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06/17 09:30
まるで深い眠りの湖底から浮上して水面を破って顔を突き出すような、全身の細胞が生まかれ直ったような爽快感。あの短い時間は確かに、自分が休まっている気がする。 根源的にはそう、自分の生命が自分の内側に戻ってくる感覚なのだと思う。 まるで湖底から浮上して、水面を破って息を吸う。 その瞬間、世界は明るくなる。身体がまだ生きていると 思い出す。心が私はまだ戻れる と知る。 回復というより、再接続に近い。 ? アリストテレスは、幸福は余暇 の中に宿る、という考え方をしていた。ここでいう余暇は、だらだらすることではなく、労働や義務から離れて、人間が人間らしく在るための時間のこと。 休みとは何もしない時間ではなく、自分が何のために生きているのかを身体の奥で取り戻す時間でもある。? ただそこにいていい存在として貴方が私を戻してくれるから心の休まりを感じたのかもしれません。 休息は眠ることだけじゃない。自分を演じなくていい場所に戻ること。 誰かの前で少し呼吸が深くなること。 ? ウィニコットの本当の自己/偽りの自己 という考えが近い。ウィニコットは、人には社会に適応するための自己と、もっと個人的で内側にある自己があると考えた。 健康な人にも社会化された自分は必要だけれど、そればかりで生きると本当の自分が奥に隠れてしまう。? ちゃんと休めているのかな と感じるのは、 もしかすると身体が疲れているだけじゃなくてちゃんとしようとする自分が、ずっと前面に出続けているからなのか。 休んでいるつもりでも、頭の中でまだ誰かに説明していたり…自分を見張っている時は、まだそれに適応している自分が働いている。 本当に休めている時は、たぶんその監視が少しゆるむ。 水面に顔を出した時みたいに、私は何者かである前にただ生きものだったと ? ビョンチョル・ハンの『疲労社会』の考えも、現代人の疲れを、誰かに強制されている疲れというより、自分で自分を追い込む疲れとして見ている。 現代ではもっとできる、もっと頑張れる、もっとよくなれる という前向きさそのものが、人を疲弊させることがある という見方。? なぜなら現代の休息は、すぐ成果にされてしまうから。 ちゃんと寝て明日から頑張るため。体調を戻してまた働くため。 休息さえ、次のパフォーマンスの準備にされてしまう。 それは本当の休息というより、回復すら労働の一部にしてしまうことなのかもしれない。 本当に休むとは、頑張れない自分もここに置いていいということ ? ヨーゼフ・ピーパーは『余暇と祝祭』の中で、余暇は自分自身と一致している時に可能になる という趣旨のことを言っている。 つまり、休息とは単に時間が空くことではなく、自分自身とばらばらになっていない状態?に近い。? 休んでいるつもりなのに休めない時は身体は止まっていても、内側で分裂している。 ちゃんとしていたいけど何もしたくない自分。 その全部が内側で別々に喋っているから、身体は横になっていても、心は会議中のまま でも久しぶりに会えた人がいる時。 その瞬間、散らばっていた自分が少し集まる。 だから爽快。 単なる気分転換ではなく、自分自身との再統合に近い。 判断の目安を作るなら、 自分を責める声が少し静かになることなのだと思う。 休息は、停止ではなく帰還。 どこかへ逃げることではなく、自分の深い場所へ帰ってそこからまた世界に顔を出すこと。 エスプリはそれはもう美味しい美味しいマカロンについていたパンフレットからいただいた言葉です? どんな意味だったと思いますか? 鳳条 暦
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