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06/14 09:30
年齢というものを、普段わたしはほとんど意識しない。自分が何歳であるか という事実は、日常のどこにも引っかかりを持たない。流れていく。 けれど誰かに助けてもらう瞬間だけ、突然それが形を持つ。 差し伸べられた手、気遣うような声のトーン、こちらを少し上から見るような視線??そのすべてが、鏡として機能する。映し出されるのは、ケアを受けている自分の姿。そしてその姿はをどうしても子どもに見える。 血液検査で倒れた時も見守る若い看護師や医師はとても頼れる大人に見えた。 不思議なことだと思う。弱っていることと、まだ育ちきっていないことは、本来まったく別のはずだ。疲弊した大人はいくらでもいるし、助けを必要とすることは成熟と矛盾しない??頭ではそう知っている。 でもいざ助けてもらうと、その二つがするりと重なる。 弱い=幼い という等式が、気づかないうちに自分の内側に刻まれていたことを知る。 いつ刻まれたのだろう と考える。おそらく、強くあることを自分に課しはじめた あのころだ。誰かに頼ることを覚える前に、頼らないことを覚えてしまった時期。弱さを見せると何かが崩れると、言葉にならないまま学んだ時期。その学びはとっくに必要なくなったはずなのに、身体のどこかに静かに残っている。 大人になる ということをわたしはどこかで、弱くならないこと と結んでいたのかもしれない。助けられるたびにその結び目を発見する。ほどけないまま、ずっとそこにあった結び目を。 だからといってほどき方もわからない。 助けてもらうたびに発見して、そのたびに少し痛い。 大人になりきれていないのか と問うより先に??大人になることをそんなふうに定義してしまったのは、いつのわたしだったのか とだけ思う。答えは出ない。ただ結び目はそこにある。ほどけないまま、少しだけ疼いて。 鳳条 暦
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