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09/20 19:17
人の目を借りて自分を見る おしゃれにはいつもどこかに他人の視線がある。しかしそれは誰かに媚びるということとは少し違う。 むしろ、人の目を借りて自分を見る ということに近いのかもしれない。 考えてみれば、人は自分の顔を直接見ることができない。鏡がなければ、自分がどんな表情をしているのかさえ分からない。 それと同じように、自分という人間も、自分だけでは案外よく分からない。 誰かと話して、誰かの反応を見て、誰かの隣に立って。 そこで初めて、自分がどんな人間なのかを少しずつ知っていく。 服もそれに似ている。自分のために選んでいるはずなのに、完全に自分だけのものではない。この服を着た私は、どんなふうに見えるだろう。この場所に馴染むだろうか。この人の隣に立ったとき、どんな印象になるだろう。 そうやって外の世界を意識しながら服を選ぶ。 だからおしゃれには自己表現と同じくらい、他者への想像力が必要なのだと思う。 「私はこうしたい」だけではなく、ここではどう見えるだろう。相手にはどう映るだろう。と考える。 そう思うと、おしゃれというのは意外と優しい行為なのかもしれない。自分のためだけにするようでいて、ちゃんと外の世界を見ている気がする。 自分を消して相手に合わせるわけでもない。かといって、自分だけを押し通すわけでもない。 自分と他人のあいだに、ちょうどいい距離を探している。人は、誰にも見られない場所で自分らしくなるのではなく、 誰かに見られながら、誰かと関わりながら、それでも自分であり続けることで少しずつ自分らしさをつくっていくのかもしれない。 他人の視線を知ったうえで、なお自分で選ぶこと。その方がずっと自由に近い。 おしゃれとは、自分だけを見ることでも、他人だけを見ることでもない。その両方を行き来しながら、「私はこの世界の中で、どうありたいのだろう」と考えることなのかもしれない。 鳳条 暦
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09/20 09:30
誰のために、着るのだろう 服をいただくのは初めてで、お洒落に気を使うようになったのもきっとつい最近。 好きな服と似合う服が違うなーと感じるからこそ、今一度考えたくなりました? 「一歩先へ出るよりも、一歩退いていることの方が、本物のおしゃれだと思う。」 今日読んだ文章の中に、そんな言葉が。 最初に読んだとき、少し意外だった。 おしゃれというのは、どちらかといえば自分を前に出す行為だと思っていたからだ。 素敵だと思われたい。少しでも、自分をよく見せたい。 服を選ぶときには、少なからずそんな気持ちがある。だから一歩退く という言葉は、おしゃれとは反対側にあるようにも思えた。 けれど、考えてみれば、私たちは好きなものを何でも身につけているわけではない。 色も、形も、素材も、流行も、たくさんある中から何かを選んで、何かを捨てる。 鏡の前に立って、これは少しやりすぎかな。こっちの方が似合うかな。この場所に着ていくなら、少し違うかな。と考えるだろう。 その瞬間、人はもう自分の内側だけを見ているわけではない。ほんの少し自分の外に立っている。 「私はこれが好き」という気持ちだけではなく、「この服を着た私は、どう見えるだろう」と考えている。 そう思うと、おしゃれというのは、ただ自分を飾ることではないのかもしれない。 今日はどこへ行くのか。誰に会うのか。 どんな空気の場所なのか。 その中で自分はどうありたいのか。 服を選ぶという行為には、そんな小さな問いがいくつも隠れている。 だから、おしゃれは自己表現であると同時に、自分を一度外から眺めることでもある。自分らしさを押し出すことだけが、おしゃれなのではない。 ときには少し引いてみる。 自分を主張するより先にその場と自分と、その間にある空気を見る。 「一歩退く」というのは、もしかするとそういうことなのかもしれない。 そしてその一歩分の距離があるからこそ、人は初めて自分を選び直せるのだと思う。 鳳条 暦
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