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鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

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空の写真を撮りたがるのは

05/01 09:30

空の写真を撮りたがるのは

年齢の割に落ち着いた印象の貴方様。

試合前の勝利祈願? 

黄金の右腕には力が入りすぎないようにπのおまじない。

頼もしい手の温もりをまた感じさせてください。

櫛をいただきました? 何でもあまり差がないものだと思っていたのですが、まだまだ世界は広いように感じます。
値段もきっとわかりやすい価値なのでしょう。
大切に使わせていただきます??

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貴方が褒めてくれた言葉の1つです?

直感的で判断の速い貴方が見つけてくれた言葉についてもう一度考えてみました。 

私に少しだけ自信を持たせてくれて、感謝しかないのです??

??価値の輪郭
価値とは何か。それは最初から物事の中に備わっているものなのか。人間が意味づけることで初めて現れるものなのか。

単なる大切なものの話ではなく、人間はなぜ何かを大切だと思うのか、その大切さはどこから来るのかという話。

価値は、物の中にあるのか、人の中にあるのか
価値は、対象そのものに宿っているのか。
それとも、それを見る人の心によって生まれるのか。

同じ一枚の手紙でも、ある人にとってはただの紙で、別の人にとっては一生捨てられないものになる。紙そのものの成分は変わらない。文字のインクも変わらない。しかしそこに宿る価値は全く違う。

だとすると価値は物と人間の関係のあいだに生まれるものなのかもしれません。

それを見つめる私、それに触れてきた時間、それを失いたくない理由によって輪郭を持つ。

価値とは、物体ではなく、関係性のかたち。
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価値の輪郭は、なぜ最初から見えないのか

本当に大切なものほど、日常の中ではぼやけていることが多い。家族。健康。何気ない会話。帰る場所。自分を否定しない誰か。自由に考えられる時間。

こういうものは、あまりにも近くにありすぎると、価値として認識されにくい。

人間は、存在しているものよりも、不足しているものに意識を向けやすいから。すでにあるものは静かすぎる。

しばしば価値の輪郭は喪失、距離、比較、時間によって初めて浮かび上がる。

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失ってから気づく価値は、本当に価値なのか。執着にすぎないのか。

失った瞬間に美しく見えるものがあります。離れたあとに急に惜しくなる人がいます。終わったあとにだけ、優しく思い出せる時間があります。

それは本当に価値に気づいたのか。それとも、失った痛みが、その対象を美化しているだけなのか。

価値と執着は似ている。どちらも手放したくないと感じさせる。
でも価値は、自分を深くする。執着は、自分を狭くする。

価値あるものは、たとえ手元になくても、自分の中に静かな強さを残す。執着しているものは、手元にないと自分を壊していく。

この違いを見極めることが、価値の輪郭を見るということなのかも。
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値段と価値はなぜズレるのか

現代では、価値はよく数字に変換されます。
価格。年収。売上。フォロワー数。偏差値。評価。肩書き。いいねの数。

数字は便利。比べやすいし、説明しやすい。他人にも伝わりやすい。

むしろ人間にとって本当に深い価値は、数字にした瞬間にこぼれ落ちることがあります。

例えば、誰かと過ごした何でもない午後。自分を救ってくれた一文。何度も戻ってしまう場所。理由は説明できないけれど、なぜか好きなもの。値段をつけにくいが、人生の支えになる。

数字で測れないものを、私たちはどうやって守るのか。

現代社会では、見える価値ほど強い。数値化できるものほど評価される。逆に、静かで、個人的で、説明しにくい価値は軽く扱われやすい。

人間の人生を本当に支えているのは、案外そういう説明しにくいもの。

ここに価値の輪郭という言葉の深さがある。
価値は、はっきり見えるものだけではない。むしろ、ぼんやりしているからこそ、自分で丁寧に見つめなければならない。
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価値は自分で決めているのか、社会に決めさせられているのか

私は、本当に自分の価値観で生きているのか。
それとも、社会が価値あると言ったものを、自分の価値だと思い込んでいるだけなのか。

人は完全に自由に価値を選んでいるわけではありません。

親の価値観。学校の評価。世間の空気。SNSの反応。友達との比較。時代の流行。成功者の言葉。

影響されながら、私たちはこれは価値があると判断しています。

だから怖いのは、自分が欲しいと思っているものが、本当に自分の欲望なのかわからないということ。

欲しい服。なりたい職業。憧れる生活。付き合いたい人。持っていたい肩書き。見られたい自分。

それは本当に自分の奥から出てきたものなのか。それとも、誰かにそれは価値があると教え込まれたものなのか。

価値の輪郭を探すことは、自分の欲望の出どころを疑うことでもあります。

ここで大事なのは、社会的な価値をすべて否定することではなく。お金も、評価も、肩書きも、必要な場面はあると知ること。

ただ、それらが自分の人生の中心に来すぎると、自分にとって本当に大切なものの輪郭が見えなくなる。
だから問い続ける必要があります。

これは、私が本当に大切にしたいものなのか。
それとも、大切にしないといけないと思わされているものなのか。
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変わってしまった価値は、昔の自分への裏切りなのか。成長なのか。

例えば、昔は絶対に手放したくないと思っていた夢を、今は少し違う形で見ている。
昔はあんなに大切だった人と、今は距離ができている。昔の自分が信じていた正しさを、今の自分は少し疑っている。

それは薄情なのか。それとも、生きてきたからこそ見えるものが増えたのか。

変わらない価値だけを本物とすると、人は過去の自分に縛られます。

大切なのは、そのときの自分が何を大切にしているのかを、誠実に見つめること。
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意味がないものにも、価値はあるのか。

例えば、ただ空を見ている時間。誰にも見せない日記。無駄話。寄り道。理由のない好き。
効率の悪い優しさ。

社会的には意味が薄いかもしれないが、人にとってはこういうものが、心を保つために必要だ。

価値とは必ずしも役に立つことではない。

役に立つかどうかを超えて、自分が人間として息をしやすくなるものに価値は宿るのかもしれない。
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価値の輪郭がぼやけるとき

価値が見えなくなる時期があります。

何をしても響かない。何が好きだったかわからない。周りの価値観に合わせているうちに、自分の感覚が鈍っていく。

価値の輪郭を見るには、心に余白が必要です。
急かされているとき、比べ続けているとき、傷つきすぎているとき、人は自分にとって大切なものを見失いやすい。
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問いとして残すなら、こんなものがある。

私は、本当に価値あるものを見ているのか。
それとも、価値があると教えられたものを見ているだけなのか。

私が手放せないものは、私を自由にしているのか。それとも、私を閉じ込めているのか。

失ってから大切に見えるものは、価値なのか。
それとも、喪失が生んだ幻なのか。

誰にも説明できない大切さを、私はどこまで信じられるのか。

価値の輪郭をはっきりさせることは、その価値を守ることなのか。それとも、言葉に閉じ込めてしまうことなのか。

たぶん、価値は完全には説明しきれない。
説明しきれないからこそ、価値なのかも。

ただ、自分の心が何度も戻ってしまう場所がある。忘れようとしても、どこかに残っているものがある。それに触れると、自分の輪郭まで少しはっきりする。

そこに、価値の輪郭がある。

その輪郭を見つめることは、自分の生き方を選び直すことなのだと思う。

鳳条 暦


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