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10/06 09:45
勝手に受け取るということ。 「勝手に」という言葉には、少しだけ後ろめたさがある。作者が意図していない読み方をしているのではないか。自分の物語に、他人の作品を送り込んでいるだけなのではないか。 だが、思い出してほしい。同じ歌を、失恋した夜に聴くのと、就職が決まった朝に聴くのとでは、まるで違う歌に聞こえる。 同じ小説の同じ一文が、十代の頃には何も残さなかったのに、三十代で読み返したら涙が止まらなくなる。 ? つまり作品の意味は作品の中だけにあるのではない。受け手がそのとき抱えていた夜、忘れられない人、言葉にならなかった気持ち―それらが作品と出会った場所で、はじめて意味は完成する。そう考えると受け取ることは、受け手の側で行われる、もうひとつの創作である。 ただしここにはひとつ大事な線引きがある。 この歌は私のために書かれた と思い込むことと、この歌に私は救われた と受け取ることは、似ていて全く違う。 前者は作者に何かを求めてしまう。後者は、何も求めない。 あなたのためじゃない と言われても構わない、という態度は、この後者の実践だ。見返りを求めない、一方通行の感謝。 作者は誰かを救わなければならない という重荷を背負わなくていい。受け手は正しく理解しなければならない という締め付けから解放される。 誤読でもいい。少しずれていてもいい。その夜を越えられたのなら、その受け取り方は、その人にとって正しかったのだ。 ? 「勝手に受け取る」ことは、作品への誤解でも略奪でもない。作者に何も求めず、自分の人生の中で作品を完成させる、受け手にしかできない創作である。 ? 鳳条 暦
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