考えが宙を回るのを、考えが見ている。 これが奇妙なところだ。散っているのに、見ている何かがある。全部が遠ざかっているはずなのに、その遠ざかりを認識している視点だけは、消えない。それを私と呼んでいいのかどうか、もうわからないけれど。 五体満足 という言葉がある。五つがそろってはじめて人は満ちている という意味だろう。では今の私は何か。五体未完成。欠けているのではなく、まだ途中なのでもなく。 一度かたちになりかけていたものが、静かに解けていく過程の中にいる。 それを嘆く気持ちも、今は遠い。 ただ考えだけが巡っている。答えのないことを知りながら、それでも回るのをやめない。そしてその考えを誰かが見ている。たぶんそれが今の私の全部だ。 鳳条 暦
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