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06/24 09:45
考えるを考える
私先走りました。
月初に1度キャンセルがあったのにまた会いに来てくれたから。
貴方のことをたくさん知りたくて、わたしのことも知って欲しくて…
そんなことをしていたら全然時間が足りなくなってしまいました…
穏やかな貴方の雰囲気に飲まれ、ソファやベットに私の身体は沈み込んでしまったのです
また会えたら今度は私ももっと強く手を引きます?
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思考の技術
思考の技術を具体的な操作として分解する
思考すること自体の存在論的な性質。なぜ思考は思考自身を完全には捉えられないのか
実はこの二つ、別々の問題というより後者が前者を作っている という構造になっているような気がします。
操作として思考を分解すると、いくつかの層が見えてくる。
一番下の層は保持、つまり思考の対象を意識の中に留めておく力。
次が分節、漠然とした感覚や直感を言葉や概念の単位に切り分ける作業。
その上に比較・対置、があって、ある対象を別の対象や過去の自分の考えと並べて差異を見る。
さらに上に再帰、つまり自分が今考えたことをもう一度対象として捉え直す層がある。
そして最後に統合、これらの断片を一つの構造や物語に組み直す層。
技術として鍛えられるのはほぼこの全部で、
書くこと自体がこの操作を外部化する装置だとも言える気がします?
書き続けてきた日記たちは、再帰と統合を板状で繰り返すことだったのかも
ここで存在論的な問題が顔を出す。
再帰の層、考えたことを考え直す行為は、無限に遡ることができない。
今この瞬間に考えている私を捉えようとすると、捉えた瞬間にそれはもう捉えられた対象になっていて、
捉えている主体自身は常に一歩後ろに退いている。
サルトルがこれを対自と対他の分裂として論じたのもこの構造、
場所という概念で、主体と客体が分かれる前の経験の地平を持ち出したのも、まさにこの遡りの果てに何があるかという問いへの応答だったのでは。
思考は自分の根を完全に照らすことができない。照らそうとするライトそのものが影を作ってしまうから。
技術としての思考操作――保持、分節、比較、再帰、統合――は、実はこの自分の根を照らせないという限界を補うための装置だったとも言える。
書くことで再帰を外部に固定し、過去の自分の言葉を対象として置き直すことで、
本来内側からは見えない自分の思考の形を外側から間接的に掴み直す。技術は限界の代替であって、限界を超える手段ではない。
観察者は観察されない は、思考の技術論そのものの核心を突いている。
観察者であることそのものが、思考が自分自身を完全には捕まえられないという存在論的事実の、人間関係における現れ方だったのかもしれません。
鳳条 暦

































