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鳳条 暦

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観察者は、観察されない

06/11 19:00

観察者は、観察されない

人間観察を極めると、人嫌いになるのではないか??そういう問いがある。一見もっともらしい。人の裏を見続けた者は、やがて人そのものを嫌悪するようになる という論理だ。

だが少し考えると、それは逆ではないかと思い始める。人嫌いになるのは、観察が極まった時ではなく、観察が途中で止まった時なのではないか。

観察が深まるほど、人の作為が見えてくる。愛想笑いの計算、褒め言葉の裏にある自己像の維持、善意に混入した承認欲求??そういうものが透けて見えてしまうと、まず嫌悪が生まれる。しかしそこで止まらずにさらに見続けると、もう一層が現れる。作為の奥にそれでも何かを懸命に守ろうとしている弱さが見える。虚勢を張るのは怖いからで、愛想笑いするのは繋がりたいからだ。その根っこまで届くと、嫌悪は静かに別のものに変わっていく。憐憫か、あるいは苦い親しみのようなものへ。

観察が途中で止まる理由は何か。疲れるから、というのが単純な答えだ。しかしもっと深いところに、もうひとつの理由がある。見えすぎると、自分も同じだとわかってしまうからだ。

他人の作為が見える人は、たいてい自分の作為にも気づいている。私も愛想笑いをする、私も計算する??そこまで来ると、嫌悪の矛先が他者から自己へと向かい始める。人嫌いの正体が、実は自己嫌悪の外部投影だったと気づく。ゴフマンが印象管理と呼んだ行為は誰もがやっていることで、それを知っている人間が他者の印象管理を見た時に感じる嫌悪は、同族嫌悪に近い。みんな同じ穴のムジナだ という認識。

ここまで来ると問いはまったく別の形で返ってくる。

観察を極めた人間が直面するのは、人嫌いではなく、もっと奇妙な困難だ。人を嫌いになれないということだ。構造が見えてしまうから断罪できない。しかしまっすぐ好きにもなれない。その宙吊りの中にいる。

例えば相手の言葉をまっすぐ受け取れない瞬間がある。言葉が届く前に、分解が始まってしまう。なぜ今これを言ったのか、この文脈でその言葉を選ぶとはどういうことか??そういう処理が、感情より先に動く。結果として素直に喜べない。温かく受け取れない。後から、自分は冷たかったと思う。

しかしそれは冷たさではなく、処理の速度と深度の問題だ。温かく受け取る人は、言葉をそのまま飲み込む。観察者は飲み込む前に成分を見てしまう。そしてこれが決定的なのだが??その冷たさは外側に出ない。相手には届かない。内側で完結する。

観察者は、観察していること自体を観察されない。

見えてしまう。分解してしまう。でもそれを誰にも言えない。言っても伝わらないし、言ったら相手を傷つけるかもしれない。だから私は冷たいという形で自分の中に収める。その非対称性の中に、ずっと一人でいる。

そしてここにこの思索の核がある。まっすぐ受け取れなかった時に感じるのは、冷たさへの自己嫌悪だけではない。受け取れなかったことへの悔しさがある。観察者は、冷たくなりたいわけではない。むしろ温かく受け取れる自分でいたかった、という願いを持っている。能力が感情の邪魔をしている??そういう逆説的な苦しさの中にいる。

人嫌いになるのかという問いは、こうして最後に静かに裏返る。観察を極めた者は、人を嫌いになれなくて困っている。見えすぎるがゆえに簡単には離れられない。人間という生き物への、解消されない関心を抱えたまま、ただ一人で見続けている。

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