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09/24 09:30
実感主義2
選ばなかった人生はいつも少し美しい
特に人間関係ではそれを感じる。
一人で完結する選択なら努力によって変えられることも多い。
もちろんそこにも環境の影響はあるけれど、自分の行動が結果に反映される割合は比較的大きい。?
でも人間関係になると突然変数が増える。
私がどれほど大切にしていても、相手が同じように大切にしてくれるとは限らない。
私が言葉を尽くしても、同じ意味で受け取ってもらえるとは限らない。
反対に自分では大したことをしていないつもりでも、誰かにとっては救いになっていることもある。
人と人の間にはいつも少しだけ翻訳不能な部分がある。
もっと上手くできたのではないかと考えすぎてしまうことがある。
もっと優しくできたのではないか。もっと我慢できたのではないか。もっと理解できたのではないか。もっと違う言い方があったのではないか。
そうやって遡っていけば、過去の自分はいくらでも裁ける。
でもそれはある意味では簡単なのだ。
結果を知っている現在の自分が、結果を知らなかった過去の自分を採点しているのだから。
あのとき違う道を選んでいたら という想像も不思議だ。私たちは実際には一度も歩いていない人生を、とても美しく想像することができる。
あの人と出会っていなかったら。その人生には現実がない。
現実がないからこそ、面倒、退屈、失望も傷つく夜もない。可能性だけが残る。
だから過去の分岐点から伸びていたもう一本の線路は、しばしば現在より美しく見える。
でも本当はその線路にも別の苦しみがあったはずなのだ。
選ばなかった人生だけが無傷のまま保存されている。
それでも準備することには意味があると思う。努力したからといって、望んだ未来が必ず来るわけではない。
機会そのものが現れないことはある。
逆にほとんど準備していなかったのに、偶然とても大きな扉が開くこともある。
未来の選択肢が現れたときに、その選択肢を選べる自分でいるための準備だと考えるなら、努力の意味は少し変わる。
誰かに依存しなければ何も選べない状態から、少しずつ離れていくこと。未来そのものを買うことはできない。
ただ、本当はこっちへ行きたいのに行く力がないという瞬間を少し減らしてくれる。
自由とは何でもできることではなく、選びたいときに選べる可能性を持っていること
鳳条 暦

































