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鳳条 暦

鳳条 暦

(23)

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営業時間 11:00-24:00

信じたくないし見たくないの

06/06 09:30

信じたくないし見たくないの

相変わらず、沢山気を遣ってくださる貴方

きっと仕事では大活躍なのでしょうが、どうか会えた時はゆっくりして欲しいのです??

まだまだわからないことがあるから、どうも私はそれを解き明かしたい性分のようです。

楽しみが増えてしまいました?
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めろめろメローン?? メロンってクリームにこんなにも合うのですね?
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大阪で仕事をする日には真っ昼間にカフェに行けてしまうので、
吸い込まれるようにカフェで甘いものをいただきます?

しかし聞こえてくるのは、決まって悲しいことばかり。
何か理由はあるのでしょうか?
??主婦の井戸端会議には旦那の悪口が出てくる

最も近い他者

街角の喫茶店、公園のベンチ、スーパーの駐車場。女たちが集まる場所には、決まって夫の話が流れてくる。家事をしない、話を聞かない、気が利かない??内容はいつも似ている。笑い声が混じり、共感の相槌が重なり、その場は不思議と明るい。悪口なのにどこか祝祭めいている。

なぜ夫なのか。なぜ最も近い人間が、最も語られる人間になるのか。

問いを立てるとき、私はまず安全性という言葉を思った。遠い他者への不満は危険を伴う。関係が壊れるかもしれない、伝わってしまうかもしれない。しかし夫は逃げない??という確信がどこかに宿っている。契約があり、生活がある。その重力が、彼を消費しても壊れない対象にする。

だがそれだけでは何かが足りない。

親密さにはもともと暴力性が潜んでいる。 
ショーペンハウアーはヤマアラシの寓話を残した。寒さに凍えた獣たちが温もりを求めて近づく。しかし近づきすぎると、互いの針が刺さる。ちょうどいい距離を、彼らは何度も探し直さなければならない。

結婚とは、その針の距離を固定しようとする試みかもしれない。愛情という名のもとに、本来流動的であるべき距離を制度で縫い止める。だから傷つく。制度は距離を固定するが、感情は毎日変化する。そのずれが、言葉になりきれない不満として蓄積し、井戸端会議という排気口から漏れ出す。

なぜ人は結合を求めるのか。

孤独が怖いから、と答えるのは簡単だ。しかしそれは問いの表面をなぞるだけにすぎない。もう少し深く降りると、こんな問いが現れる??人は孤独を恐れているのではなく、自分が存在することを誰かに証明してほしいのではないか、と。

承認は遠い他者からは得にくい。賞賛は一時的で、関係は薄い。しかし最も近い他者は、日常という文脈の中で繰り返し自分を目撃してくれる存在だ。怒った顔も、情けない顔も、眠っている顔も知っている誰か。その視線の中にいることで、人は自分がここにいるという感覚を得る。

愛情と依存の境界が、当人にも見えないのはそのためだと思う。求めているのが愛なのか存在証明なのか、区別する言葉を私たちは持っていない。だから結婚という制度に乗り、その曖昧さごと一緒に生きようとする。

ここで一つの仮説を立ててみたい。

悪口は関係の腐敗ではなく、関係の証明ではないか。

無関心な人間の悪口は言わない。興味のない相手をわざわざ言葉にする必要はない。言葉が誰かに向かうとき、そこにはまだ引力がある。憎しみでさえ、無関心より近い場所にある感情だ。

井戸端会議で夫を語る女たちは、夫を切り捨てているのではない。彼女たちはむしろ、夫との関係を言語化しようとしている。うまく届かなかった言葉を、他者という鏡に映すことで、自分の感情の形を確かめようとしている。悪口という形式しか持てないとしても、それは対話への不完全な試みだ。

矛盾は解消されない。

針は刺さり続け、距離は揺れ続け、言葉は届いたり届かなかったりする。結婚という制度は、その矛盾を解決するためにあるのではなく、矛盾を共に抱えるための器として存在しているのかもしれない。

それでも人は誰かの隣に座ろうとする。傷つくと知りながら、孤独よりも針の痛みを選ぶ。その選択に、論理的な根拠はない。あるのはただ、寒さに耐えられないという、どうしようもなく人間的な事実だけだ。

最も近い他者を持つことは、最も深く傷つく可能性を引き受けることだ。それを知りながら、それでも??と人は一歩踏み出す。
その それでも の中に、
愛と呼ぶしかない何かが静かに宿っている。

貴方の人生に幸あれ

鳳条 暦


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